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つながりの強いひと
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村崎義正
兄
元山口県光市議会議員(日本共産党)。山口県光市出身。「周防猿まわしの会」初代会長。1961年、部落解放同盟山口県連合会光支部の結成に参加。1960年代後半... |
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村崎太郎
村崎太郎(むらさきたろう、1961年3月10日-)は猿まわし師。株式会社「太郎倶楽部」代表取締役。 |
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小沢昭一
小沢昭一(おざわしょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年4月6日-)は日本の俳優、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇... |
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香月洋一郎
名前 香月 洋一郎 肩書き 神奈川大学経済学部教授 同日本常民文化研究所所員 プロフィール 1949年福岡県生まれ。一橋大学社会学部卒業。日本観光文... |
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上島敏昭
魔界と妖界の日本史 上島敏昭/著 出版社名 : 現代書館 出版年月 : 2009年4月 ISBNコード : 978-4-7684-6946-0
( 4-7684-6946-9 ) 税込価格 : ... |
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佐野眞一
日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 |
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村崎五郎
村崎五郎(むらさきごろう、1966年(?)-)は猿まわし師。本名は村崎義則。周防猿まわしの会所属。 |
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丸岡忠雄
師事
丸岡忠雄 まるおかただお ( 読書 ) 編集 注目の求人情報 [求人] 優和法律会計事務所への正社員転職 募集内容:未経験から法律のプロを目指せる【法... |
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今西錦司
日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)... |
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姫田忠義
兵庫県神戸市生まれの、ドキュメンタリー映画監督、映像民俗学者である。民族文化映像研究所(民映研)所長。特定非営利活動法人「地球ことば村・世界言語博... |
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永六輔
日本の元放送作家で、タレント、作詞家、エッセイストである。本名、永孝雄(えいたかお)。角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。血液型はAB型。映画エッセ... |
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重岡フジ子
重岡フジ子 しげおかふじこ ( アート ) 編集 注目の求人情報 [求人] 株式会社ダイジョブス への正社員転職 募集内容:【3年以内既卒者歓迎】番組制作スタ... |
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五月三郎
元猿まわし師の 五月三郎 、 重岡フジ子 の指導のもと、会は翌 1978年 7月に調教法を確立し、同年9月の光市におけるイベントで披露、猿まわし芸が復活。修二... |
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松木淳
松木 淳 職名 外科部長 卒業大学 新潟大学 卒業年次 1994年卒 取得資格 医学博士(新潟大学大学院医学研究科博士課程修了) 日本外科学会... |
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浅草雑芸団
現在も大道芸口上のテキストに使われている。坂野師がなくなってからは「ろくろ首の見世物」や「のぞきからくり」の復元、祝福芸「春駒」の復興(隅田川七福... |
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村崎梅二郎
猿まわし師の初代の村崎梅二郎を祖父に持ち、光市議に初当選と同じ年の1970年、 俳優 の 小沢昭一 がレコード『日本の放浪芸』シリーズのために光市を訪れたことをき... |
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坂野比呂志
坂野比呂志 さかのひろし ( アート ) 編集 注目の求人情報 [求人] 株式会社ホギメディカルへの正社員転職 募集内容:堅実な経営を続ける医療関連製品メー... |
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矢野誠一
