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プロフィール
- 村上隆行とは
- アマチュア時代
- プロ野球選手時代
- 現役引退後
- プレースタイル
- その他
- 記録
- 背番号
- 登録名
- 現在の出演番組
- 過去の出演番組
- 関連項目
- 関連サイト
村上隆行(むらかみたかゆき、1965年8月26日-)は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球監督。 トゥルーマサに所属している。現役時代後半の登録名は村上嵩幸。
アマチュア時代
| 大牟田市で鮮魚商の家庭の長男として生まれ、弟と妹が一人ずついる。 |
| 歴木中学校で本格的に野球を始め、同じ大牟田市出身の原辰徳に憧れて三塁手を務めた週刊ベースボール、1989年1月9日号、P.166。 |
| 中学3年生の時には巨人の宮崎キャンプを見学し、原から声をかけられたという。 |
| 大牟田高校では1年生の間は一塁手、2年生からは投手を任された。 |
| 同級生に中島浩二がいた。 |
| 高校では練習試合で3階建ての校舎を越える本塁打を放つなど、強打でNPBのスカウトから注目されている週刊ベースボール、1989年1月9日号、P.167。 |
| 3年夏の県大会では勝負を避けられる事も多く、準々決勝で敗退。 |
| なお、同学年の藤王康晴の高校通算49本塁打を超える同52本を記録していたが、藤王への注目に対する反発から通算46本塁打と過少申告をしていたという週刊ベースボール、2001年5月28日号、P.38。 |
| 長打力のある高校生としては隣の佐賀県の岸川勝也も定評があったが、担当スカウトだった佐々木恭介が村上の獲得を強く主張し週刊ベースボール、1996年9月16日号、P.58、1983年のドラフト会議で近鉄から3位指名を受けて入団している。 |
プロ野球選手時代
| 1年目のに遊撃手にコンバートされ、二軍打撃コーチに就任した佐々木からマンツーマンで指導を受けて猛練習を重ねた。 |
| 一軍初出場となった9月29日の対日本ハムファイターズ戦では猛打賞を記録している読売新聞、1984年9月30日付朝刊、P.16。 |
| 入団2年目のに中西太が打撃コーチに就任すると打撃の才能が開花し、同年は失策が多かったものの打撃でアピールして遊撃手のレギュラーの座を獲得した週刊ベースボール、2001年5月28日号、P.39。 |
| シーズン通算で打率.274、16本塁打を挙げて新人王の候補に推されたが、打率.295、14本塁打でチームの優勝に貢献した熊野輝光に選考で敗れている週刊ベースボール、2001年5月28日号、P.40。 |
| 翌にはチーム3位の22本塁打を記録して打線の軸となり、同年のファミスタでは3球団合同チームのレイルウェイズで七番・遊撃手となるなど、世間でも注目度が上がっていた。 |
| は3月18日の中日とのオープン戦で帰塁の際に右足首を捻挫し読売新聞、1987年3月19日付朝刊、P.17、4月中旬からスタメンに復帰した。 |
| 同年のオールスターゲーム第3戦で2打席連続本塁打を放ち、優秀選手賞を受賞している読売新聞、1987年7月29日付朝刊、P.17。 |
| シーズン後半は打撃不振で真喜志康永と併用されるようになり、代打を務めることも多かった週刊ベースボール、1988年5月16日号、P.27。 |
| 同年オフに就任した仰木彬監督は各選手に複数の守備位置を担当する事を要求し、高い遊撃の守備能力を持つ真喜志の存在もあり、失策の多かった週刊ベースボール、1989年4月17日号、P.12村上は秋季キャンプから外野手にコンバートされている。 |
| リベラの退団もあり、はオープン戦で三塁手としても起用されていた週刊ベースボール、1990年3月12日号、P.11が、レギュラーシーズンでは主に中堅手を務めている。 |
| 5月26日の対西武戦で岡田展和から死球を受けて鼻骨と右手親指を骨折し読売新聞、1990年5月27日付朝刊、P.18、5月31日に手術を受けて長期離脱した。 |
| 7月に復帰し、規定打席には到達しなかったものの打率.327、10本塁打の成績を残している。 |
| は前年後半に引き続き長打力のある一番打者として期待されていた読売新聞、1991年3月6日付朝刊、P.18が、オープン戦終盤で右手のひらを骨折して一軍復帰は5月11日となった読売新聞、1991年6月12日付朝刊、P.18。 |
| 前年まで3年連続でケガが続いていたことから、心機一転のために登録名を村上嵩幸に変更し、引退まで使用した。 |
| 同年は6年ぶりに規定打席に到達して20本塁打を放ち、中堅手のレギュラーの座を奪取している。 |
| オフには1,600万円増の年俸5,200万円(推定)で契約を更改している毎日新聞、。 |
| また、11月15日のパ・リーグオールスター東西対抗では金石昭人から3ランホームランを放ってMVPを受賞し、同年で退任した仰木彬監督の最終戦に花を添えた読売新聞、1992年11月16日付夕刊、P.17。 |
| 翌には近鉄の選手会長に就任した週刊ベースボール、2001年5月28日号、P.41が、打撃不振で中根仁との併用が続いた1993年12月13日付夕刊、P.3。 |
