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つながりの強いひと
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東郷位照
はじめ重矩。のち位照に改める。母は比志島義時の孫娘で、位照は家老比志島範房の養父の甥でもある。 |
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徳川五郎太
尾張国尾張藩の第5代藩主。第4代藩主・徳川吉通の長男。母は吉通の正室である九条輔実の娘・輔姫。父・吉通が25歳の若さで死去したために跡を継いだが、相続... |
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島津重豪
江戸時代の島津氏第25代当主。薩摩藩の第8代藩主。いわゆる「蘭癖」大名のひとりとされる。 |
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マリ・デュラン
フランス 改革派 のキリスト者。15歳の時 ローマ・カトリック に捕らえられ、コンスタンスの塔に監禁された。以後、38年間そこから出ることができず、 1768... |
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徳川虎吉
江戸幕府中期の第6代将軍・徳川家宣の5男である。第7代将軍・徳川家継の異母弟で、3兄の徳川大五郎の同母弟である。正徳元年(1711年)8月、第6代将軍・徳川... |
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土御門泰邦
江戸時代中期の公卿・陰陽家。土御門泰福の末子。兄泰連の養子。墓所は京都梅小路梅林寺にある。土御門泰福の嫡男泰誠は父に先立って病死、そのため、弟の泰... |
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内藤政醇
江戸時代の大名。陸奥湯長谷藩の第4代藩主。正徳元年(1711年)、第3代藩主・政貞の長男として生まれる。享保7年(1722年)、父の死去により跡を継ぎ、享保10... |
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ツィンカ・パンナ
「ツィンカ・パンナ」の検索結果 Yahoo!画像検索結果 - ツィンカ・パンナ 楽団創設の祖とされる女性ヴァイオリニ... www1.odn.ne.jp/... ツィンカ・パン... |
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鳥居忠求
下野壬生藩の嫡子。第3代藩主・鳥居忠意の長男。正室は溝口直温の娘。子は鳥居忠貴(長男)、竹村嘉道(次男)、娘(加藤泰賢継々室)、娘(松下正卜室)、娘... |
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東郷実友
薩摩藩士。幼名は仲太郎、通称は吉左衛門。東郷重弘の次男、東郷重友を家祖とする東郷氏6代目当主。宗旨は禅宗。父の実家の親族である篠崎七郎左衛門正心より... |
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山本五郎左衛門
江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪。姓の「山本」は、『稲生物怪録』を描いた古典の絵巻のうち、『稲生物怪録絵巻』を始めとする絵... |
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東郷実猗
幕末の薩摩藩士。幼名は勝熊、神熊。通称は四郎兵衛。諱は実猗、明治時代に重猗に改名。野村彦兵衛の門人となり、砲術萩野流皆伝。宗旨は禅宗のち日蓮宗。一... |
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五島盛道
肥前福江藩の第7代藩主。五島家第27代当主である。 |
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乾隆帝
清の第6代皇帝(在位1735年10月8日-1796年2月9日)。諱は弘暦(こうれき)、廟号は高宗(こうそう)。在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。 |
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松平康福
江戸時代中期の大名、政治家。老中、老中首座。はじめ5万400石だったが加増され6万余石となる。石見浜田藩主、下総古河藩主、三河岡崎藩主を経て再び浜田藩主... |
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佐久間信喜
江戸時代の旗本。佐久間氏の一族。実は佐久間信詮の三男。佐久間信秋の養子となった。通称は代三郎、政之進、主膳、宇右衛門。母は某氏。妻は佐久間信仍の娘... |
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朽木稙綱
丹波福知山藩の第3代藩主。福知山藩朽木家4代。宝永7年(1710年)11月21日、第2代藩主・朽木稙元の長男として生まれる。享保6年(1721年)に父が死去したため... |
