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つながりの強いひと
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大町桂月
大町桂月(おおまちけいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)-1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家である。 |
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三宅雪嶺
哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。 |
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東郷平八郎
日本の武士(薩摩藩士)、軍人である。階級位階勲等功級爵位は元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵。 |
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高島嘉右衛門
高島嘉右衛門(たかしまかえもん1832年12月24日(天保3年11月3日)-1914年(大正3年)10月16日)は横浜の実業家および易断家。父は遠州屋嘉衛門(本姓は薬師... |
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原敬
日本の外交官、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。幼名は健次郎。号は一山、逸山。外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣(第11・16... |
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志賀重昂
日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。誕生日は9月15日(1863年10月27日)ともいう。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。『矧川』は矢作川である。 |
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井上円了
仏教哲学者、教育家。多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、後に東洋大学となる哲学館を設立した。また、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪... |
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中村天風
中村天風(なかむらてんぷう、1876年7月30日-1968年12月1日)は日本初のヨーガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広めた。本名は中村三郎。 |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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中村正直
日本の武士・幕臣、啓蒙思想家。同人社創立者。興亜会会員。また福澤諭吉、森有礼、西周らと<明六社>を結成。幼名を訓太郎。通称を敬輔。号は敬宇。 |
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吉田松陰
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家、である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。 |
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陸羯南
日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。幼名は巳之太郎、のち実、号が羯南。 |
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古島一雄
明治、大正、昭和期の日本のジャーナリスト、衆議院議員、貴族院議員。一念、古一念と号す。 |
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谷干城
幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。第2代学習院院長。東京学士会院会員、後に帝国学士院会員。官位は陸... |
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頭山満
明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。号は立雲。玄洋社は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり、後の愛国... |
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昭和天皇
日本の第124代天皇(在位:1926年12月25日-1989年1月7日)である。諱は裕仁(ひろひと)。幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。 |
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末広鉄腸
反政府側の政論家・新聞記者・衆議院議員・政治小説家。幼名雄次郎、後に重恭(しげやす)。号に鉄腸、子倹、浩斎。 |
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福本日南
日本のジャーナリスト、政治家、史論家。名を誠、または一誠という。 |
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吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
