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つながりの強いひと
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小林伸二
長崎県出身の元サッカー選手(FW)・指導者(JFA公認S級コーチ)。現:モンテディオ山形監督。 |
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風間八宏
静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー日本代表選手(MF)、指導者(JFA公認S級コーチ)。現サッカー解説者、日本サッカー協会理事、筑波大学蹴球部... |
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大久保嘉人
福岡県京都郡苅田町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 |
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栗原圭介
東京都大田区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダーおよびフォワード。 |
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柱谷幸一
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武田博行(たけだひろゆき、1983年11月30日-)は兵庫県出身で栃木SCに所属するプロサッカー選手。ポジションはGK |
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川勝良一
日本の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者、ニックネーム「ケツ」。 |
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望月一頼
静岡県静岡市出身の元サッカー選手(GK)、サッカー指導者(JFA公認S級コーチ)。筑波大学卒業。現Jリーグ・サンフレッチェ広島GKコーチ。 |
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北本久仁衛
奈良県出身でJリーグのヴィッセル神戸所属のサッカー選手(DF)。 |
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プロフィール
- 松田浩とは
- 現役時代
- 神戸コーチ・監督時代(1997年 - 2002年)
- 福岡監督時代
- 神戸コーチ・監督時代(2006年 - 2008年)
- 栃木監督時代(2009年 - )
- エピソード
- 所属クラブ
- 指導歴
- 経歴
- 監督成績
- 参考文献
松田浩(まつだひろし、1960年9月2日-)は、日本の元サッカー選手・指導者。長崎県長崎市出身。現Jリーグの栃木SC監督。
現役時代
| 高校時代は長崎北高でプレーする。 |
| ちなみに島原商高の小林伸二は同県出身の同い年である。 |
| 筑波大学時代の1年後輩に風間八宏・鈴木淳・望月一頼、2年後輩に小野剛がいる。 |
| 交換留学の1期生としてブラジルへサッカー留学も経験した。 |
| 1984年に望月らとともにマツダへ入社、海外営業部のホープとして期待された。 |
| マツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団、当初は恵まれた体格からFWとして起用されていたが、コーチにハンス・オフトが就任するとCBに固定される。 |
| その後は信藤克義(信藤健仁)とコンビを組み、1987年天皇杯決勝進出、1989年-1990年のJSL2部ベスト11、2度のJSL1部昇格を経験した。 |
| Jリーグ開幕前年の1992年に右ひざ靭帯故障が原因で、戦力外通告を受け、現役引退。 |
| コーチに就任しフィジカルコーチの勉強をしていたが右ひざが治り、当時の監督であるスチュワート・バクスターの鶴の一声により、コーチ兼任で現役復帰した(1993年よりコーチ兼任を辞め、現役復帰)『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』p76ちなみに望月とヤン・ヨンソンもコーチ職ながら選手登録された。 |
| ロングシュートがうまく、1993年5月22日のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)戦では約35mのシュートを決めたことで一躍名を挙げ『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』p94、ロングシュートの比率が高くなかった当時では伝説とまで言われた。 |
| その後1994年にはサントリーシリーズ優勝も経験。 |
| さらにチーム事情からNICOSシリーズの一部試合ではセンターFWでスタメン出場を果たした。 |
| 1995年にヴィッセル神戸に移籍し、翌年引退ちなみにバクスターも監督として松田と同時に神戸に移り、この師弟関係は1997年まで続いた。 |
神戸コーチ・監督時代(1997年 - 2002年)
| 引退後はヴィッセル神戸のサテライトコーチ、トップチームのコーチを務めた。 |
| 2002年7月に監督の川勝良一が解任されたのを受けて後任の監督に就任。 |
| J2降格の瀬戸際にいたチームを立て直し、見事残留させる。 |
| バクスター譲りの「ディシプリン(規律)」を重んじる指導が特徴で、元日本代表主力の三浦知良や城彰二でさえも、規律に反すればスタメンから外した。 |
| こうした指導法は跳びぬけた選手がおらず総合力で戦うチームでは有効で、若手への切り替えを進めていたアビスパ福岡が注目。 |
| 2002年12月に福岡監督に就任した。 |
福岡監督時代
| 松田が監督に就任した当時の福岡はそれまで場当たり的な補強を続けてきたツケが成績にも経営にも出てきており、育成を柱とする抜本的なチーム改革に乗り出したばかりだった。 |
