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プロフィール
- 杉本健吉とは
- 概要
- 生涯
- 入選暦
- 主な作品
- エピソード
- 関連サイト
名鉄 7000系パノラマカー(赤色(スカーレット))と名古屋市営地下鉄東山線(黄色(ウィンザーイエロー))車両の塗色を決めたり、青柳ういろうの社章( 小野道風の故事をもとに、柳に飛びつくカエルの姿を図案化)や、中部電力(「電」を図案化)・名鉄百貨店(「名」を図案化)の社章(いずれも初代)、名古屋市営地下鉄のマーク(地下鉄のトンネルと線路を図案化)のデザインを手掛けた。また、東大寺が経営する東大寺学園(奈良市山陵町)において、中学棟・高校棟を繋ぐ「転心殿」を 榊莫山と合作し、同校へ寄贈した。
概要
| 1923年に旧制愛知県立工業高校を卒業後、加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとして鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がける。 |
| 1925年に京都に出向き岸田劉生の門下に入る。 |
| その後、吉川英治作の『新・平家物語』・『私本太平記』等の挿絵を担当し絶賛を得る。 |
| 1949年(昭和24年)奈良東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を描く。 |
| 奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。 |
| 1987年名古屋鉄道により、愛知県知多郡美浜町美浜緑苑に杉本美術館が開館し、売らずにいた絵画が収蔵された。 |
| 晩年まで毎週、同美術館に足を運び、美術館内に設けられたアトリエで、デッサンや来館者との歓談を楽しんでいたが、2004年肺炎のため死去(98歳)。 |
生涯
| 1905年 名古屋市に生まれる。 |
| 1923年 旧制愛知県立工業学校図案科卒業。 |
| 1925年 岸田劉生の門をたたく。 |
| 1950年 平家物語を題材にした吉川英治作(週刊新潮連載)新・平家物語の挿絵を担当する。 |
| 1977年 名古屋市ヒマラヤ美術館に展示室開設。 |
| 1987年 愛知県知多・美浜緑苑に財団法人杉本美術館が開館。 |
| 1989年 世界デザイン博覧会に陶壁を制作する。 |
| 1994年 「画業70年の歩み杉本健吉展」を愛知県美術館で開催。 |
| 2004年 肺炎のため亡くなる 享年99。 |
入選暦
| 1926年 春陽会展に入選。 |
| 1927年 大調和展入選。 |
| 1931年 国画会展入選。 |
| 1942年 新文展入選。 |
| 1946年 日展(日本美術展覧会)入選。 |
主な作品
| 名鉄7000系パノラマカー(赤色(スカーレット))と名古屋市営地下鉄東山線(黄色(ウィンザーイエロー))車両の塗色を決めたり、青柳ういろうの社章(小野道風の故事をもとに、柳に飛びつくカエルの姿を図案化)や、中部電力(「電」を図案化)・名鉄百貨店(「名」を図案化)の社章(いずれも初代)、名古屋市営地下鉄のマーク(地下鉄のトンネルと線路を図案化)のデザインを手掛けた。 |
| また、東大寺が経営する東大寺学園(奈良市山陵町)において、中学棟・高校棟を繋ぐ「転心殿」を榊莫山と合作し、同校へ寄贈した。 |
エピソード
| 吉川英治が亡くなった時、杉本健吉は感謝の意を込めて、新・平家物語の主人公に囲まれた吉川英治の絵と手紙を描いた。 |
| 名古屋能楽堂が完成し、その鏡板(舞台の背景)の制作を担当した際、他の能楽堂では定番となっている老松を描くところを、杉本健吉は若松を描いたため物議を醸した。 |
| これに対し本人は 「できたばかりだから元気が良く若々しい松の方が似合う」「伝統に決まったものはない」と語っていた。 |
| 後に老松の鏡板も描かれ、隔年で配置されている。 |
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1923年
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旧制愛知県立工業高校を卒業後、加藤静児のア... |
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