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会津藩
陸奥国(後の岩代国)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県の一部を治めた藩。藩庁は若松城(会津若松市)。最大版図は陸奥国北会津郡、耶麻郡、河沼郡、... |
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孝明天皇
江戸時代末期に在位した第121代天皇。在位は1846年3月10日(弘化3年2月13日)‐1867年1月30日(慶応2年12月25日)。幼称は煕宮(ひろのみや)。諱は統仁(おさ... |
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松平容敬
江戸時代後期の大名。陸奥会津藩主。会津松平家第8代。 |
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徳川慶喜
江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年‐1868年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職... |
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松平義建
父
江戸時代の大名。美濃高須藩の第10代藩主。自身に特筆すべき治績は少ないが、息子は高須四兄弟を筆頭に多くが幕末期に活躍した。 |
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松平春嶽
幕末から明治時代初期にかけての大名、政治家。第16代越前福井藩主。春嶽は号で、諱は慶永(よしなが)である。他に礫川、鴎渚などの号を用いたが、生涯通し... |
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徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
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近藤勇
江戸時代末期の新選組局長、幕臣。勇は通称、諱は昌宜(まさよし)。慶応4年(1868年)からは大久保剛、のちに大久保大和。家紋は丸に三つ引。 |
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保科正之
江戸時代の大名。会津松平家初代、陸奥会津藩初代藩主。江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。 |
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松平定敬
幕末の桑名藩第4代藩主(藩主在任:安政6年(1859年)-慶応4年(1868年)。京都所司代。定綱系久松松平家13代。官位は従四位上左近衛権中将(明治維新後に従... |
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徳川慶勝
江戸時代後期の大名。尾張藩(名古屋藩)14代・17代藩主。明治時代初期の政治家。尾張藩支藩であった美濃国高須藩主・松平義建の次男。母は徳川治紀の娘。兄... |
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西郷頼母
江戸時代後期、幕末期の会津藩の家老。家禄1700石。父は西郷近思(ちかし)、母は律子、兄弟多数。妻は千重子。子は長女細布子、次女瀑布子、長男吉十郎有鄰... |
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井伊直弼
幕末の大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の... |
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芹沢鴨
幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長。前名は下村嗣司。諱は光幹。本姓は平氏。家系は常陸平氏の平成幹の流れを汲むという芹沢氏。父は芹沢... |
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板倉勝静
江戸幕府の奏者番・寺社奉行・老中首座(筆頭)。備中松山藩の第7代藩主。板倉家宗家13代。 |
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榎本武揚