日本の評論家。東京市生まれ。 麻布高等学校を経て文化学院卒業。落... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E8%AA%A0%E4%B8%80 Amazon.co.jp: ... |
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プロフィール
- 村崎修二とは
- 来歴・人物
- 編著
- 関連書
- 関連人物
- 関連サイト
村崎修二(むらさきしゅうじ、1947年-)は猿まわし師(自称、猿曳き芸人)。山口県光市出身。「猿舞座」座長。兄は猿まわしを復興させた 村崎義正。猿まわし師の 村崎太郎は甥。息子の村崎耕平は、元俳優・脚本家で、2005年から「猿舞座」に参加し、ともに活動している。
来歴・人物
| 高校卒業後、東京の「舞台芸術学院」で演劇を学ぶ。 |
| 卒業後は実家にかえり、詩人の丸岡忠雄に師事して、部落解放運動に携わる。 |
| 県連青年部長として、演劇・音楽などの文化活動を盛んに行った。 |
| 1970年、俳優の小沢昭一がレコード『日本の放浪芸』シリーズの「猿まわし」調査のために光市を訪れた際に、兄・義正とともに小沢に面会する。 |
| 当時は途絶えていた、自分たちの祖先が行っていた芸能である「猿まわし」をみつめ直すことを考え、身近にいた猿まわし巡業の経験者に、聞き取り調査を始める。 |
| さらに小沢からの依頼で、丸岡忠雄ともに猿まわし師の実態を詳細に調査・研究し、その内容を1974年から1977年まで、小沢が主催していた雑誌『芸能東西』に「周防じょうげゆき・考」として連載する。 |
| 1977年には民俗学者の宮本常一と知り合って師事し、「猿まわしの復活」を強く示唆される。 |
| そして、宮本や、宮本から紹介された今西錦司・姫田忠義らの支援を受けて、1977年12月に「周防猿まわしの会」が結成され、初代の会長には兄・村崎義正が就任。 |
| 修二は事務局長となった。 |
| 元猿まわし師の五月三郎、重岡フジ子の指導のもと、会は翌1978年7月に調教法を確立し、同年9月の光市におけるイベントで披露、猿まわし芸が復活。 |
| 修二も猿まわし芸を体得する。 |
| また、1978年~1988年の間、京都大学霊長類研究所の協同研究員として「サルの教育研究」に従事する。 |
| 1979年には、宮本からの依頼で猿まわしの民俗調査が行われ、三隅治雄、織田紘二、広瀬鎮ら学者グループと聞き込み調査を実施。 |
| 伝統芸能としての猿まわしの型について、さらに深く考察する。 |
| だが、「芸能集団としてのプロ化」を目指す兄・義正と、「民俗文化の伝承・研究」を考える修二とは対立する。 |
| 1981年1月の宮本の死去もきっかけととなり、1981年4月8日に4人のメンバーで「周防猿まわしの会」から離脱この事件は、村崎義正の著書『歩け!飛べ!三平』(筑摩書房)には「周防猿まわしの会の数人の若者が、サルと車を盗んで脱走した。 |
| 私は7月に彼らの潜伏先を突き止め、サルと車を返させた」と書かれている。 |
| このような状況であったため、修二のグループは「芸猿もないまま、一からの活動開始」を余儀なくされた。 |
| 同年8月に、かつての猿まわし師たちの根拠地であった周防高森(現・山口県岩国市周東町)を拠点とする。 |
| 1982年には丸岡忠雄の支援を得て「猿舞座」を結成。 |
| 五月三郎を師匠とし、「本仕込み」猿を無理に調教するのではなく、猿と仲間的関係になって芸を行わせる手法。 |
| この手法で仕込んだ猿は『花猿』と呼ばれると「里めぐり」という伝統的な猿まわしの芸態にこだわり、現在も活動を行っている。 |
| また、明治末に書かれた、東京の猿まわし師・九代目小川門太夫の残した『門太夫文書』をもとに、伝統的な猿曳き芸の継承を行っている。 |
| 1991年ごろからは、大道芸の「浅草雑芸団」(上島敏昭代表)とともに、巡業を行っている。 |
| 2007年5月には、1994年から13年間コンビを組んだ相棒のサル、二代目安登夢(あとむ、当時15歳)が引退した。 |
| また、フォークシンガーとしての活動を始めており、高石ともや(1972年から交流がある)とのジョイント・ライブ等を行っている。 |
編著
| 花猿誕生道ゆく芸能をもとめて村崎修二編著清風堂書店、1986年。 |
| 周防じょうげゆき・考丸岡忠雄著村崎修二編坂野比呂志大道芸塾,2008.7。 |
関連書
| 猿曳き参上村崎修二と安登夢の旅香月洋一郎・佐藤佳子編著、平凡社、1991年-村崎の旅のルポ。 |
関連人物
| 支援者(略歴に登場しない人物)。 |
| 四手井綱英。 |
| 猿舞座関係者。 |
| 形岡瑛創立者の一人。 |
| 現在は共産党市議会議員。 |
| 筑豊大介創立者の一人。 |
| 現在も猿まわし師として活動中。 |
| 瀬川十郎創立者の一人。 |
| 現在も猿まわし師として活動中。 |
| 三村三岳(所属の猿まわし師)。 |
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1970年
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俳優の小沢昭一がレコード『日本の放浪芸』シ... |
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1977年
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民俗学者の宮本常一と知り合って師事し、「猿... |
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