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李霊キ
弟 友達
中国の唐の高祖李淵の十九男。母は宇文昭儀。学問を好み、草書・隸書をよくし、音律に通じて、若くして名声があった。同母兄の韓王李元嘉と特に親しかった。6... |
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李淵
唐朝の初代皇帝(在位:618年6月18日-626年9月4日)。隋末の混乱の中、長安を落として根拠地とし、恭帝侑を隋の正統として立て、その禅譲により唐朝を建国し... |
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太宗
太宗(たいそう)は唐朝の第2代皇帝(在位:626年9月4日-649年7月10日)。兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。唐王朝の基礎を固める善政を行い中国史上最高の... |
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高宗
皇太子(のちの元宗)を人質として差し出すことを条件にして降伏した。このモンゴルの侵攻で高麗は荒廃し、実質的には滅亡状態にあったという。服属後の高麗... |
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武則天
唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた(在位:690年10月16日-705年2月22日)。日本では則天武后(そくてんぶこう)と呼ばれることが多... |
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李元懿
中国の唐の高祖李淵の十三男。母は張宝林。621年、滕王に封ぜられた。633年、兗州刺史に任ぜられ、実封六百戸を受けた。636年、鄭王に改封された。鄭州と潞州... |
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李元昌
中国の唐の高祖李淵の七男。漢王に立てられた。 |
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李元軌
中国の唐の高祖李淵の十四男。霍王に立てられた。 |
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李元祥
中国の唐の高祖李淵の二十男。母は楊嬪。631年、許王に封ぜられた。637年、江王に徙封され、蘇州刺史に任ぜられ、実封八百戸を受けた。649年、実封は千戸まで... |
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蕭銑
隋末唐初に割拠した群雄の一人。曲阿郡武進県(現在の江蘇省武進県の西北)の人。 |
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李元則
中国の唐の高祖李淵の十二男。母は王才人。字は彝。621年、荊王に封じられた。633年、豫州刺史に任じられた。636年、彭王に改封され、遂州都督に任ぜられた。... |
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房陵公主
中国の唐の高祖李淵の六女。621年11月、永嘉公主に封ぜられ、竇奉節に降嫁した。654年、房陵大長公主に改封され、賀蘭僧伽に降嫁した。673年、九成宮の山邸で... |
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平陽昭公主
中国の唐の高祖李淵の三女。娘子軍を率いたことで知られる。 |
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房玄齢
房玄齢(ぼうげんれい 578年-648年)は中国唐代の政治家・歴史家。玄齢は字で、諱は喬。杜如晦と共に太宗の謀臣として玄武門の変において太宗の権力奪取を助... |
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梁師都
隋末唐初に割拠した群雄の一人。夏州朔方県の人。 |
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李元暁
中国の唐の高祖李淵の二十一男。母は魯才人。631年、密王に封じられた。635年、虢州刺史に任じられた。640年、実封800戸を受けた。649年、実封千戸まで加増さ... |
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李元吉
中国の唐の高祖李淵の四男。高祖の即位に伴い斉王に立てられ、太原を守ったが劉武周の侵攻を受けて失陥した。玄武門の変にて長兄の李建成とともに次兄の李世... |
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王世充
王世充(おうせいじゅう)は隋末唐初に割拠した群雄のひとり。 |
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李建成
唐の初代皇帝高祖李淵の長子。高祖の即位に伴い皇太子に立てられたが、玄武門の変にて弟の李元吉とともに次弟の李世民(太宗)に殺された。 |
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プロフィール
李 元嘉(りげんか、619年-688年)は、中国の唐の高祖 李淵の十一男。韓王に立てられた。字は 元嘉。
経歴
| 母の宇文昭儀は、宇文述の娘であり、高祖に寵愛され、高祖が即位すると、皇后に立つことを望まれたが、固辞した。 |
| 元嘉は母の受けた寵愛のために、特に高祖に愛され、後の諸子に及ぶ者がなかった。 |
| 621年、宋王に封ぜられ、のちに徐王に徙封された。 |
| 632年、実封七百戸を受け、潞州刺史となった。 |
| 潞州にいたとき、年は15で、母の宇文太妃が病の床についたと聞いて、涕泣して絶食した。 |
| 宇文太妃の喪が発せられると、哀哭することはなはだしく、太宗がつとめて慰めた。 |
| 元嘉は若くして学問を好み、蔵書は万巻におよび、古代の碑文を蒐集して古文字の異同を解析した。 |
| 弟の李霊夔と仲が良く、庶民の兄弟のように付き合っていた。 |
| 635年、右領軍大将軍に任ぜられた。 |
| 636年、韓王に改封され、潞州都督に任ぜられた。 |
| 649年、実封千戸まで加増された。 |
| 高宗の末年、沢州刺史に転じた。 |
| 武則天の統治のもと、太尉に進み、定州刺史にうつされた。 |
| 垂拱年間、元嘉は絳州刺史にうつされた。 |
| 688年、元嘉の子の李譔や越王李貞とその子の李沖とともに李氏の宗室を糾合して挙兵しようとしたが、李沖が済州で敗れ、元嘉は洛陽で捕らえられた。 |
| 元嘉は武則天に強いられて自殺した。 |
| 武則天により氏を「虺」と改められた。 |
| 元嘉には6人の子があった。 |
| 長男の李訓は、潁川王となり、早く亡くなった。 |
| 次男の李誼は、武陵王・濮州刺史となった。 |
| 李諶は、上党公・杭州別駕となり、父や弟に連座して死んだ。 |
| 李譔は、黄公となり、通州刺史をつとめたが、病のために辞し、越王李貞の起兵に呼応して父とともに自殺させられた。 |
| 五男の李訥が神龍初年に韓王の爵位を継いだ。 |
伝記資料
| 『旧唐書』巻64列伝第14「韓王元嘉伝」。 |
| 『新唐書』巻79列伝第4「韓王元嘉伝」。 |
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李元嘉さんについてのひとこと紹介
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