村田青朔氏の「お・ど・る/SAMPO」アット 大岡川 バウハウス的明快さとはまったく違う、村田青朔の「お・ど・り」のたのしさ。
まずは先日、上野の東京藝術大学大学美術館に「バウハウス・デッサウ展」を見にいってそこでバレエのフィルムの上映をみた時のことを書いておこう。バウハウスはその成り立ちからして建築や工芸(現代においてはインダストリアルデザイン?)が有名だが、カンディンスキーやクレー、モホリ=ナジが教鞭を執って今でいうところの美術教育とよく似た授業も行っていたらしい。
舞台芸術にも力が入っていたようで当時バウハウスの教員だったオスカー・シュレンマーの「トリアディック・バレエ」を再演したフィルムが上映されていた。しかもそれらの映像をバウハウス的長椅子に腰を下ろして楽しめたのはオドロキだった。
そのバレエの衣装のデザインの基本的方向はいかにもバウハウスっぽいというか ... もっと見る
村田青朔氏の「お・ど・る/SAMPO」アット 大岡川 バウハウス的明快さとはまったく違う、村田青朔の「お・ど・り」のたのしさ。
まずは先日、上野の東京藝術大学大学美術館に「バウハウス・デッサウ展」を見にいってそこでバレエのフィルムの上映をみた時のことを書いておこう。バウハウスはその成り立ちからして建築や工芸(現代においてはインダストリアルデザイン?)が有名だが、カンディンスキーやクレー、モホリ=ナジが教鞭を執って今でいうところの美術教育とよく似た授業も行っていたらしい。
舞台芸術にも力が入っていたようで当時バウハウスの教員だったオスカー・シュレンマーの「トリアディック・バレエ」を再演したフィルムが上映されていた。しかもそれらの映像をバウハウス的長椅子に腰を下ろして楽しめたのはオドロキだった。
そのバレエの衣装のデザインの基本的方向はいかにもバウハウスっぽいというか、身体を形へと還元するという、つまり基本的な形(フォルム)である円(球体)・三角形(三角錐)・四角形(円柱)というものに拠っている。それゆえ、コスチュームは人間の身体の一部分を簡単に素描するようなものになる。たとえば握りこぶしの球体、太股、手足や胴(樽状)の円柱などである。それらが大胆にコスチュームへと翻訳されて、コスチュームの足はあえて詰め物にによってその形(円柱)を強調され、また手の先には球体がはめ込まれることになる。つまりはドラえもんのヌイグルミであり、なんとか戰隊の悪役かなにかをラバーフォームで作り上げたようなコスチュームなのである。
その物体(人の入った)が音楽にあわせて動作(旋回やステップ)を繰り返す、というものだ。そういったバレエ?を再現した映像がいくつか紹介される。そのなかにチュチュを着たバレリーナが古典的なバレエの仕草であるつま先立ったまま(あれはなんといっただろう)の状態で画面のなかを移動しながら中心から螺旋を描いて旋回しやがて画面の外に消失していく、というものがある。
つまりバレエの動きについては古典的ながら、移動の方向は古典的な分割された平面を直線的に移動するのではなく螺旋である。ゼンマイが巻きほどけるように中心から外へ向かって旋回しながら離れていく円運動である。そういったことに明確な古典的バレエに対する批判を見て取ることができるように思う。現在においてはその批判のまなざしはいささかプリミディブすぎる嫌いはあるにしても、だ。
1920年代に作られたこれらの作品はおそらく当時としてはかなり批判色の強いモノであったはずである。長い歳月のあいだにバレエも変化していき、コンテクストの変遷の中でのこれらが時として苦笑いとともに鑑賞しなくてはならないものになっていたりもする。
しかしそれでもここで見ることのできるバレエへの批判と先進性のベクトルの矢印は太くはっきりとストレートに観る者に示されていることは変わらない。その清々しいまでの明快さこそがバウハウスの持つ価値(魅力)のひとつであり、多様化した価値観を持つがゆえに混沌とした世界に住まざるをえなくなってしまったわたしたちがこころ惹かれる理由になっているのかもしれない。一方でそのあまりに機能的で合理的な考え方が西洋的近代主義を極限まで押し進めた結果、今日のいささか行き詰まった世界を創り出してしまったのも確かなことなのだが。
バウハウスのバレエは古典的なバレエのもう一つの運動の方向、上へ向かう運動についてはほとんど言及していないようにおもえる。たしかにあのコスチュームで上方への飛翔を行うにはいささか無謀なような気もするが、ワイヤーなどによって空中につり上げるなどという方法もないわけではなかったはずだ。案外、実際にはそういったことが行われていてわたしが知らないだけなのかもしれない。しかし積極的に地を這うという表現には至っていないのだけはたしかだろう。
