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つながりの強いひと
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山田耕筰
作品提供
日本の作曲家、指揮者。日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニ... |
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北原白秋
日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉(きたはらりゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作... |
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弘田龍太郎
作品提供
作曲家。1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。父の転任に従って3才の時高知を... |
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林大
日本の国語学者。国立国語研究所所長、国語学会代表理事などを務めた。1950年代から1980年代までの日本の国語政策に関与した。 |
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高野辰之
日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。長野県尋常師範学校(現・信州大学教育学部)卒。 |
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中山晋平
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土井晩翠
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江間章子
江間章子(えましょうこ、1913年3月13日-2005年3月12日)は昭和を代表する唱歌の作詞家、詩人。代表作に「夏の思い出」、「花の街」などがある。 |
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野口雨情
日本の詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。 |
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三木露風
三木露風(みきろふう、1889年(明治22年)6月23日-1964年(昭和39年)12月29日)は日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木操(みきみさお)。異父... |
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竹久夢二
竹久夢二(たけひさゆめじ、明治17年(1884年)9月16日-昭和9年(1934年)9月1日)は日本の画家・詩人。本名は竹久茂次郎(たけひさもじろう)。 |
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島崎藤村
日本の詩人、小説家。本名は島崎春樹(しまざきはるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『... |
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吉丸一昌
日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は『早春賦』など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現臼杵... |
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武島羽衣
武島羽衣(たけしまはごろも、明治5年11月3日(1872年12月3日)-昭和42年(1967年)2月3日)は日本の詩人、国文学者、作詞家。宮内省御歌所寄人。本名・武島... |
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林羅山
江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。 |
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プロフィール
林古渓(はやしこけい、1875年7月15日-1947年2月20日)は歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。本名は竹次郎。東京・神田出身。哲学館(現・東洋大学)教育学部卒。「浜辺の歌」( 成田為三作曲)の作詞をした事でも知られる。
往来
| 林古渓は林羅山に連なる家系で、代々学者の家柄である林家の次男として東京神田に生まれた。 |
| 幼少時代を神奈川県愛甲郡古沢村(現、厚木市)で過ごし、古渓の筆名はこの古沢村から採ったという。 |
| 10歳の時父を失って以来池上本門寺に入り修行し、さらに哲学館(のちの東洋大学)に入学して国漢を学んだ。 |
| 漢詩には非凡な才を見せたが、一方で新体詩のグループを作って積極的に活動を始めた。 |
| 卒業後は同校付属の京北中学校で国漢科教員となり、生徒たちから「達磨さん」と呼ばれて慕われたという。 |
| 30歳を過ぎてから、東京音楽学校分教場や第一外国語学校(イタリア語)でも学んでいる。 |
| 古渓が東京音楽学校で学んでいたとき、牛山充と知り合う。 |
| 牛山は後に東京朝日新聞の嘱託として、音楽、バレエ批評を執筆し、マスコミを舞台にした評論活動のパイオニア。 |
| 戦前戦後を通じて音楽舞踊評論家として活躍する人物である。 |
| 雑誌『音楽』は1910(明治43)年に創刊したが、牛山は在学時代からその編集に携わった。 |
| 古渓はその文才を買われて、彼のためにぼほ毎月作曲用の詩歌を寄稿した。 |
| 『はまべ』を雑誌『音楽』に掲載した理由である。 |
| 牛山充は後輩の成田為三に作曲の試作として、林古渓の『はまべ』の詞を勧めた。 |
| 浜辺の歌は、辻堂東海岸を思い出し作詞したというのが一般的な説である「父竹次郎が、羽鳥小学校で教鞭(ママ)を明治21年~25年務めた。 |
| その間羽鳥に住み、辻堂海岸へ、防風や松露を摘みに来た……(辻堂タイムスVol.61)」が代表的であるが、(1)竹次郎は古渓の本名である。 |
| (2)父はこの年には没後である。 |
| (3)羽鳥小学校は戦後開校した学校で、明治時代にはない。 |
| 明治25年までは「羽鳥学校(現在の藤沢市立明治小学校の前身の一つ)」があったので、その誤りであろう。 |
| が、異論も多い。 |
| なお、国立国語研究所所長、国語学会代表理事などをつとめた国語学者林大は長男である。 |
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