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つながりの強いひと
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プロフィール
松井栄造(まついえいぞう、大正6年(1917年)-昭和18年(1943年)5月28日)は、昭和初期の旧制中等学校野球(現・高校野球)、大学野球の選手。左投げ左打ち。
略歴
| 静岡県浜松市出身。 |
| 浜松市立元城小学校卒業後、岐阜市立岐阜商業学校(現・岐阜県立岐阜商業高等学校)野球部の後援会長にスカウトされて岐阜商に進学する。 |
| 昭和8年(1933年)、控え投手兼中堅手で春の甲子園に出場し、決勝戦で完封勝利を挙げ、岐阜県代表校として初の栄冠をもたらす。 |
| その後、昭和10年(1935年)春、昭和11年(1936年)夏の大会でも全国優勝し、岐阜商の黄金時代を築いた。 |
| その決め球である大きな縦のカーブは1m以上の落差があるといわれ、「三尺」のあだ名がついた。 |
| 5年生の夏から肩痛に悩まされ、進学した早稲田大学野球部では打者に転向。 |
| 「1番左翼」で華麗なバッティングを見せて活躍し、神宮の森を沸かせた。 |
| リーグ通算65試合出場、202打数54安打、打率.267。 |
| 早稲田大学卒業後、志願して陸軍に入営。 |
| 昭和18年(1943年)5月28日、中国湖北省の宣昌県桃家坊で頭部貫通銃創で戦死。 |
| 財団法人野球体育博物館の戦没野球人モニュメントにその名が刻まれている。 |
| また、岐阜市内の長良川球場には、松井の投球フォームを模した銅像が建てられている。 |
甲子園成績
| 第10回選抜中等学校野球大会(昭和8年春)・・・優勝。 |
| ○6-5静岡中、○5-3鳥取一中、○3-0海草中、○4-0広島商、○1-0明石中。 |
| 松井はエース広江の控えで中堅手として出場していたが、明石中との決勝戦で突如登板を命じられ、見事に期待に応えて完封、優勝投手となった。 |
| 第11回選抜中等学校野球大会(昭和9年春)・・・2回戦敗退。 |
| ○4-2呉港中、●4-5小倉工。 |
| 今大会も広江が主戦として活躍し、松井は中堅手で出場した。 |
| 第12回選抜中等学校野球大会(昭和10年春)・・・優勝。 |
| ○11-2徳島商、○5-0島田商、○3-2愛知商、○5-4広陵中。 |
| 今大会から名実共にエースとなり、加藤三郎と名バッテリーを組んで2回目の優勝を果たした。 |
| 第13回選抜中等学校野球大会(昭和11年春)・・・2回戦敗退。 |
| ○3-2広島商、●0-2松山商。 |
| 第22回全国中等学校優勝野球大会(昭和11年夏)・・・優勝。 |
| ○18-0盛岡商、○4-1鳥取一中、○9-1和歌山商、○7-1育英商、○9-1平安中。 |
| 中等学校最後の大会は、他校を寄せ付けない堂々たる戦いっぷりで夏の大会初出場初優勝を果たした。 |
| 松井は盛岡商戦で3本の三塁打を放つ(現在も大会記録)など、投打にわたり活躍した。 |
| なお、選抜での11勝は大会記録である。 |
| 学制改革があったので、現在この記録を破るのは不可能。 |
| 並ぶのも困難5回に1回の記念大会を含んで連覇をするのが最低条件。 |
| それに加え2つの大会とも全試合に自分が投げて自分に勝ちをつけることと最大の試合数になるくじを引く運が必要。 |
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1933年
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控え投手兼中堅手で春の甲子園に出場し、決勝... |
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1943年
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中国湖北省の宣昌県桃家坊で頭部貫通銃創で戦死 |
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投票数
0
| ふりがな |
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| 性別 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 |
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松井栄造さんについてのひとこと紹介
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