| 本人は中堅手志望で、打順にはこだわりがないと発言。 |
| シーズン序盤からは中堅手としてのレギュラーが多かったものの、終盤には右翼手のレギュラーに定着した。 |
| 2007年、オープン戦では1番を中心に様々な打順をテストされ、その結果を踏まえ開幕戦では5番で起用された。 |
| 開幕から9試合連続安打を記録したものの、その後打率が.250近辺を低迷したことで、4月下旬からは森野将彦との入れ替えで7番に降格。 |
| 3番や1番を打たせた結果、8月下旬からは6番で起用された。 |
| 7月18日の対ヤクルト戦では日韓通算1500安打を達成。 |
| 9月4日の対巨人戦で、高橋尚成から来日初となる満塁本塁打を放つ。 |
| 韓国では走攻守揃った選手という評価だったが、レギュラーシーズンでは打率.262の割に低い出塁率.295で、三振は100を越え、盗塁0、守備の方も補殺0に終わる。 |
| しかしクライマックスシリーズに入ると豹変し、阪神との第1ステージ第2戦で上園啓史から3点本塁打を放った。 |
| 巨人との第2ステージ第2戦においても西村健太朗から貴重な追加点となる2点適時三塁打を放ち、次の打席では上原浩治からダメ押しのソロ本塁打を放つ。 |
| 続く日本シリーズの日本ハムとの第2戦でも押本健彦からダメ押し2点本塁打を放ち、打率は低かったがチーム最高の5打点をマークするなど短期決戦での勝負強さを見せた。 |
| アジアシリーズでは不調だったが、SKワイバーンズとの決勝戦で、金廣鉉から2点本塁打を放ち、チームのアジア一に貢献した。 |
| 12月に台湾で開催された北京オリンピックアジア地区予選に韓国代表として出場。 |
| 初戦の台湾戦に6番・右翼手で先発出場するも、6回に緩慢な守備で一塁走者の生還を許し、打撃でも4打数0安打2三振に終わったことから翌日の日本戦はスタメン落ち(試合途中守備で出場)となり、フィリピン戦では出場機会はなかった。 |
| 2008年シーズンは3番打者だった森野将彦の怪我もあり、開幕から3番・右翼手で起用される。 |
| その後は打率の低さから打順は7番が多くなるが、本塁打と打点は前年を上回るペースの成績であり、5月4日の対阪神戦で藤川球児から来日初のサヨナラ本塁打を放っている。 |
| 5月中旬には対横浜戦で満塁本塁打を放った。 |
| しかし交流戦に入ると右手親指の故障により成績が急落し6月10日に登録抹消、6月30日に一軍復帰し7月1日からの阪神との3連戦にスタメン出場するも12打数2安打4三振と結果を残すことが出来ず三連戦終了後に再び二軍降格となった。 |
| 更に北京オリンピック韓国代表からも外れてしまう。 |
| 再登録となった8月12日で第2打席に先制の3点本塁打、第5打席では勝ち越しのソロ本塁打と2本の本塁打を放ち8月は16試合の出場で3割1分3厘3本塁打16打点の数字を残した。 |
| その後しばらく開幕と同じ3番、終盤は1番として起用され約2ヶ月の離脱期間があったが規定打席には到達し、10月2日の対横浜戦では8回に三浦大輔から同点2点本塁打、延長10回には寺原隼人から勝ち越しの3点本塁打を放ち、岩瀬仁紀の10年連続50試合登板に花を添えた。 |
| 2008年の月間打率は3月は3試合で3割8分5厘、4月は2割3分7厘、5月2割1分8厘、6月1割8分2厘、8月3割1分3厘、9月2割2分2厘、10月は4割と好不調の差が際立っている。 |
| 最終成績は2割5分4厘16本塁打65打点の成績に終わった。 |
| 本塁打と打点は前年度より上昇したものの、打率は低下、前年に匹敵する三振を喫し併殺打も増加、また四球も少なかった。 |
| 結局打率・出塁率はそれぞれリーグワースト3位・2位という結果となった。 |
| 阪神とのクライマックスシリーズ第1ステージ第3戦の第1打席で岩田稔から死球を受け退場したが、巨人との第2ステージの出場には間に合い初戦ではセス・グライシンガーから先頭打者本塁打を放った。 |
| しかしこの試合から12打数連続無安打を記録、結局第2ステージでは2割1分1厘1本塁打1打点6三振という結果に終わりチームも敗退。 |
| 誕生日であった10月25日の第2ステージ第4戦ではレフトスタンドの中日ファン(応援団は来場せず)からハッピーバースデーが歌われ、第1戦以来の安打を打ったが、チームの敗戦により日本シリーズ出場を逃し悔しい誕生日となりシーズンを終えた。 |
| 2009年は来日早々「3割20本」の目標を掲げるものの、オープン戦で打撃不振となりさらに藤井淳志や新人の野本圭が台頭し、外国人枠からも漏れてしまい開幕を二軍で迎えることになった。 |
| 5月25日に一軍登録されるも、それ以降は一軍と二軍を行き来している。 |
| 平田良介や野本の不調により出場機会を得たが、得点圏打率は1割台にまで割り込み、打率も2割1分8厘と結果を出す事が出来なかった。 |
| 同年のファーム日本選手権に5番・指名打者として先発出場したのを最後にシーズン終了後、3年契約の満了を持って解雇通告を受け、10月26日をもってウエーバー公示の手続きがとられ、11月2日付けで自由契約となった。 |