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つながりの強いひと
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夢路いとし・喜味こいし
戦前から21世紀初頭にかけて活動した、夢路いとしと喜味こいしの兄弟による日本の漫才コンビ。1937年に少年漫才コンビとして活動を開始、2003年9月に兄の夢路... |
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上方柳次・柳太
上方柳次・柳太(かみがたりゅうじ・りゅうた)とは戦後にかけて活躍した漫才コンビ。 |
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暁伸・ミスハワイ
『浪漫リズム』で知られた夫婦の浪曲漫才コンビ。2009年、第13回上方演芸の殿堂入り。 |
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京唄子
日本の女優・漫才師。所属事務所はさち子プロ。京都府京都市出身。 |
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フラワーショウ
松竹芸能に所属していた浪曲漫才トリオ。テーマ曲は「道頓堀行進曲」「♪ようこそ~皆さま~ご機嫌宜しゅう~歌って~笑って~フラワーショウ~どうぞ~よろし... |
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正司敏江・玲児
元夫婦によるどつき漫才コンビ。敏江が松竹芸能所属で、玲児はフリー。 |
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ジョウサンズ
女性浪曲漫才トリオ。1962年3月結成し新世界の新花月で初舞台、人気浪曲師の秋水嬢を中心に据えた、若手女性版の宮川左近ショウ的な構成だった。活動は1975年... |
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海原お浜・小浜
上方の女流漫才師である。戦後は角座などの松竹系の劇場やトップホットシアター等に出演。 |
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ミスワカサ・島ひろし
戦中から戦後期にかけて活躍した漫才師である。ひろしが大阪でボーイズで舞台に立っているときにワカサから一目惚れされコンビを結成。1941年、新芸演劇部の... |
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三遊亭小円・木村栄子
・昭和期に活躍した漫才師(夫婦漫才)。栄子は17歳の時に徳島県から大阪に出て水商売などの仕事を転々。2人の初めての出会いは新世界の小料理屋で仲居をして... |
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砂川捨丸・中村春代
砂川捨丸・中村春代(すながわすてまる・なかむらはるよ)は大正、昭和の高度経済成長期にかけて活躍した日本の漫才コンビ。出囃子は『岩見』。 |
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横山たかし・ひろし
横山たかし・ひろし(よこやまたかし・ひろし)は松竹芸能所属の漫才コンビ。横山やすしの弟子で、共に明蝶学院の出身。1968年にコンビ結成。同年に新世界新... |
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レツゴー三匹
和光プロダクション→松竹芸能(じゅんのみオフィスのいり所属)所属の漫才トリオ。タイヘイ一門の総領格だが、永らく半休止状態にある。トリオ名の由来は名古... |
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荒川キヨシ・小唄志津子
大正・昭和期に活躍した日本の漫才師。キヨシの長身で細身の体、志津子の巨体のコントラストが受けた。漫才という形を取っているがほとんどがキヨシの一人舞... |
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プロフィール
- 桜川末子・松鶴家千代八とは
- メンバー
- 受賞歴
- 録音・映像
- 関連項目
- 参考文献
桜川末子・松鶴家千代八(さくらがわすえこ・しょかくやちよはち)は、昭和期に活躍した音曲漫才コンビ(1954年~1974年)。恰幅の良い末子が男勝りの気っ風と節回しで聞かせる江州音頭と、痩躯の千代八が甲高い声で細棹を弾き語る座敷唄の数々、締めには定番の数え歌でウケを取った。十八番に野球の数え歌がある。1954年にベテラン同士で結成。高齢を理由に1974年10月に新世界新花月にて引退興行するまで、上方芸界の大看板に20年間君臨し続けた。尚テレビなどで古典万歳の 三曲万歳が披露されるとよく出演していた。
メンバー
| 櫻川末子(さくらがわすえこ、1901年-1987年)本名:中村末子。 |
| 江州音頭の音頭取りの家に出生。 |
| 少女音頭取りとして、明治末から今で言うアイドル人気を博していたが、1920年頃櫻川仙丸から櫻川仙末女(さくらがわせんまめ)の名を貰い一本立ちした。 |
| 江州音頭の営業が減少する農繁期対策で、1921年に荒川竹丸と『竹丸・末子』を組み、天満朝日席で漫才初舞台。 |
| これが吉本興業の目に留まって専属になり、1923年に櫻川花子と本邦初の女性コンビ『末子・花子』で売り出される。 |
| 三代目桂米朝をして「戦前の吉本を儲けさしたんは末子」と述懐しむるほどの絶大な人気を誇った |
| 1945年、花子の出産に伴いコンビ解消。 |
| 立美三好、高田久子と相方を変えた後、1954年から二代目千代八と組み、高座、座敷、ラジオ・テレビのみならず、従前櫓の上でも引く手数多だった。 |
| 1960年代後半には体調を崩し一時舞台を休んでいたが、1970年の大阪万博を機に猛然と復活、道頓堀角座で大トリを張り連日満杯の客を捌いた。 |
| 鼓を携えた勇姿は女捨丸(おんなすてまる)『三人奴』の市松笑顔が一時砂川女捨丸(すながわめしゃまる)を名乗っているが、別人。 |
| と讃えられ、客からも「女捨丸」と声がかかった。 |
| 晩年の夫は作家(ネタ)も書いていた。 |
| 1分でも早く舞台を降りると「おまはんは、サボってる」と叱られたと言う。 |
| それほど芸に厳しかった。 |
| 桂米朝は末子の大ファンで必ず弟子等に楽屋のソデから生の舞台を見させていた。 |
| 松鶴家千代八(2代目)(しょかくやちよはち、1908年-?)本名:内藤タキエ。 |
| 1915年に松島・中島席で初舞台。 |
| 後に夫となる初代千代八に見初められ、1927年頃から夫婦漫才コンビ『松鶴家千代八・八千代』では大柄で鼻の下のちょび髭姿の千代八に対して小柄で美人の八千代で大小のコントラストを売りにし都々逸や剣舞など得意としていた。 |
| そして、千代八を八千代が竹刀で突っ込むという芸も人気になったが、それゆえ「萬歳は下劣である」という考えができる一因になった。 |
| 因みに竹は中を空洞にし寄席中に響くように細工していた。 |
| 夫が亡くなった1952年に二代目千代八を襲名。 |
| 間もなく末子と組み、肩肌脱いで叩く大太鼓の色気と、電光石火の撥捌き(三味線)、当意即妙の合いの手で末子の節を盛り立てた。 |
| 山中節も唸らせた。 |
| 引退まで第一線で活躍。 |
| 晩年「浪談博多小女郎」を極め付き。 |
受賞歴
| 第1回上方お笑い大賞功労賞。 |
| 第7回上方演芸の殿堂入り。 |
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1915年
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松島・中島席で初舞台 |
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1921年
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荒川竹丸と『竹丸・末子』を組み、天満朝日席... |
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投票数
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桜川末子・松鶴家千代八さんについてのひとこと紹介
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