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つながりの強いひと
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徳川綱吉
徳川徳松、鶴姫。俗に、柳沢吉里が綱吉の落胤であるといわれるが、実際には疑わしい。 |
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新井白石
江戸時代中期に活躍した旗本・政治家・学者である。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に渡る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、... |
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江宮隆之
江宮隆之(えみやたかゆき、1948年-)は日本の歴史小説作家、時代小説作家、ノンフィクション作家。山梨県生まれ。中央大学法学部卒業。戦国時代の造詣に深く... |
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荻生徂徠
江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は双松(なべまつ)、字は茂卿(しげのり)、通称は総右衛門、徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとす... |
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幕府大老格柳沢吉保の側室で、文学者として知られる。権大納言正親町実豊の娘で、正親町公通の異母妹。初名を弁子といい、16歳で江戸に下り、柳沢保明(のち... |
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1991年1月1日にNHKで放送されたテレビドラマ。 |
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江戸時代の武士。柳沢信... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%B2%A2%E5%AE%89%E5%BF%A0 柳沢吉保 - Wikipedia 万治元年(1658年)12月8日、上野国... |
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柳沢吉里
江戸時代中期の大名で、甲斐甲府藩の第2代藩主。後に大和国郡山藩の初代藩主となる。柳沢吉保の嫡男。郡山藩柳沢家2代。 |
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福留 真紀著 税込価格:(本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 27 ポイント(1%進呈) 国内送料無料でお届けできます 出版 : 角川学芸出版 発売 : 角川グ... |
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堀田正俊
江戸時代の大名。江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主。正俊系堀田家初代。第3代将軍徳川家光政権下の老中堀田正盛の3男。母は若... |
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生類憐
そのような名前の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶ。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には... |
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徳川家宣
江戸幕府第6代将軍(在職:1709年-1712年)である。甲府藩主・徳川綱重(甲府宰相)の長男で、母はお保良の方(長昌院)。正室は近衛基熙の娘・天英院熙子。... |
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荻原重秀
江戸幕府の勘定奉行。管理通貨制度に通じる経済観を有し、元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名。通称は彦次郎、五左衛門。官位は従五位下・近江守。 |
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北大路欣也