| 同年は現状維持で契約を更改している朝日新聞、1993年12月14日付朝刊、P.21。 |
現役引退後
| 引退後はスカイ・Aで野球解説者を務める他、ABCテレビの「おはよう朝日です」にもスポーツキャスターとして出演していた。 |
| また少年野球で指導を行っていたほか、神戸市で居酒屋を運営していた。 |
| 、新設された大阪ゴールドビリケーンズの監督に就任し、同年の関西独立リーグで前後期ともに優勝している。 |
| 「おはよう朝日です」には引き続き出演し、試合のない日にはJSPORTSSTADIUMの解説にも登場している。 |
| 6月25日に発表されたチームの選手8人が野球賭博に関わっていた事件が発覚し、翌日から番組出演を自粛した。 |
| また事件に関与した選手が退団して選手が減少したため、7月30日に内野手として選手登録され現役復帰した。 |
| 同年オフにチームが解散している。 |
| 2011年、スポーツクリエイション(NPO法人申請予定、大阪市鶴見区)を運営母体とした新球団「06BULLS(ゼロロクブルズ)」の総監督に就任。 |
プレースタイル
| NPBで3本のサヨナラホームランと2本の満塁ホームランを記録するなど、勝負強さと長打力には若い頃から定評があった。 |
| 限界まで練習を積むことが試合で心の支えになると考え、若い頃は朝から早出特打を行なってチームの練習中にはマシン打撃、夕方と夜間にも練習し、さらに飲酒後に戻ってからも素振りをしていた。 |
| この猛練習で手のマメがつぶれた上に皮が固まらない状態が続き、テーピングをしても一度バットを握ると痛くて離せなくなるほどだったという。 |
| プロ入り後に取り組んだ遊撃手の守備は細かい動きが多いため、それほど好きではなかったと述べている。 |
| 一方で投手に声をかけることで自分のペースを作りやすく、内野守備自体は精神的に合っていた。 |
| 50m走6秒0の俊足や、投手も務めた強肩には定評があった。 |
| にはシーズン通算15盗塁を記録している。 |
その他
| 鮮魚店の息子という共通点もあり、中村紀洋には兄弟のように接してルーキー時代からよく面倒を見ていた。 |
| 後に元バレーボール選手の実妹・浩子と中村が結婚したため、村上は義兄となった。 |
| 村上が近鉄を退団した後は中村が背番号を3から5に変えて受け継いでいる。 |
| また妻の実姉は野林大樹と1991年に結婚し、2008年に離婚している。 |
| 打撃についてはコーチだった中西太から深く影響を受け、中西から聞いた「何苦礎(なにくそ)。 |
| 日々新たなり」という言葉をスパイクの内側や帽子のツバに書いていた。 |
| この言葉については相手に対して奮起する「何くそ」と「基礎を大事にして苦しみながら練習する」という意味があると解釈していたという。 |
記録
| 初出場:1984年9月29日、対日本ハムファイターズ戦(藤井寺球場)、九番・遊撃手として先発出場。 |
| 初安打:同上、田中学から。 |
| 初盗塁:同上、田中学と田村藤夫のバッテリーから。 |
| 初本塁打、初打点:1985年4月9日、対南海ホークス戦(大阪球場)、九回に矢野実からソロホームラン。 |
| オールスターゲーム出場:1回(1987年)。 |
| 通算1000試合出場 1995年6月17日、対ダイエーホークス戦(福岡ドーム)、七番・中堅手として先発出場(史上324人目)。 |
背番号
| 46(1984年-1986年)。 |
| 5(1987年-2000年)。 |
| 60(2001年)。 |
| 5(2009年-2010年)。 |
登録名
| 村上隆行(むらかみたかゆき)(1984年-1991年、2009年-)。 |
| 村上嵩幸(むらかみたかゆき)(1992年-2001年)。 |
現在の出演番組
| おはよう朝日です木・土曜スポーツコーナー担当。 |
| JSPORTSSTADIUM(JSPORTS)2010年より大阪ゴールドビリケーンズの監督兼任として、オリックス戦を担当。 |
| スカイ・Aスタジアム(スカイ・エー)かつては近鉄戦、楽天戦を担当。 |
| 現在はまれに阪神二軍戦担当。 |
過去の出演番組
| スーパーベースボール(ABCテレビ)。 |
| ABCフレッシュアップベースボール(ABCラジオ)。 |
| 近鉄バファローズアワー(ABCラジオ)。 |
関連項目
| 福岡県出身の人物一覧。 |
| 大阪近鉄バファローズの選手一覧。 |
| 埼玉西武ライオンズの選手一覧。 |
| 大阪ゴールドビリケーンズの選手一覧。 |
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1965年
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村上 隆行(むらかみ たかゆき)は、福岡県大... |
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1984年
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初出場:、対日本ハムファイターズ戦(藤井寺... |
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