56584
56949
703745
%E6%9F%B3%E6%99%82%E7%86%8F
%E6%9F%B3%E6%99%82%E7%86%8F
%E6%9F%B3%E6%99%82%E7%86%8F
%E6%9F%B3%E6%99%82%E7%86%8F
%E6%9F%B3%E6%99%82%E7%86%8F
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 柳時熏の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
小林光一
囲碁のプロ棋士。北海道旭川市出身。木谷實九段門下。日本棋院所属。前妻の小林禮子(1996年死去)との間に一男一女。後妻との間にも子あり。長女は小林泉美... |
|
|
王立誠
王立誠(おうりっせい、1958年11月7日-)は日本、台湾の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属、加納嘉徳九段門下、九段。棋聖位3連覇、十段4連覇、LG杯世界棋王戦... |
|
|
羽根直樹
羽根直樹(はねなおき、1976年8月14日-)は囲碁のプロ棋士。三重県志摩市磯部町出身。A型。日本棋院中部総本部所属。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。父は... |
|
|
趙治勲
囲碁のプロ棋士。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。棋聖8期、名人9期の他、本因坊戦10連覇の偉業により現役のうちから「25世... |
|
|
山下敬吾
日本棋院所属のプロ棋士。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。義兄に高梨聖健。羽根直樹、... |
|
|
林海峰
尊敬
林海峰(りんかいほう、1942年5月6日-)は日本、台湾の囲碁棋士。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下、九段、名誉天元。名人8期... |
|
|
依田紀基
依田紀基(よだのりもと、1966年2月11日-)は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。名人4期、碁聖6期、NHK... |
|
|
張栩
日本棋院所属の囲碁棋士。林海峰九段門下。小林光一は義父に当たる。 |
|
|
河野臨
囲碁のプロ棋士、九段。東京都西東京市出身、明保中学校卒業、日本棋院東京本院所属。小林光一九段門下。早くから将来を嘱望されていたが、2005年には山下敬... |
|
|
山城宏
日本の囲碁棋士。山口県下松市出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王冠戦優勝14回、棋聖戦挑戦、本因坊戦挑戦3回など。若手の頃から「中... |
|
|
高尾紳路
日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士、九段。千葉県千葉市出身、藤沢秀行名誉棋聖門下。雅号は「秀紳(しゅうしん)」。血液型A型。実兄は、歴史学者の高尾... |
|
|
片岡聡
囲碁の棋士。千葉県松戸市出身、日本棋院所属、榊原章二九段門下、九段。天元位獲得、本因坊戦挑戦者など。手厚くバランスのよい本格的な棋風。 |
|
|
工藤紀夫
囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。天元・王座位獲得、碁聖挑戦など。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームが... |
|
|
加藤正夫
加藤正夫(かとうまさお 1947年3月15日-2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金... |
|
|
石田芳夫
日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本... |
|
|
井山裕太
日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。 |
|
|
高川格
日本の囲碁棋士、本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊... |
|
|
結城聡
囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、関西棋院所属、佐藤直男九段門下、九段。天元1期、NHK杯2連覇、テレビ囲碁アジア選手権戦準優勝など、同時代の関西棋院の棋士... |
|
|
小林覚
囲碁棋士。長野県松本市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。1995年に全盛期の趙治勲を破り棋聖位に就き、3年連続で趙と七番勝負を争う。他に碁聖位、... |
|
|
加藤充志
日本の囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、菊池康郎に師事、八段。JT杯星座囲碁選手権戦優勝など。中央を好む棋風。 |
|
|
プロフィール
- 柳時熏とは
- 経歴
- タイトル歴
- その他の棋歴
- 受賞等
- 2002年棋聖戦第5局
- 著作
- 参考文献
- 関連サイト
