■
『オール讀物』に投稿した「啾啾吟」が第1回オール新人杯佳作。
■
一方、日本宣伝美術界会九州地区委員となり、自宅を小倉事務所とした。
■
また意匠係の主任になり、1956年5月31日退社。
■
9月に日本文芸家協会会員。
■
1955年から「張込み」「顔」で推理小説を書き始め、1957年『顔』が第10回日本探偵作家クラブ賞を受賞し、同年から雑誌『旅』に「点と線」を連載。
■
翌年刊行され、『眼の壁』とともに「社会派推理小説」とよばれ、ベストセラーとなった。
■
「清張以前」「清張以後」という言葉も出て、「清張ブーム」が起こった。
■
その後も執筆量は衰えず、『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを上梓。
■
執筆量の限界に挑んだが、書痙となり、以後口述筆記をさせ、それに加筆するという形になった。
■
一方、『小説帝銀事件』であつかった現実世界は、『日本の黒い霧』にまとめられ、「黒い霧」は流行語になった。
■
『わるいやつら』『砂の器』『けものみち』『天保図録』を発表後、1964年から「昭和史発掘」の連載を「週刊文春」に開始。
■
『古代史疑』で古代史にも目を向ける一方、『Dの複合』『砂漠の砂』など旺盛な活動を続け、1967年、第1回吉川英治文学賞を受賞。
■
また、1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞。
■
「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作した。
■
このように多作の作家のなかでコンスタントに質の高い作品を出し続けた例は極めて稀で、このため複数の助手作家を使った工房形式で作品を作っているのではないか、と平林たい子は韓国の雑誌『思想界』で指摘した。
■
これに対し松本は、『日本読書新聞』において反論している。
■
社会派作家として政治や社会問題にも関心を持ち、日本共産党の支持者だった松本は、1974年12月に創価学会と日本共産党の間で、10年間、互いの存在を認め相互に干渉しないことを約束する創共協定(共創協定ともいう)を結ぶための仲介をした(協定の公表は約7ヶ月後の翌1975年7月。
■
ある種の苦労人に見られるように、時に傲岸不遜な態度で他者に当たる事もあった。
■
長谷川町子の漫画『いじわるばあさん』でネタにされて、作中において主人公に執筆活動を妨害される事があった(ただし、いじわるばあさんの標的は婦人参政権不要論を唱えた石川達三であり、松本は間違えられてとばっちりを受けた立場)。
■
邪馬台国論争では九州説を唱える。
■
1992年4月20日、脳出血のため東京女子医科大学病院に入院。
■
手術は成功したが、7月に病状が悪化、肝臓がんであることがわかり、8月4日に死去した。
■
法名は清閑院釋文張。