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つながりの強いひと
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長嶋茂雄
千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現役時代のポジションは内野手(主に三塁手)。右投右打。血液型はB型。現役... |
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川口和久
鳥取県鳥取市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。2011年からは読売ジャイアンツの投手総合コーチを務める。 |
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山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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田尾安志
大阪府大阪市西区出身の元プロ野球選手(外野手)・監督・野球解説者。香川県三豊市生まれ。東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。 |
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石井浩郎
秋田県南秋田郡八郎潟町出身の元プロ野球選手(内野手、1990年-2002年)、実業家、政治家(2010年-)。 |
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吉村禎章
奈良県御所市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は読売ジャイアンツの一軍打撃コーチ。サッカー元日本代表の岩淵功は岳父にあたる。 |
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淡口憲治
兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は東京ヤクルトスワローズの打撃コーチを務めている。 |
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緒方耕一
熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手)。現役時代は甘いマスクで女性に人気があった。愛称は「熊本のプリンス」「マイクを持った盗塁王」。現在はTBSラ... |
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福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ヤッターマン」、「絶好調男」。現在は日本テレビ野球解説者及びスポーツニッポン新聞社専属評... |
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高橋慶彦
日本の元プロ野球選手(内野手)である。現在は千葉ロッテマリーンズ二軍監督。 |
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岡田彰布
大阪府大阪市中央区出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球評論家。からオリックス・バファローズの監督を務める。 |
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福本豊
大阪府大阪市生野区出身の元プロ野球選手(外野手)。通算盗塁数の日本記録保持者(達成当時は世界記録)で、「世界の盗塁王」の異名を持つ。引退後はコーチ... |
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河埜和正
愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。同じく元プロ野球選手の河埜敬幸は実弟。 |
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松本哲
院長 松本 哲宜(まつもと てつのぶ) 平安神宮の北、左京区聖護院に「まつもとクリニック」を開院しました。
高雄病院で研鑽してきたアトピー、アレルギー疾... |
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鹿取義隆
高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現役時代は巨人、西武で中継ぎ・抑えとして活躍した。現在はスポーツ報知で野球評論家、RFラジオ日... |
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堀内恒夫
山梨県甲府市出身の元プロ野球選手(投手)・監督。ニックネームは「悪太郎」、「甲府(甲斐)の小天狗」、「ホリさん」等。現在は日本テレビ野球解説者。 |
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柴田勲
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球解説者。高校時代は甲子園の優勝投手でもある。別名「銀座の盗塁王」(フジテレビ系『プロ野球ニ... |
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岡崎郁
大分県大分市出身の元プロ野球選手(内野手)。2011年からは読売ジャイアンツの一軍ヘッドコーチを務める。 |
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真弓明信
福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。引退後は野球解説者、コーチを経て、2009年から阪神タイガースの監督を務めている。史上最強の一番... |
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衣笠祥雄