江戸幕末~明治期の武士・幕臣、政治家。海軍中将正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名前は「えのもとぶよう」と有職読みされることもある。 |
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家老
武家の家臣団のうち最高の地位にあった役職で、複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営した。 |
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照姫
照姫(てるひめ)は室町時代の伝説上の女性。石神井城(東京都練馬区)城主豊島泰経の二女(長女または豊島泰明の妻という説もある)。名は照日姫とも。練馬... |
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プロフィール
- 松平容保とは
- 会津藩主
- 京都守護職就任
- 会津戦争
- 晩年
- 死後
- 官職および位階等の履歴
- 家系
- 逸話
- テレビドラマ
- 映画
松平容保(まつだいらかたもり)は、江戸時代末期の大名・陸奥国 会津藩9代目藩主であり、また最後の藩主でもある。血統的には水戸藩主 徳川治保の子孫である。京都守護職。美濃国高須藩主・ 松平義建の六男で母は側室古森氏。高須四兄弟の1人。現在、徳川宗家は直系、 徳川慶喜家、尾張徳川家は傍系で、血統上は容保と同系である(四男恒雄の子孫)。
会津藩主
| 天保6年(1836年2月15日)に江戸の四谷にあった高須藩邸で生まれる。 |
| 弘化3年(1846年)に8代藩主・容敬(高須松平家出身で実の叔父)の養子となり、嘉永5年(1852年)に会津藩を継ぎ藩主となる。 |
| 万延元年(1860年)に桜田門外の変が起こった際には、水戸藩討伐に反対し、幕府と水戸藩との調停役につとめた。 |
京都守護職就任
| 文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任する。 |
| はじめ容保や家老の西郷頼母ら家臣は、京都守護職就任反対の姿勢を取った。 |
| しかし政事総裁職・松平春嶽が会津藩祖・保科正之が記した『会津家訓十五箇条』の第一条「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」との家訓を引き合いに出すと、押し切られる形で就任を決意。 |
| 最後までこの遺訓を守り佐幕派の中心的存在として戦い、江戸幕府と運命を共にした。 |
| 京都守護職に就任した容保は会津藩兵を率いて京都へ上洛。 |
| 孝明天皇に拝謁して朝廷との交渉を行い、また配下の新選組などを使い上洛した14代将軍徳川家茂の警護や京都市内の治安維持にあたった。 |
| 会津藩は幕府の主張する公武合体派のメンバーとして、反幕派の尊王攘夷と敵対。 |
| 八月十八日の政変では長州藩の勢力排除に動き、孝明天皇から容保の働きを賞揚する宸翰(天皇直筆の手紙)と御製(天皇の和歌)を内密に下賜された。 |
| 慶応3年(1867年)に15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行い江戸幕府が消滅すると同時に京都守護職も廃止された。 |
| その後鳥羽・伏見の戦いが勃発し大坂へ退いていた慶喜が戦線から離脱するのに従って、弟の松平定敬らとともに幕府軍艦で江戸へ下った。 |
| 慶喜が新政府に対して恭順を行うと、江戸城など旧幕臣の間では恭順派と抗戦派が対立し、会津藩内でも同様の対立が起こった。 |
会津戦争
| 容保は会津へ帰国し、家督を養子の喜徳へ譲り謹慎を行う。 |
| 西郷隆盛と勝海舟の会談により江戸城の無血開城が行われると、新政府軍は上野戦争で彰義隊を駆逐して江戸を制圧すると北陸地方へ進軍する。 |
| 容保は幕府派の重鎮と見られて敵視され、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の中心として新政府軍に抗戦して会津戦争を行い篭城し、降伏勧告に応じて佐川官兵衛らに降伏を呼びかける。 |
晩年
| その後は鳥取藩に預けられ東京に移されて蟄居するが、嫡男・容大(かたはる)が家名存続を許されて華族に立てられた。 |
| 容保はそれからまもなく蟄居を許され、明治13年(1880年)には日光東照宮の宮司となった。 |
| 正三位まで叙任し、明治26年(1893年)12月5日に東京・目黒の自宅にて肺炎のため死亡する。 |
| 死の前日には明治天皇から牛乳を賜った。 |
| なお、容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったのだが、彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。 |