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江見水蔭
小説家、翻案作家、雑誌発行者、紀行家、冒険家。本名:忠功(ただかつ)。岡山県岡山市生れ。文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記な... |
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プロフィール
- 杉浦重剛とは
- 経歴
- 関連項目
- 関連人物
- 門下
- 著書
- 参考文献
- 関連サイト
杉浦重剛(すぎうらじゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)-大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。若き日の 昭和天皇、 秩父宮雍仁親王、 高松宮宣仁親王の3兄弟に帝王学の一環として倫理を進講する。号は梅窓または天台道士。学生時の渾名は紙魚(しみ)。後に『人格高邁の国士』と評される。理学宗の世界観を確立。
経歴
| 近江国膳所藩の儒者で父杉浦重文(蕉亭)と母八重の次男として生まれる。 |
| 3歳のとき、護送される頼三樹三郎を目撃する。 |
| 数え年6歳で藩校・遵義堂に入学を許され、高橋正功(坦堂、作也)、黒田麹盧、岩垣月洲に漢学洋学を学ぶ。 |
| ”予の精神は之を坦堂先生に受け、学問は之を麹盧先生に受け、識見は之を月洲先生に受けた”と後に懐述するように、この三人より受けた教育的感化は彼の一生を支える程強かった。 |
| 15歳で句読方に任ぜられる。 |
| 15歳のおり藩より貢進生に選ばれ東京に下り、大学南校に学ぶ。 |
| 在学中は猛勉強の結果、明治6年(1873年)10月、明治天皇への御前講演に選ばれ理化学の実験を行う。 |
| 明治9年(1876年)、第2回文部省派遣留学生に選抜されて渡欧。 |
| 当初は農業を修めるつもりでサイレンシスター農学校に入るが、英国の農業は牧畜が中心で、穀物は麦で、勉強をしても帰国後役には立たないと気付き放棄した。 |
| 化学に転向し、マンチェスター・オーエンスカレッジに移り、ロスコー、ショーレマン両教授の指導下で研究に従事。 |
| 更にロンドンのサウスケンジントン化学校、ロンドン大学等で学ぶうちに神経衰弱にかかり、明治13年(1880年)5月に帰国。 |
| 27歳で文部省と東京大学に勤める。 |
| その間、東大予備門(のちの一高)校長にあり、また大学予備門など旧制高校進学のために英語でもって教授する予備校であった東京英語学校(のちすぐに日本中学に改称)創立の中心の一人となる。 |
| のちに、読売・朝日新聞の社説を担当となり、三宅雪嶺、志賀重昂らと政教社発行の「日本人」(のちに「日本及日本人」)や新聞「日本」の刊行に力を尽くす。 |
| それらによって国粋主義を主張し、当時の社会に影響を波及させる。 |
| 明治22年(1889年)には日本倶楽部をつくり、大隈重信の不平等条約改正案に反対する。 |
| 小石川区議員を経て、翌年明治23年(1890年)第1回衆議院議員総選挙に大成会から出馬し当選。 |
| しかし翌年に辞職した。 |
| その後は子弟の養成と共に東京文学院を設立し、以後も國學院学監や東亜同文書院院長、東宮御学問所御用掛などを歴任。 |
| 官学崇拝も強く、当時の官公立中等教育のメッカである府立一中にも足を運び、「本校は帝都の第一中学であるのみならず、帝国の第一中学である」など講演にても国家の権威を高めることに尽力していた『東京府立中学』(岡田孝一、同成社、2004年5月)P33。 |
| 迪宮裕仁親王(摂政宮、のちの昭和天皇)の御進講役も勤め、さらに宮中某重大事件にては久邇宮家と結んで、山縣有朋に対抗した。 |
| 大正13年(1924年)死去。 |
| 墓所は東京文京区伝通院。 |
関連項目
| 日本学園中学校・高等学校-創立メンバー。 |
| 遵義堂-膳所藩の藩校。 |
| 香淳皇后-御成婚前の良子女王の時代。 |
関連人物
| 本多康穣-膳所藩最後の藩主。 |
| 黒田麹廬-膳所・遵義堂にて洋学を教わる。 |
| ロビンソン漂流記の和訳者。 |
| 夏目漱石-東大予備門校長時に在学。 |
| 正岡子規-東大予備門校長時に在学。 |
| 浜尾新-杉浦を東宮御学問所御用掛に推薦した人物。 |
| 穂積陳重-「日本民法の父」。 |
| 第2回文部省海外派遣留学生としてロンドン大学に学ぶ。 |
| 櫻井錠二-化学者・理論化学を重視。 |
| 増島六一郎 。 |
| 根津一(東亜同文書院院長)。 |
著書
| 『知己八賢』自ら尊敬する人物、高橋正功(坦堂、作也)、黒田麹盧、岩垣月洲、高橋呑象、ロスコー、ショーレマン、佐佐木高文、勝海舟ら8人を紹介したもの。 |
参考文献
| 猪狩史山『杉浦重剛先生小伝』1929。 |
| 渡辺一雄『明治の教育者杉浦重剛の生涯』毎日新聞社、2003。 |
| 石川哲三『新修杉浦重剛の生涯』大津梅窓会、1987(復刻)。 |
| 杉浦重剛全集刊行会『杉浦重剛全集』(全6巻)明治教育史研究会、1983(復刻)。 |
| 大町桂月・猪狩史山『杉浦重剛先生』杉浦重剛先生顕彰会、1986(復刻)。 |
| 藤本尚則『国師杉浦重剛先生』思文閣出版、1988(敬愛会昭和30年刊の複製)。 |
| 杉浦重剛『昭和天皇の学ばれた教育勅語』勉誠出版、2006。 |
| 杉浦重剛『教育勅語』べんせいライブラリー、2002(勉誠文庫、2000)。 |
| 猪狩史山・中野刀水『杉浦重剛座談録』岩波文庫、1941(1972復刊)。 |
| 大竹秀一『天皇の学校~昭和の帝王学と高輪御学問所~』ちくま文庫、2009。 |
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1876年
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第2回文部省派遣留学生に選抜されて渡欧 |
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1889年
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日本倶楽部をつくり、大隈重信の不平等条約改... |
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