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つながりの強いひと
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盧武鉉
大韓民国の政治家、第16代目韓国大統領(2003年-2008年)。本貫は光州盧氏。カトリック教徒で、洗礼名はユストゥスだが、妻は仏教徒で遺骨も実家近くの仏教寺... |
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イ・ミョンバク
イ・ミョンバク氏当選 李明博氏略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%98%8E%E5%8D%9A
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金大中
大韓民国の政治家、第15代大統領(在任:1998年-2003年)。本貫は金海金氏。号は「後廣」(フグァン、)。ニックネームは忍冬草。略称はDJ。日本時代は豊田大... |
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朴槿恵
大韓民国の政治家。軍事政権の流れを汲む保守派ハンナラ党前代表。実際の姓名の発音は促音化により「パックネ」となるが、姓名をわかりやすくするために「パ... |
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鄭東泳
韓国の政治家、民主党最高委員。本貫は東莱鄭氏。全羅北道淳昌郡出身。ヨルリン・ウリ党議長や第17代韓国大統領選挙候補(大統合民主新党)を歴任。カトリッ... |
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李会昌
韓国の政治家。本貫は全州李氏。カトリック教徒で、洗礼名はオラフ。号は俓史(キョンサ、) |
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朴正煕
大韓民国の軍人・政治家。クーデターで政権を奪取して第5-9代大統領(在任:1963年-1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。号は「中樹」(チュン... |
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金泳三
大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年-1998年)。本貫は金寧金氏。号は「巨山」(コサン、)。略称はYS。実家は網元。植民地時代における創氏改名時の日本... |
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胡錦濤
胡錦濤氏=ロイター 解説 本名 胡錦濤(フー・チンタオ) 生年月日 1942年12月25日 出身地 上海市 現職 中国国家主席、共産党総書記、政治局常務委員、党・国... |
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趙甲済
趙 甲済 名前 趙 甲済 カナ チョカプチェ プロフィール 1945年10月、埼玉県生まれ。翌年、故郷の慶尚北道青松へ帰国。釜山高校を経て、釜山水産大(現、... |
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全斗煥
大韓民国(韓国)の軍人、政治家。韓国第11・12代大統領(在任:1980年-1988年)。号は「日海」(イレ、)。日本では、漢字の日本語読みで「ぜん・とかん」と... |
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李承晩
朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年-1960年)。本貫は全州李氏。号は「」(ウナム、)。字は「承龍」(スンニョン、)。日本ではかつて「... |
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高建
高建(コ・ゴン、1938年1月2日-)は韓国の政治家。ソウル出身。同国首相(第30・35代)。 |
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月山明博
