| 朱子学者として、李滉と並び称される彼は決して儒学のみならず多種多様の学問を積み、従来の朱子学をさらに発展させた。 |
| 李滉は理気二元論において、理と気は互いに独立して対立しており、どちらか片方が欠けると宇宙を構成できないとした。 |
| それに対し李珥は、理は無形無為の存在であり気は有形有為の存在として、理は気の主宰者ではあるが気は理が乗るだけであり、一元論でも二元論でもなく宇宙の構成は理と気がそれぞれ互いを包括しているという気を念頭に置いた主張を行った。 |
| 「四端七情」と呼ばれる人の性に議論を置き換えてもそれは同じで、李滉は四端は理が発し気がそれに従い、七情は気が発し理がそれに乗るという理と気の相互の能動性を説いた。 |
| それに対し李珥は四端や七情がいずれも、気が発して理がそれに乗るという一つの形式であるという包括関係を説いた。 |
| 彼は儒学者ではあるがその学問を実際の社会である政治・経済・教育・国防などに対しても適用させ、様々な施策を提言した。 |
| 中でも1583年に14代国王宣祖に対し、「十万養兵」を説いたことが知られる。 |
| この提議は朝鮮が国防を軽視している現状から、やがて来るべき北胡(女真族)や南倭(日本)の侵略に対する施策として常備兵の必要性を説いたものだが、民たちに負担がひどいという理由で顧みられることは無かった。 |