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木下利潔
備中国足守藩の第6代藩主。足守藩木下家6代。第4代藩主・木下利貞の次男・木下藤栄(はじめ金森姓)の三男。母は坪内定鑑の娘。正室は木下公定の養女(木下公... |
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池上四郎
池上 四郎(いけがみ しろう) 所属 有機化学講座創薬化学教室 職位 主任教授 学位 薬学博士 部屋番号 2408(... |
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加納久堅
江戸時代の大名。伊勢国八田藩主。従五位下近江守。一宮藩加納家2代。紀州藩士・加納政信の子。 |
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プロフィール
- 東郷実はるとは
- 年譜
- 人物等
- 著作
- 家族・親族
- 参考文献
東郷実昉(とうごうさねはる、宝永8年1月28日(1711年3月16日)-寛政元年(1789年))は薩摩藩城下士。通称は弥八左衛門、藤右衛門。 東郷位照の嫡子で 東郷実満の孫。剣術示現流五代目。「三州御治世要覧 巻37」によると久保之英や大山後角右衛門、 山本権兵衛の親族である 山本五郎左衛門、 奈良原喜左衛門の先祖である奈良原助左衛門と同じ4番与小番に所属していた。演武館初代剣術師範の一人でもある。
年譜
| 正徳4年頃、4歳のときに父位照と別居理由は不明だが、位照の遠島と関係があるか?し、母とともに母の実家にいき、そこで育つ。 |
| 享保8年(1723年)に父東郷位照の廃嫡後、父に代わり、実満の嗣子となる。 |
| 享保18年(1733年)、実満の死去に伴い家督を継承した。 |
| 寛保初期、薬丸兼慶、実昉や叔父実賢が成長したことを受け、家伝の剣術に打ち込むとして宗家代理の役目を降る。 |
| 延享年間、叔父の実勝が藩主島津宗信の恩赦により終身流刑地から戻る。 |
| 宝暦3年(1753年)11月8日、藩主島津重年に示現流を上覧。 |
| 明和2年(1765年)、藩主島津重豪に示現流を上覧。 |
| 安永2年(1774年):太刀流剣術家大山貞政らとともに武芸稽古所(のちの演武館)の剣術師範の一人に選ばれる。 |
| 安永4年(1775年)8月6日に隠居。 |
人物等
| 享保18年(1733年)、実満の死去に伴い家督を継承した。 |
| 実昉は若年な上、母方で育ったこともあり、流儀に未熟であった。 |
| このため、薬丸兼慶(長左衛門、入道活慶)が隠居した島津吉貴の命を受け、お家流の示現流の指南を代行した。 |
| 実昉は薬丸兼慶、救仁郷伯水とともに稽古した。 |
| しかし実満からは初段の打しか伝えられなかった。 |
| 東郷家の伝承が失われることを恐れた弟子達は、実満に伊集院俊方(実満三男)に相伝するように求めた。 |
| 実満は不承不承従った。 |
| 実昉は、俊方より残りの打を学んだという。 |
| とはいうものの技術は未熟であったため、叔父の実勝や門弟から軽んじられていたことが「示現流聞書喫緊禄附録系図」からうかがえる。 |
| 実勝にいたっては、実昉を軽んじたことが吉貴の逆鱗に触れ、終身流刑になった程である。 |
| 祖父の死後、叔父実勝が、示現流内で実権を握っていた。 |
| このためか「抄名墓録」近思録崩れの処分者の本田親孚作。 |
| 同書は「本藩人物誌」の底本のひとつである。 |
| では東郷実満(同書では重治)のあとは、実昉の叔父実勝が継いで、実勝が示現流中興の祖の実乙の祖父とする誤りが掲載される始末である。 |
| 「示現流聞書喫緊禄附録系図」によれば父の位照が遠島から帰ってきたときに、父を東郷家に迎えたが、叔父の実勝も遠島から帰ってくると、父を追い出したという。 |
| 叔父の東郷実勝が終身流刑地の沖永良部島から戻ると、道場は実勝に仕切られることになった。 |
| 「鹿児島県史料集旧期雑録後編6」の資料によると、稽古所の日割では1日目の指導者となっている。 |
著作
| 執筆年は不詳だが、著作「打の説明」がある。 |
| 鹿児島県立図書館に複写がある。 |
家族・親族
| 母:竹下種昌の娘。 |
| 妻:野村良昌(「嶋津家分限帳」の厩方に「115石 野村勘兵衛」とある人物は息子)の娘。 |
| 子:三男(東郷実乙、川崎良貞、東郷実辰)。 |
参考文献
| 「平姓東郷氏氏族系図」。 |
| 宮下満郎「池上四郎伝補説」(「敬天愛人」第20号別刷、西郷南州顕彰会)。 |
| 「薩州島津家分限帳」青潮社。 |
| 久保之英「示現流聞書喫緊禄附録系図」天明元年。 |
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1711年
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東郷 実昉(とうごう さねはる、宝永8年1月28... |
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1723年
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父東郷位照の廃嫡後、父に代わり、実満の嗣子... |
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