日本名は月山明博。大阪の平野区出身。韓国の大統領を平野区出身だと紹介するのも違和感があるかもしれないが、歴史がそこにはある。李明博大統領は、現代建... |
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盧泰愚
大韓民国の軍人・政治家。第13代韓国大統領(在任:1988年-1993年)。2011年現在最後の軍人出身の大統領。号は「庸堂」(ヨンダン、)。 |
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温家宝
中華人民共和国の政治家。中国共産党中央政治局常務委員で、党内序列は第3位。2003年より、第6代国務院総理(首相)を務める。中国共産党の第4世代では最高指... |
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崔圭夏
大韓民国第10代大統領。号は「玄石」(ヒョンソク、)。字は「瑞玉」(ソオク、)。日本統治時代に使用した日本名は梅原圭一(うめはらけいいち)。 |
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金九
朝鮮の指導者・教育家,韓国の政治家・右翼運動家。本名は金昌洙(、キム・チャンス)、改名して(キム・グ、漢字表記は金龜または金九)、幼名は昌巖(、チャ... |
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柳明桓
大韓民国の外交官、政治家。外交通商部長官。 |
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黒田勝弘
産経新聞ソウル支局長、論説委員。鹿児島県出身、京都大学経済学部卒。共同通信社ソウル支局長を経て1989年より現職。2008年4月より、KBSワールドラジオ日本... |
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プロフィール
- 李明博とは
- 概要
- 成長過程および教育
- ビジネス経歴
- サラリーマン神話
- 政界入門とソウル市長時代
- 大統領選挙
- 大統領として
- 年譜
- 人物
- 対日姿勢
- 朝鮮半島大運河構想
- 語録等
- エピソード
- 関連サイト
李明博( イ・ミョンバク、、1941年12月19日-)は、韓国の政治家。現第17代大統領、元ソウル市長。日本の大阪府大阪市平野区出身。1945年までの日本での 通名は月山明博(つきやまあきひろ)。本貫は慶州李氏。号は「一松(イルソン、)」。
概要
| 現代建設社長、国会議員(ハンナラ党)などの要職を歴任した。 |
| 2002年にソウル特別市市長に就任し、都市改造政策等を行った。 |
| 2007年12月19日施行の大韓民国大統領選挙に出馬し、対立候補を圧倒的大差で破り、悲願の当選を果たした。 |
| 2008年2月25日、第17代大韓民国大統領に就任し、5年間の政権を正式に発足させた。 |
成長過程および教育
| 1941年、慶尚北道浦項出身の李忠雨(イ・チュンウ、)を母親とし、七人兄弟の第五子として大阪府中河内郡加美村(現:大阪市平野区加美南3丁目)島田牧場の社宅に生まれる島田牧場は現在の京阪牛乳。 |
| 社屋は1955年にいかるが乳業に売却され、今も同じ場所にいかるが乳業の本社がある。 |
| 父親は、1929年から現在の京阪牛乳の前身であった島田牧場で酪農関係の業務を担当し家族を養っていたが、一家は終戦直後の1945年10月に密航船に乗って、父親の故郷である浦項へ引き揚げた。 |
| その当時、高等学校への入学は限られた少数の特権であった。 |
| 彼のような大家族の場合、一般的に長男が家族の希望のような存在であった。 |
| この場合、下の兄弟たちは、兄や姉の教育費を賄うために自分の進学を諦めるのが普通で、彼も高等学校への進学を諦め、兄の教育費を稼ぐために母親の食品売りを手伝うつもりであった。 |
| しかし、中学校の教師が母親を説得し定時制の同志(ドンジ)商業高等学校に進学することになった。 |
| 高校で彼は奨学金の給付を受けながら昼間は仕事、夜は勉学に励んだ。 |
| 高校卒業後、ソウルの梨泰院に家族全員で移った。 |
| そこで李は「金がなくて中退したとしても、高卒よりは大学中退のほうがましだ」として、大学受験を決意、清渓川の古本屋で参考書を買い受験勉強を始めた。 |
| 市場で家業を手伝いながら、夜は当時学生の間で流行した眠気覚まし(アンナポン)を呑んで勉強した結果、高麗大学校商学部経営学科に合格。 |
