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つながりの強いひと
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桂ざこば
日本の落語家(上方噺家)、タレント。本名、関口弘(せきぐちひろむ)。大阪市西成区今池出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(代表理事)。前名は桂朝... |
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桂南光
上方噺家、タレント。本名は森本良造(もりもとりょうぞう)。大阪府南河内郡千早赤阪村出身。芸能事務所米朝事務所常務取締役。出囃子は『猩々』。愛称は「... |
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桂米朝
師匠
旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家(上方噺家)。本名、中川清(なかがわきよし)。出囃子は『三下り鞨鼓(三下りかっこ)』。俳号は... |
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桂雀々
米朝事務所。また、浅井企画においても業務提携という形で在籍している。 |
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桂米團治
落語家(上方噺家)。本名は中濱賢三(なかはまけんぞう)。出囃子は『羯鼓』。 |
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繁昌亭
繁昌亭大賞(はんじょうていたいしょう)は 天満天神繁昌亭 が主催する、 上方 の 落語家 に送られる賞である。繁昌亭のスターを作っていくという目的の為に... |
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桂団朝
京都市出身の落語家。本名は井上孝司(いのうえたかし)。西京商業高等学校(現京都市立西京高等学校)在学中より寄席に通い、1987年4月5日に3代目桂米朝に入... |
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桂吉弥
桂吉弥(かつらきちや、1971年2月25日-)は大阪府茨木市出身の落語家、俳優。本名は富谷竜作(とみやりゅうさく)。既婚。子供2人。兵庫県尼崎市在住。所属事... |
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笑福亭仁鶴
大阪府大阪市生野区出身(後に同府交野市へ転居)の落語家(上方噺家)である。本名、岡本武士(おかもとたけし)。血液型はO型。所属事務所はよしもとクリエ... |
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桂吉の丞
桂吉の丞(かつらきちのじょう、1982年7月31日-)は大阪府堺市出身の落語家。本名は飯村隆祥(いいむらたかよし)。所属事務所は米朝事務所。上方落語協会会... |
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桂三枝
日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会会長。本名、河村静也(かわむらしずや)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。師匠は桂小... |
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桂まん我
桂まん我(かつらまんが、1971年12月2日-)は兵庫県神戸市出身の落語家。本名は永原淳(ながはらじゅん)。 |
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林家正蔵
東京都台東区根岸出身の落語家(落語協会常任理事)、タレント、声優、司会者、大学教員。血液型A型。東京都立竹台高等学校卒業。出囃子は『あやめ浴衣』。前... |
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桂米二
日本の落語家。京都府京都市出身、京都府立城南高等学校卒業。本名は澤田正己(さわだまさき)。所属事務所は米朝事務所であり、人間国宝である3代目桂米朝の... |
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柴田幸子
京都府を拠点に活動するローカルタレント。父の赴任先であるタイ・バンコクで生まれる。夫と息子がおり、趣味は雑貨製作である。同じくローカルタレントで、K... |
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月亭八方
日本の上方噺家。上方落語協会書記長。出囃子は「夫婦萬歳」。本名、寺脇清三(てらわきせいぞう)。大阪市福島区出身、同区在住。よしもとクリエイティブ・... |
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林家染丸
上方落語の名跡。現在は上方林家の事実上の止め名。当代は4代目。初代・2代目と卯年の生まれであったため、代々うさぎ(ぬの字うさぎ)を定紋としている。な... |
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桂枝雀
兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも人一倍の努力と類稀... |
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柳家花緑
社団法人落語協会所属の落語家(真打)。東京生まれ。人間国宝であった5代目柳家小さんは母方の祖父に当たる。兄は振付家(元バレエダンサー)小林十市。叔父... |
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プロフィール
- 桂塩鯛とは
- 解説
- 3代目
- 4代目
- 塩鯛襲名に関する逸話
- 出典
桂塩鯛(かつらしおだい)は、上方落語の名跡。本来の旧字体の表記は「鹽鯛」。現在は4代目。
解説
| 俗称ではあるが、初代文團治門下には「鯛蔵」「鯛團治」「鯛助」「小鯛」など、「鯛」字が付く弟子が多数いる。 |
| なお『落語系圖』では、この塩鯛の名跡に関しては代数を振っていない。 |
| 初代鹽鯛が、あくまでも初代文團治のあだ名扱いであったことによると思われる。 |
| また、1929年に騒人社書局より出版された『名作落語全集』所載の『米揚げ笊』速記によると、。 |
| 「この落語は初代桂鹽鯛(初代文團治)の原作で御座いまして、これが塩鯛の名をつぎます者は必ず譲られる事に居ます。 |
| 私は恰度三代目で、然し原作の時代と只今とは、時代も変ってきました…」と記載されており、これは2代目文團治(または3代目文團治)を2代目鹽鯛として代数に勘定したものであろう。 |
| ただし、2代目文團治(または3代目文團治)が鹽鯛の名跡を自ら名乗ったことがあるのかどうかは不詳。 |
3代目
| 桂鹽鯛(1877年-1943年3月15日)は、本名:岡本蜜太郎。 |
| 初めて「鹽鯛」を正式に名乗った落語家(上方噺家)である。 |
| 1899年1月、2代目笑福亭梅鶴(後の2代目笑福亭勝鶴、3代目笑福亭松鶴の門下)の門下で勝寿(勝壽)を名乗る。 |
| 1899年1月の神戸湊亭が初高座。 |
| 1904年頃、初代笑福亭福松の門下で福壽。 |
| 1908年、4代目笑福亭松鶴門下で2代目萬歳となるが、気難しい師匠との関係が上手く行かなくなり、大正(1911年、2年頃)に入り互楽派に移って太平洋鯱丸(しゃちまる)を名乗る。 |
| 1913年頃、2代目桂米團治(後の3代目桂文團治)の門下で2代目桂米紫となり、1919年頃に鹽鯛を襲名。 |
| 非常に小柄で童顔だったためか「ベビーハナシカ」などと呼ばれた。 |
| 老巧な芸風で、廃業する昭和初年頃までは第一線で活躍していた。 |
| 落語番付でも横綱、大関にはなれなかったが、前頭には落ちず、常に三役を保つほどだった。 |
| 1929年頃には吉本興業を脱退し、大阪市港区市岡で「雨風屋」という喫茶店を開きながら、主にお座敷やラジオなどで芸を披露するのみとなった。 |
| 十八番は『舟弁慶』『口入屋』『裏の裏』『袈裟茶屋』など。 |
| 米紫時代には『日和小町』『廻り猫』などのSPレコードの録音を残している。 |
| 福壽時代の妻は松川家妻奴と言い、三味線の名手で、「堀江六人斬り」で両腕を失った松川家妻吉(本名:大石よね、後に出家して大石順教)の伴奏で有名になった。 |
| 後妻の名は「ひな」と言い、戦後まで下座で活躍した。 |
| 弟子には鯛蔵、鯛次、鯛六、鯛丈等がいた。 |
| 近年、都丸の襲名に際して、研究家の豊田善敬が再調査したところ、塩鯛の子孫が存命であることが判明した。 |
4代目
| 2010年8月に2代目桂ざこばの筆頭弟子である桂都丸が4代目を襲名した。 |
| なお、本襲名に併せて、都丸の弟子3名も同時に襲名・改名(米紫・鯛蔵・小鯛)を行った(上方落語界では、初の師弟同時襲名。 |
| 落語界全体では、林家木久扇・2代目林家木久蔵の親子ダブル襲名(師弟でもある)に次ぐ2度目のケース)。 |
| 漢字「鹽鯛」は画数が多くて寄席文字としては優れているが,現代日本人では読めない者が多いだろうという判断から、4代目から現代字の「塩鯛」とすることとなった。 |
塩鯛襲名に関する逸話
| 6代目笑福亭松鶴が、ざこば(当時:桂朝丸)に塩鯛襲名の話をしたことがあったが、師匠の3代目桂米朝が「わしの弟子の名前はわしが決める」と実現に至らなかった。 |
出典
| 『落語系圖』(月亭春松編)。 |
| 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)。 |
| 『ご存じ古今東西話噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)。 |
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1908年
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4代目笑福亭松鶴門下で2代目萬歳となるが、気... |
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2010年
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2代目桂ざこばの筆頭弟子である桂都丸が4代目... |
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桂塩鯛さんについてのひとこと紹介
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