| 昭和25年(1950年)4月14日東京都において父松崎正臣、母松崎三重子の次男として生まれる。 |
| 兄の松崎正策は、平成8年(1996年)10月20日施行の第41回衆議院議員選挙において神奈川8区から自由民主党公認候補として出馬し、当時新進党に所属していた中田宏に惨敗した経歴を持つ。 |
| 都立日比谷高校を経て、東京大学法学部を卒業し、アメリカに渡り、ハーバード大学大学院を修了。 |
| M.A.の学位を取得する。 |
| 在米中、エドウィン・ライシャワー、エズラ・ボーゲルの下でハーバード大学日本研究所研究員(AssociateinResearch)を務める。 |
| 昭和57年(1982年)自由民主党総合政策研究所の設立にともない主任研究員に就任する。 |
| 自民党幹事長付、同総裁付を経て、昭和62年(1987年)社会工学研究所政治分析センター主幹に就任する。 |
| 平成元年(1989年)現代政治分析センターを創設し、同センター代表に就任し、日米の比較政治論や自由民主党の研究、分析を著作し、マスメディアを通じて精力的に行う。 |
| 佐藤誠三郎との共著『自民党政権』は長らく自民党研究の古典だった。 |
| 平成4年(1992年)細川護煕の日本新党結成に参加する。 |
| 政策部会長として、日本新党の政策を立案した。 |
| その後、組織委員長として細川に次ぐ党№2であったが、党事務局との対立が先鋭になったため細川とはギクシャクしたといわれる。 |
| 同年7月26日の第16回参議院議員通常選挙に比例区で立候補する。 |
| 日本新党は、この選挙では4人の当選を果たす(細川護煕、小池百合子、寺沢芳男、武田邦太郎)が名簿5位に搭載されていた松崎は次点となり、落選する。 |
| その後、組織委員長を小池百合子と交代し、総務委員長に就任する。 |
| しかし、松崎は平成5年(1993年)6月23日に日本新党を党員としての適格に著しく欠けるという理由で除名される。 |
| 背後には、党事務局との確執や、松崎の第40回衆議院議員総選挙への立候補に関するトラブルがあったとされる。 |
| 松崎は日本新党をすでに除名されていため、平成5年(1993年)7月18日に施行された第40回衆議院議員総選挙に細川護煕、小池百合子が立候補したことに伴い、名簿搭載6位の小島慶三および7位の山崎順子(円より子)の2名が繰り上げ当選する。 |
| 松崎はこれを不服として、除名処分による比例名簿除外は無効であること、松崎が繰り上げ当選していること、円より子の繰り上げ当選は無効であるとする訴訟を起こした(日本新党繰上補充事件)。 |
| 平成6年(1994年)11月29日に東京高等裁判所では松崎の主張が認められ勝訴するが、平成7年(1995年)5月25日、最高裁判所では松崎の主張が退けられ敗訴判決が確定した。 |
| 平成8年(1996年)9月29日民主党結成に参加する。 |
| 同年10月20日施行の第41回衆議院議員総選挙に埼玉10区で民主党公認で立候補するが比例復活もできずに惨敗落選(惜敗率58.3%)する。 |
| 平成12年(2000年)6月25日施行の第42回衆議院議員総選挙に再度立候補するが惨敗落選(惜敗率68.0%)する。 |
| 平成15年(2003年)11月9日施行の第43回衆議院議員総選挙において比例区北関東ブロックでようやく復活当選(惜敗率85.8%)する。 |
| ちなみに10年前の日本新党除名に伴って、松崎に代わって参議院議員に繰り上げ当選した円より子は当時民主党副代表。 |
| 衆議院国土交通委員会委員、政治倫理・公選法改正特別委員会委員、民主党埼玉県連常任幹事を務める。 |
| 平成17年(2005年)9月11日施行の第44回衆議院議員総選挙で圧倒的な小泉旋風の前になすすべもなく惨敗落選(惜敗率66.8%)する。 |
| 平成21年(2009年)8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙で初めて小選挙区で当選する(2期目)。 |
| 民主党本部は元職の松崎を当選させるため行田邦子参議院議員を選対本部長に招き、鳩山由紀夫代表や菅直人代表代行などが次々に選挙区入りをして松崎を応援した。 |
| 菅直人代表代行は選挙期間中に2回も埼玉10区入りするほどの熱の入れようであった。 |
| 無駄を省くとしてリサイクル自転車で選挙区巡りをし話題となった。 |
| 平成22年(2010年)9月14日執行の民主党代表選挙では小沢一郎支持を明確にし、メディアに多数出演して小沢支持を訴えた。 |
| しかしお膝元の民主党埼玉10区総支部においては党員サポーター票は僅差ではあったが菅直人に1ポイント入る結果となり「面目ない結果」とHP上で感想を述べた。 |