| 肉体労働のアルバイトをして学費を貯め、1961年に進学した。 |
| 大学在学中に兵役を務めたが、気管支拡張症により除隊となった。 |
| 1963年に高麗大学校商学部学生会長になった翌年、同大学校総学生会長代行となる。 |
| その当時学生による民主化運動はピークに達し、日韓会談に対する抗議活動も非常に活発であった。 |
| 彼は1964年6月、約1万2千人が参加した朴正煕政権下、日韓基本条約締結に向けての日韓会談反対闘争を主導、第6次日韓会談を中止させる(6・3事態)。 |
| これにより国家内乱扇動の容疑で逮捕され、最高裁で懲役3年・執行猶予5年(西大門刑務所()に3ヶ月服役)の判決を受けた。 |
| このような経緯で彼は「民主化の一世代」とも言われるようになった。 |
ビジネス経歴
| 1965年に大学を卒業した後は、学生運動の経歴が祟って就職難に陥る。 |
| 社員が数十人という零細企業だった現代建設の面接まで辿り着いたが、そこでも経歴に難色を示されると、朴大統領に手紙を送るなど紆余曲折を経て、なんとか入社を勝ち取った。 |
| 赴任先のタイで強盗から金庫を命がけで守ったことで鄭周永に気に入られ、彼の薫陶の下、ビジネス界で辣腕を奮っていく。 |
| 1965年、現代建設はタイのパタニ・ナラティワート(Pattani-Narathiwat)高速道路の契約を受注した。 |
| 520万ドル規模のこのプロジェクトは韓国初の海外建設事業である。 |
| 李は新入社員であったにもかかわらず、プロジェクトチームの一員としてタイに派遣された。 |
| 同プロジェクト1968年3月に成功裏に完了し、李は帰国してソウルの現代建設重機事業所に配属される。 |
| 現代建設におけるパタニ・ナラティワート高速道路の成功的完成は、韓国の建設産業がベトナムや中東のような新しい海外市場の開拓の効果を促進させるようになる。 |
| 1960年代のベトナム建設需要の停滞により現代建設は中東地域へ目を向けることになる。 |
| アラブ造船・修理所、バーレーンのディプロマットホテルや「20世紀の偉大な歴史」とも言われるサウジアラビアのジュベイル(Jubail)工業港プロジェクトなど積極的に国際的なプロジェクトを手がけることになる。 |
| 当時韓国の建設企業は100億ドル以上のプロジェクトを受注し、石油危機による国家的危機を克服することに大きく貢献した。 |
| 李が入社した1965年には90人位しかいなかった現代建設の従業員は、彼が会長職を離れた27年後には16万人規模の大企業として成長した。 |
| 現代建設在職中である1970年に金潤玉と結婚して、1男3女をもうけている。 |
| 李は当時の韓国とソ連間の国交正常化過程においても一定の役割を果たした。 |
| さらに李はリー・クアンユー元シンガポール首相、カンボジアのフン・セン首相、マハティール・モハマド元マレーシア首相、江沢民元中国国家主席、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領など、海外の指導者らと交流を行った。 |
| 彼は27年間勤めた現代グループを離れた後、政界に進出することを決めた。 |
サラリーマン神話
| こうして29歳で取締役、36歳で社長、47歳で会長と出世街道を驀進し、現代建設を韓国のトップ企業に押し上げた経歴から、政界入り以前より既に経済人として伝説的な存在であり、「現代の韓国を創った50人」に選ばれるなど、韓国におけるサラリーマン神話の代表的人物とされている。 |
| 極貧から身を起こし、高校時代より5時間以上寝たことはなく、1日18時間働くと言われる猛烈人生は既に何度もドラマ化された他(「野望の歳月」(1990年、KBS)、「火の鳥」(2004年、MBC))、現代建設を退職し政界入りする際に出版した自叙伝『強者は迂回しない』(日本語訳は2008年10月に『李明博自伝』として新潮文庫より刊行)は95年の出版以来、韓国内で200版近く版を重ねるベストセラーとなっている重村智計『韓国の品格』三笠書房刊、2008年5月10日発行(122-123ページ)ISBN978-4-8379-2272-8。 |
政界入門とソウル市長時代
| 1992年現代建設を退社。 |
| 第14代総選挙(民主自由党)で当選し、国会議員として政界入りした。 |
| 選挙期間中、李は「ミハイル・ゴルバチョフという一人の人間がもたらした世界的な変革を見て、私も何かしなければと考えました」と言及している。 |
| 続く第15代総選挙(新韓国党)にも出馬し、この時盧武鉉を破って当選している。 |