種村季弘の『畸形の神―あるいは魔術的跛者』では全編に東洋から西洋まで古今の跛者(ひしゃ)、つまり足の不自由な者の話があつかわれている。そのなかで日本の一僻村に残る祭りの踊り手の跛行のなかにシャーマニズムの歩法の名残りを読み取りながらその歩法の、土方巽らの暗黒舞踏への影響についても言及している箇所がある。理屈からいえば西洋的な、身体を機能から考えるバウハウス的身体運動にも跛行的運動は含まれていいはずなのである。しかし舞踊の世界にそのような跛行的演技(舞踏)が持ち込まれるのはもう少しのちの時代を待つしかない。
同じ二十世紀の初頭、パリのミュージック・ホールにおいてコレットは素肌に長い布を巻き付けただけの衣裳でミモドラム(パントマイムの一種)を踊り、スキャンダラスな名声を得ている。
・参考資料― コレットの新パントマイム「ロマニシェル」 ―
バレエへの批判的な視点とすればむしろこちらのほうが鋭いのかもしれない。しかし片や批判のための方法論をつくり上げたバウハウスと、きわめて個人的な感情の発露から生み出されたコレットの踊りとは最初から勝負にならない。
ムラタ氏自身のー ムーンライト・ヒーロー氏の 「SANPO」な ブ・ロ・グ ー によれば元舞踏演芸家であり、しかもいまだ現役でもある村田青朔氏の「お・ど・り」はそのような批判的な視点は持ち合わせていないかのようだ。しかしかれのなかのもう一人のムラタ氏が「踊り」とはなにかと考えることは、そのまま批評的態度に直結しているようにも思える。
現代において舞踊、ダンス、バレエ、舞踏なんと呼んでもいいがつまりはコンテンポラリーな身体表現はすべてを受け入れながらも、それでもなお新しい表現を求め続けている。復古や古典への回帰でもなく、はたまた執着や思いつきでもない新しい表現があるのか、と問えばそれはかなりムヅカしい。
だから元舞踏家の村田青朔の「おどり」のなかにかれの体験した舞踏の持っていた古層的な日本人観ものようなものがみえてしまうのは当然と云えば当然だろうし、そのような跛行的舞踏が西洋的ダンスの批判的産物として踊られたという時代があったことも忘れてはならないだろう。
明治以後の日本はおもに西洋の目で日本を見る、西洋学と云ってもいいものから出来ている。戦後においてこれに新しくつけ加えられる西洋現代思想はあっても日本の神話思想や仏教思想が表立って論じられる事は少なかったように思える。それらが戦時下で軍国主義と結びついて語られた影響なのだろうか。
そのなかで鈴木大拙の禅宗的日本人観や柳田国男の古層的信仰心に根ざす日本人観は今日のわたしたちの日本人観をもうまくとらえているいるように思える。この二人の偉大な研究者の日本人観は大きくことなっているがふだんわたしたちの考えている日本人観はこの、禅的なものと古層の神話的なものの間のどこかに落ち着くようにもおもえる。
先にあげた種村季弘は『畸形の神―あるいは魔術的跛者』のなかで古今の文化、ギリシャ・ローマや中世の西洋、中国と広く世界に例にとりながらもその視点の根底にはどちらかといえば鈴木大拙というよりは柳田国男のかんがえる古層からの日本人的信仰心があるのではないかと感じる。
舞踏家村田青朔の「おどり」も鈴木大拙的なもの、つまり禅問答的な一種の知的遊戯というよりも古層の民衆の愉しみとしての「踊り」の要素を強く感じさせる。それはかれの身体表現の資質に柳田国男寄りの古層的日本人観のほうをより多く持っているということなのかもしれない。
西洋と東洋、個人の情念と西洋的近代主義、バレエと舞踏、もと舞踏家でムーンライト・ヒーローでもあるムラタ氏と踊り手村田青朔氏、おおくの分裂したようにみえる事柄と、そのどちらでもない宙ぶらりんな状態。あるいはそれらが入り交じった混沌とした状態。かれの「お・ど・り」につきあって「散歩」をしているといささかそんなことを考えさせられるのだ。
いずれにしても村田青朔の「お・ど・り」はかなり個人的な、独り言ともいえないつぶやきのようなものである。それはかれの心象を表現しているかも知れないいくらかまとまりのある「ことば」のようなものであることもあれば、短い単語のようなものである時もある。もしかしたらそれは「かれ」のこころの中のことぱではなく、「わたし」のこころの中のことばなのかもしれない。そんなことを考えていると「お・ど・り」のつぶやきについていけなくなることもある。だが心配は無用である。どのみち彼の「お・ど・リ」への解釈はわたし自身の中で始まってわたしのなかで終わっているのだから。
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・スライドでたのしむムラタワールド
タグ: 身体パフォーマンス 舞踏 バウハウス 跛者(跛行) (00:51) この記事のトップへ 前の記事 │ 次の記事 戻る






