| 松田はこれを受けて、1年目から若手を積極的に起用。 |
| 前半戦は選手の経験不足が出て22試合で5勝しか出来なかったが、後半戦より巻き返しをみせ、通年では4位でシーズンを終えた。 |
| 2004年はJ1復帰を目標にして戦ったが開幕から勝ち切れない試合が続き、36節終了時点では3位のモンテディオ山形に勝ち点8差を付けられていた。 |
| そこから一丸の姿勢を取り戻したアビスパは残る8試合に全勝し、3位でJ1・J2入れ替え戦に進出した。 |
| 入れ替え戦では柏レイソルに連敗し、J1復帰はならなかった。 |
| ある程度の手ごたえをつかめたとともに選手層の薄さを思い知らされた1年であった。 |
| 2005年は前半戦で出遅れ、京都パープルサンガの独走を許すが、中盤以降は安定して勝ち点を積み重ね、第42節の徳島ヴォルティス戦の引き分けでJ1復帰を決めた。 |
| しかしながら、このときの昇格勝ち点数は自動昇格制度の中で最低の78であった。 |
| 5年ぶりのJ1復帰となった2006年は開幕から先制しては追いつかれる、という試合が3試合続き、その後の5試合では総得点がわずか2という深刻な得点力不足に陥り、リーグ戦ではJ1昇格チームではワースト記録となる9試合目にようやく初勝利を挙げた。 |
| しかしその後も得点力不足は変わらず、結局リーグ12試合で1勝(勝ち点8)、カップ6試合で1勝しかできず、ナビスコカップ予選リーグ終了翌日の5月22日に成績不振を理由に解任された。 |
神戸コーチ・監督時代(2006年 - 2008年)
| 8月20日に古巣であり、また恩師バクスターがこの年から9年ぶりに監督に復帰していた神戸にコーチとして復帰した。 |
| しかしその4日後にバクスターが家庭の事情で帰国することになった。 |
| 当初はヘッドコーチのペドロが昇格する予定だったが、ペドロの持つライセンスがJリーグ監督に必要な要件を満たしていないとされたため、急遽松田の昇格が決まった。 |
| ただし、松田は以前神戸で監督を務めたことがあるとはいえチームに合流してまだ半月であることから、実際の指揮は当初の予定通りペドロが執り、松田はアシスタントコーチ的な役割を担うこととなった。 |
| 松田の「コーチ」としての肩書はわずか2週間であった。 |
| 柏レイソルや横浜FCと激しくJ1昇格を争う中での急な指揮官交代ではあったが、松田自身バクスターの下で働いていた時期が長いことからチームに大きな変化はなく、この時点でのチームの調子の良さを引き継いで順調に勝ち点を積み重ね、第47節時点では首位に立っていた。 |
| しかし、続く柏・横浜FCとの直接対決に連敗するなど最後の5試合で1勝もできず、結局3位でシーズンを終えてJ1・J2入れ替え戦に回ることになった。 |
| ここで実際の指揮を執ってきたペドロは休養となり(事実上更迭)、入れ替え戦では松田が指揮を執ることになった。 |
| 入れ替え戦の相手は、奇しくも松田がこの年の途中まで率い、多くの選手を手塩にかけて育てた福岡であった。 |
| 加えて松田解任後に就任した福岡の監督は2002年に、松田が神戸監督を引き継いだ川勝、という因縁含みの状況の中、この年からホーム&アウェー方式の大会にアウェーゴール方式(2試合終わって同点の場合、アウェーでの得点が多いチームを勝ちとする)が導入されたことに狙いをつけた松田は「ホームでの第1戦を無失点に抑え、アウェーでの第2戦で勝負をかける」という作戦に出た。 |
| この作戦は見事に功を奏し、2試合とも引き分けだったが(第1戦0-0、第2戦1-1)、アウェーゴールの差で神戸はJ1復帰を決めた。 |
| 松田を含めて2007年の監督をどうするか決めかねていたフロントもこの結果を見て松田の続投を決めた。 |
| なお神戸を昇格させたことで、松田は1999年のJリーグ2部化以降初の「J1昇格を2度経験した監督」で、しかも2年続けての昇格で、1年目に昇格させたチーム(福岡)を2年目には自分が降格させたことになる。 |
| J1復帰1年目の2007年は、開幕から中の下程度の順位でなかなか波に乗れない状態が続いた。 |
| その中で6月、チームの象徴的存在だったMF三浦淳宏の起用法をめぐり、三浦と松田が対立。 |
| 三浦が松田を批判し、チームから10日間の謹慎処分を受ける。 |
| さらに三浦が主将返上、退団を示唆、結果三浦は横浜FCに移籍した。 |
| しかしこのようなゴタゴタの中でも、大久保嘉人やレアンドロの活躍によりチームは上昇、目標としていた一ケタ順位に届かなかったものの、10位と健闘した。 |
| 2008年は5位以内を目標に攻撃的チーム作りを図っていたが、序盤のレアンドロの故障でチームは一時低迷し、残留争いに参加。 |
| しかし終盤以降は建て直し、27節大宮戦以降、優勝を争っていた浦和、大分を連続で完封するなど、クラブ史上最高の5連勝を挙げた。 |
| この結果により一時は2009年の契約更新が確約されていたが、5連勝後に大量失点の試合が続いたことから一転、クラブ幹部は松田の解任を決める。 |
| 突然続投の約束を反故にされた松田は当初クラブを激しく批判したが、最終的には和解し、2年半指揮した神戸に別れを告げた。 |
栃木監督時代(2009年 - )
| 神戸の監督解任後すぐ、2009年よりJリーグに新加盟する栃木SCの監督に3年契約で就任。 |
| 2009年は18チーム中17位と奮わなかったが、2010年は19チーム中10位と躍進、昇格二年目のチームながら14勝14敗8分の勝率5割の成績を残した。 |
エピソード
| 福岡監督更迭の際に「攻撃陣の人材という課題は、監督就任から3年半も補強を要請してきたのにも拘らず、クラブが満足な補強が行わなかったのが原因」という声と、プロの現場実質最高責任者として明確な数字的結果を出せなかったので妥当、という両方の意見が聞かれた。 |
| 2006年入れ替え戦の際に、古巣の福岡との対戦にあたり、かなりの葛藤があったようで、松田は「自分が教えた選手を倒さなければJ1に上がれないが、福岡を分析する時には何度もつらい気持ちになった」と後に述べている。 |
| 2007年に神戸に加入したFW大久保嘉人の攻撃的中盤ならびに左MFで起用し、アタッカーとしてのオールラウンダーな面を発揮させ、大久保の代表復帰、代表定着に影で貢献している。 |