柳時熏(りゅうしくん、류시훈、ユ・シフン、1971年12月8日-)は、囲碁の棋士。韓国ソウル市出身、日本棋院所属、九段、 大枝雄介九段門下。天元戦4期、王座戦1期、棋聖戦挑戦など。棋風は全局的に手厚く、スケールの大きな攻めと柔軟性が特長。名前は日本では日本語読みで呼ばれている。
経歴
| 柳成龍の末裔に生まれ、碁好きの両親の影響で小学5年で囲碁を始める。 |
| 6年生の時に韓国少年大会で優勝。 |
| 一時囲碁から遠ざかるが、中学1年で第1回世界青少年囲碁選手権大会に出場して4位。 |
| 14歳で韓国棋院の研究生となり、同時期に研究生となった李昌鎬とともに田英善六段門下となる。 |
| 1986年に尹奇鉉の紹介で来日して大枝門下となり、日本棋院院生となる。 |
| 1990年に24連勝を含む42勝6敗の成績で棋道賞新人賞を受賞し、若手の中で頭角を現す。 |
| 1991年に兵役免除となり、91、92年に棋聖戦四段戦で連続優勝、1992年には最高棋士決定戦に最年少で出場。 |
| 同年、新鋭トーナメント戦で棋戦初優勝。 |
| 1994年六段で天元戦挑戦者となり、「心の底から尊敬する」という林海峰天元との五番勝負では、23歳の誕生日である12月8日の4局目に勝って3-1とし、天元位を獲得。 |
| 史上最年少で天元となる。 |
| また入段から6年8ヶ月での七大タイトル獲得は史上最短記録となった。 |
| 1995年にかつてのライバル李昌鎬との特別三番碁を行い、2連敗で敗れる。 |
| 同年本因坊戦リーグで5-2となり、プレーオフを制し、石田芳夫以来25年振りにリーグ初参加で挑戦者となる。 |
| 趙治勲との七番勝負は2-4で敗れる。 |
| 同年、王立誠を3-0で破って王座を獲得し、天元と合わせて2冠となり、同じ2冠の趙治勲、依田紀基と並び三強とも呼ばれた。 |
| 1997年に棋聖戦挑戦者決定戦に進出し、依田紀基に0-2で敗退。 |
| 2000年には小林光一に3局連続半目勝ちで天元位復帰。 |
| 2002年の棋聖戦で王立誠に挑戦するが、2-4で敗れる。 |
| 七段昇段後、トーナメントに専念するために大手合を休場していたが、2003年の昇段制度改訂により、天元4期・王座1期の実績で九段昇段。 |
| 2010年に6年振りとなる棋聖戦リーグ入り。 |
| 通算成績は697勝350敗(2010年4月時点)。 |
| 日本棋院ネット対局サービス「幽玄の間」で、2005年から「プロ棋士ランキング戦」を梅沢由香里とともに主宰。 |
| 2005年12月26日には梅沢由香里とのトークライブを行った。 |
タイトル歴
| 新鋭トーナメント戦1992年。 |
| NEC俊英囲碁トーナメント戦1994年。 |
| 天元戦1994-96、2000年。 |
| NECカップ囲碁トーナメント戦2003年。 |
その他の棋歴
| 三星火災杯世界オープン戦ベスト41998年。 |
| 東洋証券杯世界選手権戦ベスト41998年、ベスト81997年。 |
| 1991年4-2-1無勝負(×馬石、○楊士海、×車沢武、○邵煒剛、△常昊、○康占斌、○張文東)。 |
| 1995年0-1(×常昊)。 |
| 1996年0-1(×常昊)。 |
| 1995年0-2馬暁春。 |
| 1996年0-2馬暁春。 |
| 1997年0-2常昊。 |
| 2001年0-2常昊。 |
| 農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦。 |
| 2004年0-1(×元晟湊)。 |
| 棋聖戦挑戦者2002年。 |
| 四段戦優勝1991、1992年。 |
| 新鋭トーナメント戦準優勝1994年。 |
| NEC俊英囲碁トーナメント戦準優勝1993年。 |
| 新人王戦準優勝1991年。 |
| 竜星戦準優勝1993年。 |
| 本因坊戦挑戦者1996年。 |
| 棋聖戦リーグ6期、名人戦リーグ7期、本因坊リーグ6期。 |
受賞等
| 棋道賞新人賞1990年。 |
| 棋道賞最多対局賞(59局)1991年。 |
| 棋道賞優秀棋士賞1994年。 |
| ジャーナリストクラブ賞1995年。 |
| 棋道賞優秀棋士賞1996年。 |
2002年棋聖戦第5局
| 2002年の棋聖戦での王立誠との七番勝負第5局は、2勝2敗の後の2月20、21日に行われた。 |
| 二日目の終局直前、ダメ詰めを残すのみとなった段階で先番の柳が盤面9目の優勢と目されていた。 |
| 298手目に王が6子へのアタリを打ったが、柳は299手目にそれを継がなかったため、王は「僕は終わったとは言ってない」と言って、立ち会い人の石田芳夫を呼んだ。 |
| 石田と主催者読売新聞社が協議し、ビデオも確認して、終局の合意はされていないと認め、王はアタリの6子を抜き、柳はここで投了した。 |
| この時について後に王は、「くたくたの精神状態」の中で「誰が悪いのではなく」起きてしまったことと言い、柳は「集中力を切らした自分が悪い」「でも第7局じゃなくてよかった」と述べた。 |
| 次いで柳は第6局も敗れ、棋聖位獲得はならなかった。 |
| この事件は、囲碁界で初めてビデオを用いた裁定となり、終局時のルールやマナーに関する議論も巻き起こした。 |
参考文献
| 秋山賢司「飛び出した若手棋士群像第1回柳時熏四段」(『棋道』1991年7月号)。 |
| 大島正雄「世界一を目指す超新星群像第11回柳時熏」(『棋道』1998年11月号)。 |
|
1971年
|
柳 時熏(りゅう しくん、류시훈、ユ・シフン... |
|
1986年
|
尹奇鉉の紹介で来日して大枝門下となり、日本... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
柳時熏さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|