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プロフィール
- 柳沢吉保とは
- 生涯
- 人物・逸話
- 家族
- 参考資料
- 映画
- テレビドラマ
- 関連サイト
柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は、江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名。武蔵国川越藩主・甲斐国甲府藩藩主・大和国郡山藩主。第五代将軍 徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。通称は十三郎、のち弥太郎。名は房安、佳忠、信本と改名する。延宝3年(1675年)家督相続に保明(やすあき)と改名した。官位は従四位下・左近衛権少将・出羽守(でわのかみ)、後に美濃守(みののかみ)。
生涯
| 柳沢氏は家清和源氏の流れを引く河内源氏の支流甲斐源氏武田氏一門である甲斐一条氏の末裔を称し柳沢氏の系譜については西川広平「柳澤家の系図編纂と武田家」『山梨県立博物感研究紀要』第3号、2009、甲斐北西部の在郷武士団である武川衆に属した。 |
| 武田氏の滅亡後武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が家康に士官する。 |
| 柳沢氏は土屋氏と並んで、武田遺臣から近世大名化した一族として知られる。 |
| 万治元年(1658年)12月8日、上野国館林藩士・柳沢安忠の長男として生まれる。 |
| 母は側室の佐瀬氏。 |
| 長男ではあったが父の晩年の庶子であり、柳沢家の家督は姉の夫(父・安忠の娘婿)である柳沢信花が養嗣子となって継いだ。 |
| 延宝8年(1680年)、館林藩主の綱吉が実兄である4代将軍徳川家綱の将軍後継として江戸城に入ると館林家臣である保明も幕臣となり、小納戸役に任ぜられる。 |
| 綱吉の寵愛により頻繁に加増され、貞享2年(1685年)12月10日、従五位下出羽守に叙任する。 |
| 元禄元年(1688年)11月12日、小納戸上席より将軍親政のために新設された側用人に就任。 |
| 禄高も1万2000石とされて大名に昇る。 |
| 2年後にも2万石加増。 |
| 元禄3年(1690年)12月25日、従四位下に昇叙。 |
| 元禄7年(1694年)1月7日には石高7万2000石とされ、武蔵川越藩主(埼玉県川越市)となる。 |
| 同年12月9日には老中格と侍従を兼帯。 |
| 同11年(1698年)7月21日、大老が任ぜられる左近衛権少将に転任する。 |
| 同時に出羽守から美濃守に遷任し、松平の苗字を許された。 |
| 宝永元年(1704年)12月、綱吉の後継に甲府徳川家の徳川家宣が決まると、家宣の後任として甲府藩(山梨県甲府市)15万石の藩主となる甲斐国は江戸に近い要衝として重要視され、近世には幕府直轄領から徳川一門の所領に変遷している。 |
| さらに側室に名門公卿の正親町公通の妹を迎えていた関係から朝廷にも影響力を持ち、元禄15年(1702年)に将軍綱吉の生母桂昌院が朝廷から従一位を与えられたのも、吉保が関白近衛基煕など朝廷重臣達へ根回しをしておいたおかげであった。 |
| 宝永2年(1705年)、家門に列する。 |
| 宝永3年(1706年)1月11日には大老格に上り詰めた。 |
| しかし宝永6年2月19日(1709年3月29日)、権勢の後ろ盾とも言うべき綱吉が薨去したことで、幕府内の状況は一変した。 |
| 代わって新将軍家宣とその儒者新井白石が権勢を握るようになり、綱吉近臣派の勢いは失われていった。 |
| 同年6月3日(7月9日)、自ら幕府の役職を辞するとともに長男の吉里に柳沢家の家督を譲って隠居し、以降は保山と号した。 |
| 隠居後は江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉が度々訪れた六義園(りくぎえん)の造営などを行った。 |
| 正徳4年(1714年)11月2日、死去。 |
| 法名は永慶寺保山元養。 |
| 墓所は奈良県大和郡山市永慶寺町の龍華山永慶寺、また、山梨県甲州市塩山小屋敷の乾徳山恵林寺(武田信玄の墓の隣)にある。 |
人物・逸話
| 俗説によれば、側室の染子はかつて綱吉の愛妾であり、綱吉から吉保に下された拝領妻であるという。 |
| 一説に吉里は綱吉の隠し子であるとも言われる。 |
| また、一説に吉保は甲府に百万石の領地を綱吉から賜らんと企てて、吉保の側室になってからも綱吉の寝所に召されることの多かった染子を通じてこれを願い出た。 |
| 綱吉はこれを快諾するも、まもなく綱吉は病死し、このことは沙汰止みとなった。 |
| しかし、このようなことがまた起こることを憂慮した幕閣は、これ以降、将軍が大奥に泊まる際には、同衾する女性とは別に大奥の女性を2名、将軍の寝所に泊まらせ、彼女等に寝ずの番をさせ、その夜に何が起こったのかを尽く報告させることとした。 |