| 2009年も神戸で指揮をとる予定で、契約延長のオファーを出されたにも関らずその決定を取り消されたことに激怒し神戸に対して法的手段も辞さない構えも見せた。 |
| しかし最終的には神戸とは和解していることになっている。 |
| 2009年5月24日、J2第17節vs水戸ホーリーホック戦(栃木県グリーンスタジアム)で主審、副審の判定に対する執拗な抗議をしたため、自身初の退席処分を受けた。 |
所属クラブ
| 長崎県立長崎北高等学校。 |
| 1984年-1992年・1992年-1994年:マツダ/サンフレッチェ広島。 |
| 1995年-1996年:ヴィッセル神戸。 |
指導歴
| 1992年:サンフレッチェ広島コーチ。 |
| 1997年:ヴィッセル神戸サテライトヘッドコーチ。 |
| 1998年:ヴィッセル神戸コーチ(サテライト兼任)。 |
| 2001年:JFA公認S級コーチライセンス取得。 |
| 2003年-2006年5月:アビスパ福岡監督。 |
| 2009年-:栃木SC監督。 |
経歴
| Jリーグ初出場:1993年5月16日対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)。 |
| Jリーグ初得点:1993年5月22日対ヴェルディ川崎戦(広島ビッグアーチ)。 |
監督成績
| 1st・2ndステージの成績は延長Vゴール勝ちを1つずつ含む。 |
参考文献
| 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990ISBN4-523-31032-7。 |
| 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991ISBN4-523-31033-5。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992ISBN4-09-102301-0。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993ISBN4-09-102303-7。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993ISBN4-09-102305-3。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994ISBN4-09-102310-X。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994ISBN4-09-102314-2。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997ISBN4-09-102329-0。 |
| 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998ISBN4-09-102335-5。 |
| 『J.LEAGUEOfficialFans'Guide1999』、トランスアート、1999ISBN4-88752-100-6。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2002』、NTT出版、2002ISBN4-7571-8116-7。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004ISBN4-86155-802-6。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005ISBN4-86155-805-0。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2006』、コナミ、2006ISBN4-86155-811-5。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007ISBN978-4-86155-839-9。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008ISBN978-4-86155-847-4。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009ISBN978-4-86155-850-4。 |
| 『J.LEAGUEOFFICIALFANS'GUIDE2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010ISBN978-4-86155-852-8。 |
| 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994ISBN4-09-102309-6。 |
| 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995ISBN4-09-102317-7。 |
| 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996ISBN4-09-102323-1。 |
| 『J.LEAGUEYEARBOOK2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007ISBN978-4-86155-840-5。 |
| 『J.LEAGUEYEARBOOK2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008ISBN978-4-86155-846-7。 |
| 『J.LEAGUEYEARBOOK2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009ISBN978-4-86155-851-1。 |
| 『J.LEAGUEYEARBOOK2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010ISBN978-4-86155-853-5。 |
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