| しかし、彼の選挙参謀による不明朗な選挙資金の処理が明らかになり、選挙法の違反で700万ウォンの罰金が科される前の1998年に議員を辞職し、失意の中で渡米。 |
| ジョージ・ワシントン大学客員研究員として1年間を過ごした。 |
| 大学で参加した演習で「環境」の重要性に気付き、知人に誘われて訪れたボストンでの都市再生工事(ビッグ・ディッグ)から、後の清渓川復元工事をはじめとする、一連の都市プロジェクトのヒントを得たという。 |
| 帰国後一時は金融界への進出を試みたが、恩赦によって政界復帰が可能となり、2002年のソウル特別市市長選で当選した。 |
| しかし、選挙活動を早期に開始したことで罰金を科される。 |
| ソウル市長在任中は、公共交通システムの再編、ソウルの森の造成といったインフラ整備を大々的に進めた。 |
| 中でも特筆されるのが、ソウルの中心部を通り抜ける清渓高架道路を取り除くことで、市民の大切な憩いの場「清渓川」を復元したことである。 |
| 彼の強力なプロジェクト推進によって、ソウルの中心部を流れる小川をみることができた。 |
| さらに、清渓川は市民の憩いの場だけではなく、生態系の宝庫となった。 |
| これをタイムズ誌アジア版は、2006年5月に清渓川に素足を入れた李の写真とともに、「ソウル、かつてのコンクリートジャングルのシンボルは緑のオアシスにその姿を変貌させた。 |
| そして、現在それは他のアジア都市に環境に対する愛情を教え込んでいる」と紹介した。 |
| 2007年10月、アメリカのアル・ゴア元副大統領とともにアメリカのタイム誌により「環境の英雄(HerooftheEnvironment)」に選定されたhttp://www.chosunonline.com/article/20071017000068『李明博氏、タイム誌が選ぶ「環境の英雄」に』。 |
| 2007年10月17日付朝鮮日報。 |
| また、英経済専門誌フィナンシャルタイムズの姉妹誌「fDi」により「2005年世界の人物大賞(personalityoftheyear)」を授与された「 |
| 李のもう一つの野心的なプロジェクトは「ソウルの森」である。 |
| これはニューヨークのセントラルパークやロンドンのハイドパークのような市民の憩いの場を目指すことであった。 |
| ここはソウル市民に40万本の木々や、鹿を始めとする100種以上の動物が生息している広大な自然空間を提供している。 |
| 「ソウルの森」はわずか1年間の工事を経て、2005年6月にオープンした。 |
| これによりソウル市庁前のロータリーは2002年のサッカーW杯大会の際に文化空間「ソウルプラザ」として整備され、2004年5月のテープカット以来、市民の憩いや文化行事に参加する場として利用されている。 |
| 2005年11月8日には2007年大統領選で左派政権継続阻止を掲げている新保守運動のニューライト全国連合創立大会に参加している |
大統領選挙
| 2007年5月10日、李は公式にハンナラ党(GrandNationalParty)の大統領候補選の出馬を表明した。 |
| 2007年末の韓国大統領選挙の前哨戦であるハンナラ党予備選挙(2007年8月20日)で、朴槿恵候補に勝利し、大統領選の党公認候補となった。 |
| 2007年8月、検察は中間発表で「我々は道谷洞土地について李の兄の主張を疑うが、土地の本当の所有者が誰であるかは確かめることができなかった」と述べた。 |
| 2007年9月28日に検察当局は、道谷洞土地の借名保有の疑いについて「我々は土地の売却代金の追跡や通話内容の照会などすべての調査をして真相が究明された」と公式に事件を終結させた。 |
| 李は大統領選挙を前にした各種世論調査でも人気は軒並み1、2位となり、その勢いをそのまま本番に持ち込み、同年12月19日施行の大統領選挙で与党系の大統合民主新党の鄭東泳を圧倒的大差で下して当選を果たした。 |
大統領として
| 2008年2月25日に、第17代大韓民国大統領に就任。 |
| 日本からは福田康夫首相のほか、中曽根康弘元首相、森喜朗元首相、重村智計早大教授らも出席した。 |
| 2008年4月に大統領就任後初の訪米・訪日を行い、日本のTBS系番組『筑紫哲也NEWS23』に出演しタウンミーティング形式で日本市民と会話した。 |
| 秋にはリーマン・ショックによる世界同時不況とそれに伴う景気悪化、株価下落や急激なウォン安に苦慮するなど、頼みの経済でも活路を見いだせず、綱渡りの政権運営が続いた。 |
年譜