| この事は、江戸幕府が滅亡するまで続けられた。 |
| 以上の説話は主に『護国女太平記』が流布・訛伝されたものと考えられており、実際には染子は柳沢家家臣の娘に過ぎず、大奥に上がったことも一度としてなかったため、将軍綱吉との接点もほとんどない。 |
| 「御添い寝」の逸話も、おねだりをしたのがお伝の方など他の女性に変えられて語られる場合もあり、これも信憑性のないものとされることが多い。 |
| 元禄14年(1701年)の浅野長矩の刃傷事件に対する幕府の裁断には吉保の意向が関係していた事実が指摘されており、元禄赤穂事件を題材とした『忠臣蔵』ドラマなどでは事件の黒幕・悪役として描かれる事が多い。 |
| しかし川越藩主時代には三富新田の開発(現在でも所沢市・三芳町あたりにその当時の区画が残っている)などを行い、行政面での業績は評価されている。 |
| 三富新田の古くからの住民の家には、祖先の位牌と並んで吉保の位牌が並べられているという報告もある廣井敏男『里山はトトロのふるさと』旬報社。 |
| 吉保は綱吉の文治政治に恭順するために儒者を多く召し抱え、儒学の発展に少なからぬ役割を果たした。 |
| 有名な者には新井白石のライバル的存在として知られる荻生徂徠、また元禄赤穂事件を裏から支援していたことで知られる細井広沢がいる。 |
| 細井広沢はのちに側用人の松平輝貞の不興を買い、輝貞から柳沢家へ執拗に細井を放逐せよという圧力があったため、やむなく放逐されたが、その後も吉保は浪人した広沢に年間50両もの支援金を送って親交を持ち続けたという。 |
| 明治維新にて廃藩置県となった明治13年に、旧大和郡山藩士族が柳沢吉保と柳沢吉里の遺徳を偲び、旧大和郡山城跡に柳沢神社を創建した。 |
家族
| 正室は親族である曽雌定盛の娘(曽雌定子)。 |
| 側室は飯塚氏(飯塚染子)、公家正親町実豊の娘(正親町町子)。 |
| 染子との間に嫡男の柳沢吉里が生まれている。 |
| 子は柳沢吉里(長男)、柳沢長暢(次男)、柳沢安基(三男)、柳沢経隆(四男)、柳沢時睦(五男)、米倉忠仰(六男)、柳沢保経(七男)、娘(内藤政森正室)、娘(大河内松平輝貞養女、本庄資訓継々室)。 |
| 長男吉里はのち大和国郡山藩15万石に転じる。 |
| 四男経隆は越後国黒川藩1万石、五男時睦は同国三日市藩1万石の藩主となり、三藩とも明治維新まで存続した。 |
| 六男忠仰は米倉昌照の養子となって皆川藩主(のち六浦藩主)。 |
| 七男保経は兄・時睦の養子となる。 |
映画
| 赤穂城断絶(1978年吉保:丹波哲郎)。 |
| 忠臣蔵四十七人の刺客(1994年東宝吉保:石坂浩二)。 |
テレビドラマ
| ;柳沢吉保が主人公のテレビドラマ。 |
| 元禄太平記(1975年NHK大河ドラマ吉保:石坂浩二)。 |
| ;柳沢吉保が登場するテレビドラマ。 |
| 赤穂浪士(1964年NHK大河ドラマ吉保:坂東三津五郎)。 |
| 大奥(1968年フジテレビ系列吉保:木村功→若山富三郎)。 |
| 水戸黄門(ナショナル劇場吉保:山形勲→橋爪淳→石橋蓮司)。 |
| 大忠臣蔵(1971年NETテレビ:現在のテレビ朝日系列、全52回、吉保:神山繁)。 |
| 峠の群像(1982年NHK大河ドラマ吉保:岡本富士太)。 |
| 大奥(1983年フジテレビ系列吉保:あおい輝彦)。 |
| 八代将軍吉宗(1995年NHK大河ドラマ保明:榎木孝明)。 |
| 元禄繚乱(1999年NHK大河ドラマ吉保:村上弘明)。 |
| 徳川綱吉イヌと呼ばれた男(2004年フジテレビ系列吉保:田辺誠一)。 |
| 大奥~華の乱~(2005年フジテレビ系列吉保:北村一輝)。 |
| 忠臣蔵瑤泉院の陰謀(2007年新春ワイド時代劇吉保:高橋英樹)。 |
| 徳川風雲録八代将軍吉宗(2008年新春ワイド時代劇吉保:嶋田久作)。 |
| 忠臣蔵音無しの剣(2008年テレビ朝日系列吉保:西村雅彦)。 |
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1658年
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上野国館林藩士・柳沢安忠の長男として生まれる |
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1680年
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館林藩主の綱吉が実兄である4代将軍徳川家綱... |
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柳沢吉保さんについてのひとこと紹介
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