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つながりの強いひと
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宗祇
室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/いいお)というが定かではない。生国は、紀伊とも近江とも言われている。 |
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山内一豊
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。土佐山内氏の当主。父は岩倉織田氏の重臣・山内盛豊、母は法秀尼(法秀院とする説もある。尾張の土豪・梶原... |
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正徹
室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号は清巌(岩)、庵号は招(松)月庵。石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国... |
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馬加康胤
室町時代の武将。本姓は平氏。千葉満胤の次男で、千葉康胤(ちばやすたね)とも。兼胤の弟で胤直・胤賢の叔父。輔胤、馬加胤持の父(輔胤については異説あり... |
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井上宗雄
国文学者、立教大学名誉教授。早稲田大学大学院博士課程中退。早稲田大学高等学院教諭、立教大学助教授、1966年「中世歌壇史の研究南北朝期」で立教大文学博... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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島津忠夫
島津忠夫(しまづただお、1926年9月18日-)は日本の国文学者。専攻は中世文学、主に連歌・俳諧・和歌。大阪大学名誉教授。文学博士。 |
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藤原定家
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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斎藤妙椿
室町時代、戦国時代の武将・僧侶である。美濃守護代斎藤宗円の子で斎藤利永の弟。幼少時から出家し善恵寺で修行する。同寺に持是院(じぜいん)という子院を... |
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飯尾宗祇
いいおそうぎ【飯尾宗祇】 (1421〜1502) 室町 ( むろまち ) 時代 後期の 連歌師 ( れんがし ) 。 生国はわからない。めぐまれない 環境 ( かんきょう ) ... |
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心敬
室町時代中期の天台宗の僧、連歌師である。連海、心恵、心教ともいう。紀伊国に生まれる。幼いときに出家し、比叡山で修行。44あるいは45歳のころ園城寺仏地... |
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細川幽斎
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名、歌人。号は幽斎玄旨。一般に俗名の藤孝(ふじたか)で知られる。また一時期、領地の長岡を名字としてい... |
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一条兼良
室町時代の公卿・古典学者。名は一般にはかねらと読まれることが多い。関白左大臣・一条経嗣の六男。官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮。桃華叟、三関... |
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尭孝
室町時代中期の僧・歌人。武家の二階堂氏。父は僧で歌人の尭尋。和歌四天王の一人頓阿の曾孫にあたる。養子に僧で歌人の尭憲、弟子に尭恵・三条西公保がいる... |
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足利成氏
室町時代から戦国時代の武将。第5代鎌倉公方(1449年-1455年)、初代古河公方(1455年-1497年)。父は永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏。鎌倉公方就... |
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原胤房
室町時代中期の武将。原胤親の子。胤隆、胤継の父。受領名は越前守または越後守。原氏は千葉氏の庶流。九州千葉氏の祖となった千葉宗胤の末裔との説もある。... |
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三条西実隆
室町時代の公家。内大臣三条西公保の次男。官位は正二位・内大臣。名はもと公世、公延。号は逍遙院。 |
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宗砌
室町時代中期の連歌師。山名時熙・持豊(宗全)父子の家臣で、俗名を高山民部少輔時重と称した。連歌を梵灯庵に学んだ。永享5年(1433年)、「北野社万句」に... |
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専順
室町時代中期の連歌師。京都六角堂(頂法寺)の僧。柳本坊・春陽坊などとも号する。華道で有名な池坊の26世といわれている。30歳代半ばから「文安月千句」、... |
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古河公方
室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方足利成氏が、享徳の乱の際に鎌倉... |
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プロフィール
東常縁(とうつねより)は、室町時代から戦国時代の武将であり、歌人でもある。美濃篠脇城主。父は東益之。官職が下野守だったため東野州と一般には称される。生年については、応永12年(1405年)説、同14年(1407年)説もある。東氏は千葉氏一族の武士の家柄であったが、先祖の東胤行は 藤原為家の娘婿にあたり、東氏は女系ながら 藤原定家の血をひく。
生涯
| 室町幕府奉公衆として京都にあり、冷泉派の清巌正徹にも和歌を学ぶが、宝徳2年(1450年)、正式に二条派の尭孝の門弟となる。 |
| 康正元年(1455年)、関東で享徳の乱が発生、それに伴い下総で起きた本家にあたる千葉氏の内紛を収めるため、8代将軍足利義政の命により、嫡流の千葉実胤・自胤兄弟を支援し馬加康胤・原胤房と戦い関東を転戦した。 |
| だが、古河公方足利成氏が常縁に敵対的な介入を図ったために成果は芳しくなかった上、同行していた酒井定隆も成氏に寝返った。 |
| 更に関東滞在中に応仁の乱が発生し、所領である美濃郡上を守護土岐成頼を擁する斎藤妙椿に奪われたが、これを嘆いた常縁の歌により所領の返還がかなった。 |
| 文明3年(1471年)、宗祇に古今伝授を行っている。 |
| 後年「拾遺愚草」の注釈を宗祇に送っている。 |
| 常縁は古今伝授の祖として注目されるが、当時の歌壇の指導者であったわけではなく、むしろ二条派歌学の正説を伝えた歌学者としての功績が大きい。 |
| 家集には「常縁集」、歌学書には「東野州聞書」がある。 |
関連項目
| 集外三十六歌仙。 |
| category:室町・安土桃山時代の歌人。 |
| category:室町時代の人物。 |
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1450年
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正式に二条派の尭孝の門弟となる |
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1471年
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宗祇に古今伝授を行っている |
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