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つながりの強いひと
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三筆
日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人の並称であり、平安時代初期の空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人を嚆矢とする。その他、三筆と尊称される能書は以下... |
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本阿弥光悦
江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。 |
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近衛信尹
安土桃山時代の公家。近衛前久の子。母は波多野惣七の娘。初名、信基、信輔。号は三藐院(さんみゃくいん)。天正5年(1577年)元服。加冠の役をつとめたのが... |
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湯木貞一
日本料理の名料亭「吉兆」の創業者。日本文化に対する高い見識を料理に取り入れ、日本料理界の地位向上に貢献し、料理業者として史上初めて文化功労者となった。 |
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沢庵宗彭
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。大徳寺住持。諡は普光国師(300年忌にあたる1944年に宣下)。号に東海・暮翁など。但馬国出石(現兵庫県... |
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石川丈山
江戸時代初期の文人。もとは武士で大坂の役後、丈山と號する。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『... |
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尾形光琳
江戸時代の画家。工芸家。尾形光琳は、後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとり... |
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千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。また、今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天... |
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酒井抱一
江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、... |
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王羲之
王羲之(おうぎし、WángXīzhī、303年-361年)は中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現... |
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狩野山楽
安土桃山時代~江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野山雪は養子。 |
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俵屋宗達
江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。 |
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狩野探幽
狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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藤堂高虎
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予国今治藩主。後に伊勢国津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。何度も主君を変えた戦国武将として知ら... |
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古田織部
古田織部 (ふるたおりべ) [筆跡]
1544年(天文13年)美濃〜1615年(慶長20年)
古田織部『消息』
古田織部プロフィール
武将、茶人。 本名... |
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烏丸光広
江戸時代前期の公卿・歌人・能書家。氏姓は藤原朝臣。公家(名家)の一つ烏丸家の当主。准大臣烏丸光宣の長男。官位は正二位行権大納言。 |
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近衛信尋
江戸時代前期の公家・藤氏長者。官位は従一位関白。幼称は二宮。法号は応山。 |
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後陽成天皇
安土桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇(在位:天正14年11月7日(1586年12月17日)-慶長16年3月27日(1611年5月9日))。諱を和仁(かずひと)といい後... |
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良寛
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕-天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵... |
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徳川家光
江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年-1651年)である。2代将軍秀忠の次男(嫡男)で、母は浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であった。乳母は春日局(福... |
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プロフィール
松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう、天正10年(1582年)-寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。俗名は中沼式部。堺の出身。 豊臣秀次の子息との俗説もある。書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を 近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、 近衛信尹、 本阿弥光悦とともに「寛永の 三筆」と称せられた。なお松花堂弁当については、その名が昭乗に間接的に由来するとする説がある。
経歴
| 天正10年(1582年)摂津国堺に生まれる『中沼家譜』。 |
| 天正12年(1584年)説は『松花堂行状記』による。 |
| 文禄2年(1593年)この頃近衛信尹に仕える。 |
| これは、昭乗の兄(中沼左京)が一乗院門跡尊勢(近衛信尹の次弟)に仕えていたことによる。 |
| 慶長3年(1598年)石清水八幡宮に入り出家、瀧本坊実乗に師事して密教を学ぶ。 |
| その後、権僧都宝弁について両部灌頂をうけ阿闍梨位に上がった。 |
| 慶長20年(1615年)5月大坂落城後、狩野山楽を匿っていたことで徳川方の厳しい詮索を受けたが、昭乗は「山楽は絵師であって武士にあらず」と言い張り、事なきを得る。 |
| 『本朝画史』。 |
| 元和5年(1619年)5月~6月、徳川義直と近衛信尋を対面させるため奔走する。 |
| 『昭乗書状』。 |
| 元和9年(1623年)6月 将軍秀忠・家光の上洛に際しての準備に奔走。 |
| 寛永元年(1624年)近衛信尋の推挙で将軍家書道師範として江戸に下向する。 |
| 寛永3年(1626年)6月11日、徳川義直を席主とした茶会(昭乗は小堀遠州とともに近衛信尋、一条昭良、一乗院尊覚法親王、八条宮智仁親王等を招待)を催し、公武間の斡旋に尽力する。 |
| 寛永4年(1627年)実乗の死後(3月23日没)、瀧本坊住職となる。 |
| 寛永5年(1628年)7月大徳寺龍光院蜜庵で、江月宗玩のために小堀遠州、狩野探幽とともに絵筆をふるう(床脇小襖絵)。 |
| <典拠不明>小堀遠州は昭乗のために瀧本坊に茶室「閑雲軒」をつくる。 |
| 寛永6年(1629年)沢庵宗彭の紫衣事件による配流を嘆き和歌を贈る。 |
| 寛永8年~寛永10年(1631年-1633年)この間の茶会については『松花堂茶会記』。 |
| 寛永11年(1635年)6月 この頃徳川義直と面会。 |
| 寛永14年(1637年)11月、瀧本坊の焼失を期に瀧本坊を弟子の乗淳(昭乗の兄中沼左京の子)に譲り、自らは猩々と号して風雅の生活を送る。 |
| 12月、住坊泉坊の一隅に方丈を建てて松花堂と称した。 |
| 「12月16日付『昭乗宛遠州書状』及び12月23日付『永井直清宛昭乗書状』」。 |
| 寛永15年(1638年)3月江月宗玩とともに吉野の桜を見に奈良を旅する(『松花堂芳野道之記』)。 |
| 帰路、奈良野田の長闇堂に久保利世を訪ねる。 |
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1626年
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徳川義直を席主とした茶会(昭乗は小堀遠州と... |
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1637年
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瀧本坊の焼失を期に瀧本坊を弟子の乗淳(昭乗... |
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松花堂昭乗さんについてのひとこと紹介
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