| 1969年2月-奈良県斑鳩町に生まれる。 |
| 1988年4月-京都大学文学部入学。 |
| 1991年12月-京都大学文学部在学中にオウム真理教に入信。 |
| 翌1992年5月、京都大学を中退し、オウム真理教に出家。 |
| 1994年-オウム真理教で省庁制が採用され、教団の「郵政省」出版部に配属される。 |
| 「ヴァジラヤーナ・サッチャ」等の一般向け教団雑誌の記事を執筆。 |
| また、ホーリーネーム「カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァ」を授与され、「サマナ長」のステージに認定される。 |
| 1995年3月-地下鉄サリン事件。 |
| 強制捜査の時点で第5サティアンにいたという。 |
| 1995年9月-オウム真理教を一時脱会。 |
| 脱会届も提出したとされる。 |
| その後、ライターとして活動。 |
| 1996年6月1日-反破防法サイト「Stop!Stop!破壊活動防止法」を開設。 |
| その後総合情報サイトとして発展し、1997年10月、サイト名を『DerAngriff』に変更した。 |
| 1997年1月-教団関連会社とされる株式会社なあぷるが設立される。 |
| 設立には(元)信者が関わっていた。 |
| なあぷるでは別名義にて書籍を執筆。 |
| 1998年12月-最初の著作『サイバースペースからの挑戦状』を雷韻出版から発行。 |
| 1999年5月-『サイバースペースからの攻撃』を雷韻出版から発行。 |
| 2000年4月-上祐史浩からの誘いに応じ、宗教団体アレフに復帰。 |
| 2000年9月-教団活動に専念するため、事情を明かさないままサイト『DerAngriff』を常連閲覧者数名に呼びかけて譲渡する作業をはじめた。 |
| 2000年10月23日-『DerAngriff』一部コンテンツを閉鎖したところ、信者であると暴露され、全サイトを閉鎖。 |
| これをもって河上イチロー名義での活動を終了。 |
| 10月30日、9月中に行われていたサイバッチによるオウムとの関係についての独占インタビューが公表された。 |
| 2000年11月9日-週刊新潮11月16日号に『オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」』が掲載された。 |
| 2001年8月-上祐史浩の書籍を発行するための出版社である東山出版が設立され、代表取締役社長に就任する。 |
| 2001年10月3日-宗教団体アレフの出家信者として、ムッタ・デーヴァ名義で個人サイト『サイト・半跏思惟』を開設。 |
| 2003年1月11日-サイトの更新停止。 |
| その後サイトは閉鎖される。 |
| 2003年6月-このころ反上祐派に転じたという。 |
| 2003年9月9日-松永英明名義でブログ『ウェブログ@ことのは』開設。 |
| ライターとしての活動を開始する。 |
| 2003年12月-BlogoftheYeah!2003アーティクル部門3位受賞。 |
| 2004年5月3日-『絵文録ことのは』に改名。 |
| 2005年2月7日-アルファブロガー・セカンドチームに選出。 |
| 2005年10月31日-民主党のブロガー懇談会に出席。 |
| 後にこの行為は、アーレフ現役出家信者の政治への接触として波紋を呼び、ネットの一部で議論されるようになる(いわゆる「ことのは騒動」と呼ばれる)。 |
| 2006年2月1日-宗教団体アーレフに脱会の意図を伝えた上で、烏山の教団住居から転居。 |
| 後に、本人はこの時点をもって脱会したとの認識を示している。 |
| 2006年3月7日-FLASH3月21日号に野田敬生による『オウム信者が民主党に「宣伝戦略」を指南!』が掲載されるも、同日自民党の懇談会に出席。 |
| 2006年3月13日-過去の経歴を認めると同時に、松永名義の活動はオウム真理教とは関係ないとの釈明を行った。 |
| 2006年4月-東山出版(教団関連会社)社長の退任手続きが完了。 |
| 2006年4月25日-結核を原因とする腸腰筋膿瘍の手術のため、九段坂病院に入院。 |
| 2006年5月15日-本人によれば、この日の前後に宗教団体アーレフから公安調査庁に提出された活動報告書(4月30日時点での内容)において氏名が削除されているとのことである。 |
| 本人は、「この事実」をもって公的な文書において脱会が確定したとの認識を示した。 |
| 2006年9月5日-退院。 |
| 2007年2月-一部ブログとのトラブルにより、鬱に陥り、自殺未遂騒動を起こす。 |
| その後、2008年6月に至るまでブログ活動が休止される。 |
| 2007年8月16日-「漫画実話ナックルズ」(10月号vol.55ミリオン出版)に、シガチョフ事件を題材にとった「元信者が激白する!!オウム公安が爆破テロを阻止した日」掲載。 |
| 2007年8月31日-『ワールド・インテリジェンス』vol.8(『軍事研究』2007年9月号別冊)に、河上イチロー時代の情報収集方法等に関するインタビュー記事が掲載された。 |
| 最後に軍事・諜報分野への復帰について現在考えていないことを表明した。 |
| なお、河上イチローの名義が使われているのは、記事の性質上、「本人」がインタビューに答えたことを明らかにするためであり、河上イチロー名義での活動を復活させたというわけではない。 |
| 2008年6月20日-ブログ記事が2006年度の県立長崎シーボルト大学と2007年度の金城学院大学(現代文化学部情報文化学科・一般公募制推薦入試小論文)の入試問題に採用されたことを発表出典とできる入試過去問題集と入試日付を確定させたところで経歴上は個々の入試日に分割移動。 |
| 2008年6月24日-本人ブログにおいて、滝本太郎弁護士を差出人とし、アレフA派、アレフ中間派、ひかりの輪、およびオウム真理教破産管財人を宛先とする、「2006年2月1日頃既に脱会している」「今後とも、オウム真理教の教え、ないし麻原彰晃こと松本智津夫に帰依や観想したりまたその分派に入るものではないし、自ら分派とすることも所謂「一人オウム」であることもない」旨の脱会確認通知書が公開された。 |
| 通知書の日付は2008年6月23日となっている。 |
| 2008年9月-まぐまぐより有料メールマガジン「「場所の記憶」「都市の歴史」で社会を読み解く――松永英明のゲニウス・ロキ探索」を発行開始。 |
| 2010年9月-メールマガジンを無料化し、「松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える」に改称。 |
| 2011年3月-放送大学(教養学部)卒業。 |