| 1941年-大阪府中河内郡加美村(現:大阪府大阪市平野区加美南3丁目)で出生。 |
| 1960年-慶尚北道浦項市の同志(ドンジ、)商業高等學校(現:同志高等学校)卒業(夜間)。 |
| 1996年4月11日-第15代国会議員当選(新韓国党、ソウル鍾路区)。 |
| 2007年12月19日-2007年大韓民国大統領選挙、与党系の大統合民主新党候補の鄭東泳を大差で下して当選を果たす。 |
人物
| 信仰する宗教はキリスト教(長老派教会)であり、通っている教会の長老である。 |
対日姿勢
| しかし、当初は歴史認識問題に関してあまり積極的でなかった盧武鉉政権がその後期に、小泉首相の靖国神社参拝などを契機として歴史問題での批判的姿勢を強めたのに対し、李は2006年11月に訪日、安倍晋三総理(当時)と会談した際には、「韓国国民の三大懸案を未来志向的な解決に向け、積極的な努力をお願いしたい」と直接表現を避ける(この場合の三大懸案=歴史認識・竹島・靖国神社を指す)日本に配慮した姿勢を見せるなど、硬軟織り交ぜた態度をとっている。 |
| 日本統治時代に建てられた現ソウル市庁舎を太極旗で全面覆うイベントを開催『 |
| 日本の「歴史歪曲教科書」(具体的には新しい歴史教科書を作る会の教科書)採択阻止のため寄付金1億3200万ウォンを集金。 |
| ソウル南山に建設されるユースホステルに日本の修学旅行生を誘致して竹島(韓国名・独島)領有権や日帝(いわゆる「日本帝国主義」の韓国での呼称)の残虐性について学習する機会を設ける計画を考案。 |
| 「北朝鮮の国民生活を改善させるための財源となる400億ドルを国際機構と日本に出させる」主旨をSBSの討論番組で発言『 |
| 2008年1月7日に韓国統一部は同構想を受け、日朝関係改善による賠償資金として100億ドル(約1.1兆円)を日本に支払わせ、大韓民国政府による北朝鮮支援基金に充当する計画を明らかにした『 |
| 「わたし自身は新しい成熟した韓日関係のために、『謝罪しろ』『反省しろ』とは言いたくない」「日本は形式的であるにせよ、謝罪や反省はすでに行っている」 |
| 「過去に韓国が日本から受けた被害は『耐えられない』『忘れられない』内容だが、これに縛られず未来に進むということだ」「その結果が良ければ過去の傷や恨みは和らぐだろうが、日韓の貿易不均衡が改善されず、日本側から歴史認識を巡る『妄言』が続くようなら『痛みはもっと大きくなる』」また、北朝鮮に対する姿勢としては(李大統領が福田康夫首相との2008年4月21日の首脳会談で『拉致問題解決への協力』を述べたことについて)「日本が掲げる『拉致、核、ミサイルの包括的解決』を支持したわけではない」「日本がその路線に固執するなら自縄自縛に陥るだろう」と述べている。 |
| 2010年9月10日にロシアのヤロスラブリで鳩山由紀夫と会談した時に「日韓両国は地球上で最も良好な2国間関係を築ける」と発言している |
朝鮮半島大運河構想
| 2007年の大統領選挙に際し、李明博は韓国北部を流れる漢江と、韓国南部を流れる洛東江を運河で連結し、ソウルと釜山を水路で結ぶという構想を公約に掲げた。 |
| 2009年6月29日、「現政権ではそれを連結する計画ももっておらず、わたしの任期内には推進しない」と大運河建設を凍結することを明らかにした |
語録等
| 盧武鉉政権(当時)を批判する発言をして、政権与党であるウリ党から「親日発言」だと批判された。 |
| 「(ナチス党政権下のドイツの被害国に真心のこもった謝罪をした)西ドイツのアデナウアー首相を見習う必要がある。 |
エピソード
| 2005年9月27日、ソウル市長だった当時「ソウル近郊にディズニーランドを作る方案を検討している」と述べたが、当のウォルト・ディズニー・カンパニーからはその三日後に「韓国誘致は決定したことはなく、発表すべきこともない」とコメントされてしまった |
| 2008年5月6日にマイクロソフトのビル・ゲイツ会長と会談した際、螺鈿細工が施された特別仕様のXbox360をゲイツ会長からプレゼントされた |
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1941年
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慶尚北道浦項出身の李忠雨(イ・チュンウ)を... |
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1961年
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