| 1954年、武蔵野市立第四小学校入学。 |
| 図工の先生だった安野光雅に学ぶ。 |
| 1960年、武蔵野市立第四小学校卒業。 |
| 1966年、麻布学園高校卒業。 |
| 新聞会に入会したところ、先輩の上野昂志が、松田のあこがれの雑誌『ガロ』に「目安箱」というコラムを連載することになったため、『ガロ』編集部に出入りするようになり、編集・出版という仕事を身をもって体験する。 |
| また、水木しげるの面識を得る。 |
| 1967年、漫画評論家石子順造の紹介で赤瀬川原平と出会う。 |
| 赤瀬川が、派手なマッチのレッテルの絵柄にひかれたことから、松田の友人我田大(現:田舎在住料理人)もくわえ、「革燐同」をなのり、マッチのレッテル絵のコレクションを行う。 |
| この活動は石子順造の「キッチュ」美学研究に影響を与えた。 |
| また、赤瀬川とともに、古本屋で宮武外骨の本を発掘。 |
| 今和次郎の「考現学」も二人で再発見し、熱中する。 |
| 1969年、「四・二八沖縄デー」のデモ隊に参加していて逮捕され、23日間、勾留。 |
| その後、漫画の全集『現代マンガ』の編集のため、筑摩書房でアルバイトをする。 |
| また、自主出版で、当時の学生運動家の間で歌われていた替歌をあつめた『当世学生運動戯歌集』を発行。 |
| 三一書房に企画を持ち込んだところ、編集者の後輩の(のちの)呉智英と出会う。 |
| 共同作業をして戦前の替え歌なども集め、翌年、『戯歌番外地 替歌に見る学生運動』(三一新書)として刊行する。 |
| 1970年、東京都立大学人文学部中退。 |
| 筑摩書房の社員になる。 |
| 赤瀬川が講師をつとめる美学校「絵・文字工房」の助手をつとめる1年目に南伸坊、3年目に渡辺和博と出会う。 |
| また、赤瀬川、南とともに櫻画報社をつくり、各雑誌を「雑誌ジャック」する。 |
| 1972年、赤瀬川、南と、初の「トマソン」である無用階段「四谷階段」を発見する。 |
| 1973年、原田奈翁雄(現・径書房社長)が創刊した雑誌『終末から』に編集部員として参加。 |
| 野坂昭如、井上ひさし、種村季弘らに原稿を依頼するが、一年で休刊。 |
| 野坂のラグビー・チーム「アドリブ・クラブ」に参加する。 |
| 1974年、参院選挙東京地方区に立候補した野坂昭如の選挙事務局長になる。 |
| 選挙の応援のため、ほとんど出社せず、社内の顰蹙を買う。 |
| 1978年、佐藤忠男・鶴見俊輔編による『現代まんが全集・全21巻』を企画するが、7月の筑摩書房の倒産により、3冊のみの刊行にとどまる。 |
| 再建までの間、本の利益率などをしらべあげ、経営感覚を身につける。 |
| 1981年、「ちくまぶっくす」編集長に。 |
| 1983年、衆議院新潟三区に野坂昭如が立候補。 |
| 再度、選挙事務局長をつとめる。 |
| 1985年、『ちくま文庫』を創刊。 |
| 『夏目漱石全集』など「文庫内全集」を企画する。 |
| また水木しげるの漫画や、『ガロ』系漫画などを多数、ちくま文庫に収録する。 |
| また、赤瀬川原平、吉野孝雄と宮武外骨リバイバルをてがける。 |
| 1986年、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二らと路上観察学会を結成し、事務局長になる。 |
| 1988年、鶴見俊輔、安野光雅、森毅、井上ひさしによるテーマ別セレクションによる文学全集『ちくま文学の森』を企画・発刊。 |
| 1989年、鶴見俊輔、森毅、池内紀、安野光雅のセレクトによる『ちくま哲学の森』を発刊。 |
| 1990年、筑摩書房取締役に就任。 |
| 1991年、文庫版の全集『ちくま日本文学全集』企画・刊行開始(編集協力:安野光雅、池内紀、井上ひさし、鶴見俊輔)。 |
| 1992年、『ちくま学芸文庫』を創刊する。 |
| 1994年、初の著書『編集狂時代』を刊行。 |
| 1995年、月刊誌『頓智』を創刊する。 |
| だが、売れ行き不振で1996年7月をもって休刊。 |
| 1996年、TBS系テレビ「王様のブランチ」出版コーナーのコメンテイターとなり、本を紹介する(2001年9月~2002年9月の中断をへて、再開し、現在に至る)。 |
| ブランチへの出演経験で、神田うの、はな等のタレントの本を刊行することになる。 |
| 1997年、晶文社の津野海太郎の誘いで、電子出版の会社「ボイジャー」社長の荻野正昭とともに、季刊雑誌『本とコンピュータ』創刊に参加。 |
| 副編集長(のちに編集委員)になる。 |
| 1999年、筑摩書房常務取締役に就任。 |
| 共立女子大学で出版文化論の授業を担当する(2000年まで)。 |
| 2000年、坪内祐三編集の『明治の文学』を企画刊行する。 |
| 2001年、筑摩書房専務取締役に就任。 |
| 銀座・紙百科ギャラリーで「編集狂・松田哲夫展」を開催する。 |
| 2003年、電子本配信会社パブリッシングリンクの社長に(~2006年)。 |
| 2005年、「ちくまプリマー新書」を発刊する。 |
| 2008年、筑摩書房専務取締役を退任し顧問に就任。 |