| また会津戦争については周囲に何も語ることはなかった。 |
| 墓所は福島県会津若松市の松平家院内御廟。 |
死後
| 昭和3年(1928年・明治維新から60年目)、秩父宮雍仁親王(大正天皇第2皇子)と松平勢津子(松平容保の六男・恒雄の長女)の婚礼が執り行われた。 |
| 会津松平家と皇族の結婚は、朝敵会津藩の復権であると位置づけられているといわれる。 |
| また、同年には子母澤寛『新選組始末記』、平尾道雄『新選組史禄』が刊行されており、この年は維新後に逆賊とされた、新選組再評価の転機となる年であった。 |
官職および位階等の履歴
| ※日付は明治4年までは旧暦。 |
| 天保6年12月29日、美濃国高須藩主・松平義建の六男として江戸藩邸で誕生。 |
| 弘化3年(1846年)。 |
| 4月27日、陸奥国会津藩世子となる。 |
| 12月16日、従四位下侍従兼若狭守に叙任する。 |
| 嘉永5年(1852年)。 |
| 閏2月25日、藩主となる。 |
| 12月16日(1853年1月25日)、左近衛権少将に転任する。 |
| 万延元年(1861年)12月12日、左近衛権中将に転任する。 |
| 肥後守如元(以後、会津中将の称が生じる)。 |
| 文久2年(1862年)閏8月1日、京都守護職に補任。 |
| 正四位下に昇叙。 |
| 文久3年(1863年)12月30日、朝議参与に補任。 |
| 文久4年(1864年)。 |
| 2月11日、京都守護職を免じ、陸軍総裁職に補任。 |
| 2月12日、参議に補任されるも固辞。 |
| 2月13日(3月20日)、軍事総裁職に転職(陸軍総裁職の名称変更による)。 |
| 改元して元治元年3月14日、朝議参与辞職。 |
| 4月7日(5月12日)、軍事総裁職を免職。 |
| 4月22日、京都守護職に復職。 |
| 慶応3年(1867年)4月23日、参議に補任(以後、会津宰相の称が生じる)。 |
| 慶応4年(1868年)。 |
| 1月10日、解官。 |
| 2月4日、致仕。 |
| 2月8日、登城禁止処分となる。 |
| 改元して明治元年11月2日、因幡国鳥取藩に幽閉。 |
| 12月7日、鳥取藩に永預り処分となる。 |
| 明治2年(1869年)12月7日、紀伊国和歌山に遷される。 |
| 明治4年(1871年)。 |
| 3月14日、陸奥国斗南藩に預替となる。 |
| 明治5年(1872年)2月14日、預り処分を免ずる。 |
| 明治9年(1876年)11月1日、従五位に叙位。 |
| 明治13年(1880年)。 |
| 2月2日、栃木県日光市山内鎮座の日光東照宮宮司に就任する。 |
| 3月13日、東京都台東区上野鎮座の上野東照宮祠官を兼務する。 |
| 明治17年(1884年)、日光東照宮宮司並びに上野東照宮祠官を免職。 |
| 明治20年(1887年)。 |
| 栃木県日光市山内鎮座の二荒山神社宮司も兼務する。 |
| 明治21年(1888年)、東京府皇典講究所監督を兼務。 |
| 明治22年(1889年)、栃木県皇典講究所監督を兼務。 |
| 12月4日、正三位に昇叙。 |
逸話
| 磐梯山が噴火した際、旧領の猪苗代、裏磐梯地域は大きな被害を受けた。 |
テレビドラマ
| 新選組始末記(1961年-1962年、TBS、演:外山高士)。 |
| 花の生涯(1963年、NHK大河ドラマ、演:花柳武始)。 |
| 三姉妹(1967年、NHK大河ドラマ、演:中村又五郎)。 |
| 竜馬がゆく(1968年、NHK大河ドラマ、演:岩井大三郎)。 |
| 大奥(1968年、フジテレビ、演:疋田圀男)。 |
| 勝海舟(1974年、NHK大河ドラマ、演:児玉泰次)。 |
| 獅子の時代(1980年、NHK大河ドラマ、演:二代目片岡秀太郎)。 |
| 白虎隊(1986年、日本テレビ年末時代劇スペシャル、演:風間杜夫)。 |
| 翔ぶが如く(1990年、NHK大河ドラマ、演:若松武)。 |
| 徳川慶喜(1998年、NHK大河ドラマ、演:畠中洋)。 |
| 新選組!(2004年、NHK大河ドラマ、演:筒井道隆)。 |
| 白虎隊(2007年、テレビ朝日新春スペシャルドラマ、演:東山紀之)。 |
| 新選組血風録(2011年、NHKBSブレミアム、演:林泰文)。 |
映画
| 徳川一族の崩壊(1980年、東映、演:萬屋錦之介)。 |
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天保6年に江戸の四谷にあった高須藩邸で生ま... |
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8代藩主・容敬(高須松平家出身で実の叔父)... |
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