京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手(内野手)。京都市立洛東中学校、平安高等学校出身。現在は野球解説者。愛称は「鉄人」。 |
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プロフィール
- 松本匡史とは
- 現役時代
- 引退後
- エピソード
- 年度別打撃成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 参考文献
- 関連項目
松本匡史(まつもとただし、本名:松本哲(読み同じ)、1954年8月8日-)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。引退後は野球解説者、プロ野球指導者、プロ野球監督として活動している。現役時代は青い手袋と銀縁のメガネがトレードマークだった。
現役時代
| 報徳学園高校を経て、早稲田大学では内野手として東京六大学のリーグ盗塁記録を塗り替え、早稲田の全日本大学野球選手権大会優勝に貢献した。 |
| リーグ通算67試合出場し260打数61安打、3本塁打、35打点、57盗塁、打率.235。 |
| 卒業後は社会人野球の日本生命に進む予定だったが、1976年のドラフト会議で読売ジャイアンツ(以下、巨人)から5位で指名され入団する。 |
| 肩の脱臼がクセになっていたこともあって伸び悩んでいたが、1979年に肩を手術するとともに外野手にコンバートされる。 |
| 同年秋に長嶋茂雄監督が静岡県の伊東スタジアムで行った「地獄の伊東キャンプ」で、俊足を生かすために右打ちからスイッチヒッターに転向する。 |
| 当初は全くボールが飛ばなかったが、練習を続けた結果1981年には柴田勲の後の巨人の1番打者に定着し打率3割をマーク。 |
| 8月15日に神宮球場で行なわれた対ヤクルト戦では、振り逃げを取り消された直後に本塁打を打っている。 |
| 1982年、1983年に盗塁王を獲得。 |
| 1983年に記録した年間76盗塁はセ・リーグ記録。 |
| 走塁のために特注のワンピースユニフォーム(ヘッドスライディング時に砂が入るのを防ぐため)、また青色の手袋を着用し当時の巨人のビジターユニフォームが水色であった事とも併せて「青い稲妻」のニックネームを付けられる。 |
| これは赤い手袋を着用した「赤い手袋・柴田勲」にあやかったものである。 |
| 弱肩ではあったが、守備範囲の広い中堅手として守備の要としても活躍。 |
| 1981年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。 |
| ウォーレン・クロマティ加入後の1985年からレフトを守ることが多くなり、1987年、新本拠地東京ドーム完成に伴う外野守備陣の強化と簑田浩二(阪急)の交換要員として名前が挙がったことで事実上戦力外となり、現役引退。 |
引退後
| 引退後は日本テレビの解説者を経て1989年から巨人守備走塁コーチ、1995年から二軍監督に就任した。 |
| 2002年からスカウトとしてフロント入り。 |
| 2006年、東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチに就任。 |
| 監督の野村克也は松本を採用した理由について「延々夜中まで野球の話をしても、時計も全く見ず、嫌な顔一つせずに話を聞いてくれるところが気に入った」と石橋貴明に語っている。 |
| コーチ辞任後、2007年はスカイ・Asports+とフジテレビONEの「プロ野球ニュース」で、2008年からは東北放送(TBC)で野球解説を務める。 |
エピソード
| 巨人から指名された当初、入団に前向きではなかった。 |
| 理由としては早稲田大学時代に肩の脱臼など怪我が多かったこと(そのことから、両親は松本を本名の哲から匡史に改名させた)や社会人野球へ進むことが決まっていたことが挙げられる。 |
| しかし、時の監督長嶋茂雄の強い希望、果ては正力亨オーナーが、入社が決まっていた日本生命の野球部首脳陣にまで懇願、入団にこぎつけた。 |
| 長嶋は「これからは松本のような足のある選手が必要になる」と考えていたらしい。 |
| コンタクトレンズが目に合わないため、眼鏡をかけてプレーすることを余儀なくされた。 |
| 盗塁やダイビングキャッチで破損・変形がたびたびあって、常に複数のスペアを用意していたという。 |
| 現役引退後メニエール病を患ってしまい病気と付き合いながら活動している。 |
| 松本の現役時代の応援歌は現在でも使われ、試合前に打順の順番でヒッティングマーチを演奏する際の前奏の様な扱いで使用されている。 |
表彰
| ベストナイン:1回(1983年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:3回(1981年-1983年)。 |
| 月間MVP:1回(1982年7月)。 |
記録
| 初出場:1977年4月3日、対中日ドラゴンズ2回戦(後楽園球場)。 |
| 通算1000試合出場:1987年8月30日(273人目)。 |
| オールスターゲーム出場:6回(1981年-1985年、1987年)。 |
背番号
| 23(1977年-1979年)。 |
| 2(1980年-1987年)。 |
| 88(1989年-1997年)。 |
| 83(2001年)。 |
| 82(2006年)。 |
参考文献
| 柏英樹『プロ野球選手になるには』ぺりかん社、2009年。 |
関連項目
| 兵庫県出身の人物一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
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1954年
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松本 匡史(まつもと ただし、本名:松本 哲... |
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1977年
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初出場:、対中日ドラゴンズ2回戦(後楽園球場) |
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投票数
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| ふりがな |
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