| 東京都港区出身。 |
| 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。 |
| 1975年にアナウンサーとしてTBS(東京放送、現:東京放送ホールディングス)に入社(2004年10月より、当時のTBSの企業再編により、ほかの全アナウンサーとともにTBSテレビへ出向)。 |
| 慶應の同期にフジテレビの堺正幸がいる。 |
| スポーツ実況をメインにする傍ら、1986年10月2日から『ザ・ベストテン』の司会を黒柳徹子とともに務めた。 |
| 黒柳とのやりとりも軽快で、その司会ぶりは好評だった。 |
| なお松下が同番組に最初に出演したのは久米宏の降板直前の頃で、1985年5月〜9月まで不定期ながら司会補助を務めていた。 |
| この時はテロップに「TBSアナウンサー」という冠がついていたが、正式に司会を務める時には無くなっていた。 |
| 昭和最後の木曜日だった1989年1月5日に同番組の司会を卒業し、渡辺正行らに引き継いだ。 |
| 松下は同番組の司会を2年3ヶ月間務めたが、これは初代司会者の久米宏に次いで2番目の長さである。 |
| その他、1987年から2003年まで『ニューイヤー駅伝』の実況を務めた。 |
| さらにかつてのTBSのドミノ倒しの実況も、殆どを松下が行っていた。 |
| 人事異動となる2008年5月までは『マスターズ・トーナメント』などの実況(地上波放送のみ)を担当していた。 |
| また、1980年代にはとんねるずと険悪で有名だった。 |
| 先述の『ザ・ベストテン』では「くだらない歌ですね」と松下が発言、とんねるずが自身のラジオ番組『とんねるずのオールナイトニッポン』で松下批判を実名で繰り返した。 |
| ザ・ベストテンではとんねるずがドロップキックを冗談半分に喰らわし、「松下に蹴り!生放送だから消せない!」と歌の途中でコメントしたこともある。 |
| しかし数ヵ月後、同番組に出演したとんねるずに黒柳徹子が「あなたたち仲が悪いの?」と聞いたところ、とんねるず石橋と松下の双方が「和解しました」と話した。 |
| また、オールナイトニッポンでは「食事にいった」とのこと。 |
| 2008年4月16日放送の『明石家さんちゃんねるスペシャル』で、糖尿病を患っていることを明らかにした。 |
| 2008年5月14日付のTBS定期人事異動発令で松下は「編成制作本部編成局アナウンス部スペシャリスト局次長」の任を解かれ、TBS「経営メディア本部経営企画局局次長」へ異動することが明らかになった。 |
| これにより、松下は33年間のアナウンサー生活に終止符を打った。 |
| テレビでは、2008年5月15日のBS-iとTBSニュースバードで放送された横浜ベイスターズVS読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)の実況がアナウンサーとして最後の担当だった |
| 同年7月5日放送TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』に、安住の強い希望によりゲスト出演した。 |
| 放送の中で、松下は先述のような異動となったいきさつを話し、5月8日のTBSラジオ『エキサイトベースボール』の読売ジャイアンツVS阪神タイガース戦の数日後に人事担当者から辞令を言い渡されたという。 |
| そして、5月8日当日のラジオでの最後の実況の録音が流れた後、後輩アナウンサーの小林麻耶・小倉弘子・土井敏之・初田啓介の順で松下に対するメッセージが流れ、最後に松下は「今後ともTBSのテレビ・ラジオをよろしくお願いします」という趣旨の挨拶をして出演を終えた。 |
| 2009年3月22日の『サンデージャポン』にワールド・ベースボール・クラシック絡みのゲストコメンテーターとして出演(肩書きは「世界のマツシタ」)。 |
| アナウンスの現場から離れてからは初めてテレビに顔を出す形となった。 |
| 2009年3月29日午後11時55分から30日午前0時10分までのTBS大改編記念ドミノで、『TBSアナウンサー』の肩書きで、実況として出演した。 |
| 2011年3月21日~4月7日にはTBSチャンネルでマスターズ・オフィシャル・フィルムのナビゲーターとして出演。 |
| 番宣では顔出し出演となった。 |
| 現在の夫人はテレビ高知のアナウンサーだった谷沿圭子(最初の夫人とは死別)。 |
| 松下が『ザ・ベストテン』司会を務めていた時に、全国のJNN系列の女子アナがTBSに集合し、そのときテレビ高知からは谷沿が参加していた。 |
| ちなみに彼女との婚約発表は、同番組内で行って披露宴の模様も同番組の「延長戦」で放送された。 |