| 「芸人に年齢なし」というポリシーから、生年はあまり公表したがらない。 |
| 大阪球場の近くで生まれ育つ。 |
| プロ野球は同所を本拠地とした南海ホークスのファンだった。 |
| シアトル・マリナーズのイチロー選手のファンとしても知られるオリックス・ブルーウェーブ時代から。 |
| 2000年の週刊ベースボールのプロ野球開幕企画でオリックスファンとしてインタビューを受け「優勝したら、祝勝会でイックン〔イチローをペーはこう呼ぶ〕にキスしたい」という旨の発言をしたこともある。 |
| 愛犬(柴犬)の名前をイチローにあやかり「幸イチロー(こういちろー)」と名づけたほどである。 |
| 2006年、2009年に東京ドームで行われたワールド・ベースボール・クラシックの東京ラウンドをエキサイトシートで観戦していたが、応援している模様をテレビで映し出された。 |
| また、愛犬の幸イチローがボール投げても取らないなど言うことを聞かなかったので、言うことを聞くようにとどうぶつ奇想天外でドックトレーナーに指導してもらったことがある。 |
| 愛車はトヨタ・カローラを乗り継いでいる。 |
| 郷ひろみがイメージキャラクターだった5代目モデル(1983年発売)からモデルチェンジの度に乗り換えている。 |
| 一度『所印の車はえらい』という番組でフォルクスワーゲンを購入するが、『天才!たけしの元気が出るテレビ』のクイズ(正解したらポルシェに交換してもらえるという企画)で不正解となり潰されてしまった。 |
| 2006年7月19日、『笑っていいとも』「知りたい正体このケータイ」に出演。 |
| 所持している携帯電話はボーダフォン(日本法人、現・ソフトバンクモバイル)のV603T(ピンク&ピンク)待ち受け画面はデジタルカメラ。 |
| 『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の第1回大会優勝者でもある。 |
| 2010年現在、20回全てに出演している皆勤賞でもある。 |
| また、たけし曰く、『お笑いウルトラクイズ』は「ペーをどうにかしてクローズアップする番組を作るために始めた」『21世紀版 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ 非常識大百科』2007年、日本テレビ、p18という。 |
| 「ナポレオン・ボナパルトの女房の名は?」という問題に「レミーマルタン」と回答したのがたけしのお気に入りのネタである。 |
| ビートたけしは、長らくこのペーの存在を不思議に思っていた。 |
| それは彼がテレビに出るのが、必ず当時人気-終了間際の『元祖どっきりカメラ』しか出ていなかったから。 |
| =テレビに出るということは「どっきり」にかけられるのがわかっているだろう、という論理から。 |
| それが縁で『ビートたけしの全日本お笑い研究所』〜『お笑いウルトラクイズ』と出演するようになり、たけし番組を中心にテレビ的にもパー子共々、知名度を上げていった。 |
| テレビ撮影中もカメラ撮影をしており、『お笑いウルトラクイズ』では、いまや「報道カメラマン」(問題によっては「戦場カメラマン」)扱いである。 |
| 『ものまね王座決定戦』の観客席で観覧していたことがある。 |
| 『人気者でいこう!』の人気コーナーだった「芸能人格付けチェック」の2択問題でパー子とともに出演したことがある。 |
| 2枚2組のパー子の写真を出演者に見せてプロ写真家が撮影した2枚とペーが撮影した2枚を当てさせる問題。 |
| ペーが撮影した写真には独特の温かみがあり、参加したプロ写真家の加納典明はプロとしての撮り方を解説した後、「(写真の勝負としては)面白かったけどね」と感心した様子でコメントしている。 |
| たけしの母の葬儀に、ピンクのスーツに黒いネクタイをつけて参列したペー・パー子夫妻は、棺桶の遺体の写真を無断で何枚も撮影し、ビートたけしに激昂されて葬儀場から追い出されたことがある。 |
| その間もパー子は笑い続けていたという。 |
| これはたけし本人がテレビで語っている。 |
| 好角家としても知られ、両国国技館にプライベートで訪れている様子が大相撲中継でも映し出されている(プライベートであるため、当然映るだけ)。 |
| しかし、プライベートであっても、いつものピンクの派手な衣装にカメラ片手というスタイルは変わらない。 |
| また、撮影するところも放送されている。 |
| 撮った写真は後日にテレホンカードにして周囲に配る。 |
| 投稿マニアでもあるペーにはこんなエピソードもある。 |
| 『土曜一番!花やしき』というモーニングワイドショーに毎週素人のふりをして川柳コーナーにFAXを送り続けいたが、同番組の構成作家をしていた親交のある小泉せつ子に見破られ、翌週番組に引きずり出されていた。 |
| その時まで使っていたペンネームは「PP砲」だった。 |
| 大阪出身であるが、当時物凄く人気が高かった三平に憧れ、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。 |
| この努力が三平に認められ、入門を許された。 |
| 三平全盛期のいわゆる「三平落語」の高座で、何度かバックギタリストとして共演している。 |
| また、三平からはいくつかの珍芸も伝授されている。 |
| 林家三平一門の中で唯一、名前に「平」の字が付かないペー。 |
| 来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ぺーぺー)」という芸名をもらったが、1963年に師匠の友人である近江俊郎宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらったところ「素晴らし過ぎる名前だ。 |
| いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と言われ、小心者である三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。 |
| 日高晤郎のスーパーサンデーに夫妻で出演した際、ペー本人が語ったエピソードである。 |
| ペーにギターを教えたのは伊東四朗である。 |
| ペー曰く、「人前では見せないが、伊東さんはギターもピアノも天才的に上手い。 |
| 本当はプロとして飯が食っていけるほどだ」とのこと。 |
| パー子と並べると「ペー・パー」(=ペーパー)となり、この夫婦のことを俗に「ペーパーさん」と呼ぶ事もあるが、狙って名付けたわけではなく、全くの偶然である。 |
| パー子はもともと女流落語家として単独に活動していた時期があり、のちに兄弟子であるペーと結婚に至った。 |
| 寄席の高座も二人で務めるが、決して夫婦漫才ではない。 |
| パー子が落語協会に加盟していないこともあり、香盤には「漫談・ペー」とだけしか書かれていない。 |
| つまり、パー子はペーの漫談の後見役として出演している。 |
| パー子との結婚披露宴の引き出物は、トイレットペーパーだった。 |
| 名付け親の三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。 |
| ペー本人は「師匠に聞く前に他界されてしまった」と語っている。 |
| 番組などで「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っている。 |
| 2006年10月25日、荒川の土手を散歩中に、画像約900枚が入ったデジタルカメラ(ペンタックスoptioS6)を紛失。 |
| 2007年11月28日放送の『トリビアの泉スペシャル』で大捜索が行われたものの、発見には至らなかった。 |
| 2008年に一門の後輩(兄弟子こん平の弟子)の林家たい平に落語家として弟子入りし、「林家たいぺー」の高座名をもらう。 |
| しかし、落語協会では引き続き漫談家として登録されている。 |