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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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三条実美
日本の公卿、政治家。位階は正一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。号は梨堂(りどう)。新字体で三条実美(さんじょうさねとみ)と表記されることもある。右大... |
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四条隆謌
四条隆謌(しじょうたかうた、文政11年9月9日(1828年10月17日)-明治31年(1898年)11月24日)は江戸時代末期から明治時代にかけての日本の華族、陸軍軍人。... |
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伊達宗城
日本の大名・政治家。宇和島藩8代藩主。爵位は伯爵。大身旗本・山口直勝の次男。母は蒔田広朝の娘。正室は鍋島斉直の娘・益子。祖父・直清は宇和島藩5代藩主... |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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澤宣嘉
幕末期の公卿、明治の政治家である。幼名を隈麿。号は春川、小春。通称を主水正。 |
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岩倉具視
贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。 |
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黒田清隆
薩摩藩士、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。位階はは従一位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。通称は仲太郎、了介。新字体で黒田清隆(くろだきよたか)と表記... |
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柳原前光
山城国京(京都)出身の公家で、後に伯爵。大正天皇の生母・柳原愛子の兄。柳原家は日野資明を祖とする藤原北家の支流・日野家の流れを汲む。家格は名家。父... |
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鍋島直大
幕末期の大名。肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主。明治・大正時代の政府高官。侯爵。佐賀藩10代藩主・鍋島直正の次男。明治維新以前は茂実(もちざね)と称... |
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副島種臣
副島種臣(そえじまたねおみ、1828年10月17日(文政11年9月9日)-1905年(明治38年)1月31日)は日本の武士・佐賀藩士、官僚、政治家である。勲等は勲一等。... |
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山口尚芳
明治時代の官僚、政治家、もと佐賀藩士(武雄領出身)。父は山口尚澄。通称は範蔵(はんぞう)。 |
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島義勇
北海道開拓と神宮創祀のその功績を偲び、「島判官慰霊祭」が毎年催される。 |
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町田久成
幕末の薩摩藩士で明治時代の士族。島津氏庶流。実弟に小松清緝(改名前は町田申四郎実種)。小松清廉の妻の小松千賀は叔母。慶応元年、他の18名と共にイギリ... |
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大久保利通
日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また維新の十傑... |
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伊藤博文
日本の武士(長州藩士)、政治家。諱は博文(ひろぶみ)、幼名は利助(りすけ)、のち俊輔(春輔、舜輔)とも称した。「春畝(しゅんぽ)」、「滄浪閣主人(... |
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久坂玄瑞
日本の武士・長州藩士。幼名は秀三郎、名は通武、通称は実甫、誠、義助(よしすけ)。妻は吉田松陰の妹、文。長州藩における尊皇攘夷派の中心人物。贈正四位(... |
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中山忠能
江戸時代末期から明治時代前期にかけての公家、政治家である。明治政府の議定。父は藤原北家の花山院流権大納言・中山忠頼の長男、母は正親町三条実同の娘・... |
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木戸孝允
幕末から明治時代初期にかけての日本の武士、政治家。名の孝允は「こういん」と有職読みされることもある。位階勲等は贈従一位勲一等。長州藩士で、明治初期... |
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プロフィール
- 東久世通禧とは
- 生涯
- 系譜・家族
- 参考文献
- 関連サイト
東久世通禧(ひがしくぜみちとみ、1834年1月1日(天保4年11月22日)-1912年(明治45年)1月4日)は、江戸時代末期の公家、明治時代の政治家。
生涯
| 天保4年(1833年)、東久世通徳(みちなる)の子として京都に生まれる。 |
| 幕末の朝廷で少壮の公家として尊皇攘夷を唱え活躍した。 |
| しかし文久3年(1863年)、八月十八日の政変によって、朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移ると、長州藩兵に守られ、三条実美・三条西季知・澤宣嘉・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳とともに船で長州へ逃れた。 |
| このことを世に「七卿落ち」という。 |
| 元治元年(1864年)、長州から大宰府に移された。 |
| 慶応4年(1868年)、王政復古によって復権を果たす。 |
| 1月17日に外国事務総督の一人となり、明治政府最初の外交問題・神戸事件の対応責任者となった。 |
| 3月19日には横浜裁判所総督となった。 |
| 通禧の在任した半年の間に神奈川裁判所総督・神奈川府知事と名称が変遷したこの職は現在の神奈川県知事に相当するものである。 |
| 明治2年(1869年)8月25日、第二代開拓長官に任命された。 |
| 前任の鍋島直正が実務にとりかかる前に辞職したため、実質的に開拓使の事業を始動させたのは通禧である。 |
| 9月21日、開拓使吏員、農工民約200人をともない、イギリスの雇船テールス号で品川を出帆。 |
| 9月25日に箱館に着任した。 |
| なお、明治2年9月には王政復古の功績として賞典禄1000石を給されている。 |
| 明治4年(1871年)10月15日、侍従長に転じる。 |
| この年、岩倉具視を全権とする岩倉使節団に随行し、見聞を広める。 |
| 明治15年(1882年)元老院副議長。 |
| 華族令施行に伴い、明治17年(1884年)伯爵に叙されている。 |
| 東久世家の家格は羽林家であり、本来は子爵相当であったが、明治維新における通禧の功が考慮されて伯爵とされた。 |
| 叙爵の時点で功績が考慮された公家は、岩倉具視や三条実美など数少ない。 |
| 明治21年(1888年)枢密顧問官、明治23年(1890年)貴族院副議長、明治25年(1892年)枢密院副議長を歴任した。 |
| 国立国会図書館憲政資料室に関連文書が所蔵・寄託されている。 |
系譜・家族
| 東久世家は、村上源氏久我家の分家。 |
| 父:東久世通徳。 |
| 妻:貞子(黒川盛貞長女)。 |
| 養子:東久世通暉(久我建通四男)。 |
| 長男:東久世通敏。 |
| 三男:東久世秀雄(分家、男爵)。 |
参考文献
| 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)。 |
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1833年
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東久世通徳(みちなる)の子として京都に生ま... |
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1834年
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東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ、(天保4... |
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