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つながりの強いひと
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桃園天皇
江戸時代の第116代天皇(在位:延享4年5月2日(1747年6月9日)-宝暦12年7月12日(1762年8月31日))。幼名を八穂宮(やほのみや)または茶地宮(さちのみや)... |
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中御門天皇
江戸時代の第114代天皇(在位:宝永6年6月21日(1709年7月27日)-享保20年3月21日(1735年4月13日))。幼名を長宮(ますのみや)、諱を慶仁(やすひと)とい... |
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光格天皇
江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日)-文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱ははじめ師仁(も... |
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二条舎子
桜町天皇の女御で、後桜町天皇の生母。後に皇太后。女院号は青綺門院(せいきもんいん)。 |
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後桃園天皇
江戸時代の第118代天皇(在位:明和7年4月28日(1770年5月23日)-安永8年11月9日(1779年12月16日))。諱は英仁(ひでひと)。なお、急逝による後継の準備の... |
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東山天皇
東山天皇(ひがしやまてんのう、延宝3年9月3日(1675年10月21日)-宝永6年12月17日(1710年1月16日))は江戸時代の第113代天皇(在位:貞享4年3月25日(1687... |
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近衛尚子
母
江戸時代の中御門天皇の女御で、桜町天皇の生母。女院号は新中和門院(しんちゅうかもんいん)。 |
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仁孝天皇
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日)-弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。 |
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後水尾天皇
後水尾天皇(ごみずのおてんのう、慶長元年6月4日(1596年6月29日)-延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日... |
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徳川吉宗
江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は紀州藩第5代藩主をつとめ、さらにそれ以前は越前国葛野藩主であった。 |
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明正天皇
第109代天皇(在位:寛永6年11月8日(1629年12月22日)-寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。 |
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霊元天皇
江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)-貞享4年3月21日(1687年5月6日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)... |
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孝明天皇
江戸時代末期に在位した第121代天皇。在位は1846年3月10日(弘化3年2月13日)‐1867年1月30日(慶応2年12月25日)。幼称は煕宮(ひろのみや)。諱は統仁(おさ... |
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後西天皇
江戸時代の第111代天皇。幼名を秀宮、諱を良仁(ながひと)という。花町宮。花町殿。 |
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後光明天皇
江戸時代前期の第110代天皇(在位:寛永20年10月3日(1643年11月14日)-承応3年9月20日(1654年10月30日))。幼名を素鵞宮(すがのみや)、諱を紹仁(つぐひ... |
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後柏原天皇
室町時代、戦国時代の第104代天皇(在位:明応9年10月25日(1500年11月16日)-大永6年4月7日(1526年5月19日)。諱は勝仁(かつひと)。諡たる「後柏原」は、... |
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姉小路定子
プロフィール情報はありません 姉小路 定子(あねがこうじ さだこ、享保2年7月18日(1717年8月24日) - 寛政元年9月22日(1789年11月9日))は江戸時代中期... |
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後奈良天皇
室町時代・戦国時代の第105代天皇(在位:大永6年4月29日(1526年6月9日)-弘治3年9月5日(1557年9月27日))。諱は知仁(ともひと)。 |
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後小松天皇
室町時代北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇(在位:永徳2年/弘和2年4月11日(1382年5月24日)-応永19年8月29日(1412年10月5日))。諱は幹仁(もとひと)。 |
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プロフィール
- 桜町天皇とは
- 系譜
- 略歴
- 在位中の元号
- 諡号・追号・異名
- 陵墓・霊廟
- 参考文献
桜町天皇(さくらまちてんのう、享保5年1月1日(1720年2月8日)-寛延3年4月23日(1750年5月28日))は、江戸時代の第115代天皇(在位:享保20年3月21日(1735年4月13日)-延享4年5月2日(1747年6月9日))。幼名を若宮、諱を昭仁(てるひと)という。
略歴
| 享保13年(1728年)に立太子、同20年(1735年)に父帝の譲位により践祚。 |
| 江戸幕府の将軍徳川吉宗の助力と関白一条兼香の補佐を得て朝廷の儀式の復古に力を入れ、大嘗祭の再復活や新嘗祭、奉幣使などの他の儀礼の復活にも力を注いだ。 |
| また、自ら「大日本天皇昭仁親王」と記していることから、朝儀の復興を通して天皇の権威向上に努めていたことが窺える。 |
| 延享4年(1747年)桃園天皇に譲位して院政を開始するが、寛延3年(1750年)に脚気衝心により31歳で崩御。 |
| なお、徳富蘇峰の『近世日本国民史』以来、天皇が幕府の圧力によって退位したとする説があるが、実際には退位後においても積極的に政治や学問の振興策を主導しており、むしろ幕府からの干渉を避けるために院政による政治運営を行う狙いがあったと考えられている。 |
| ただ、院政を充実させるには残された3年という期間は余りにも短すぎるものであった。 |
| 神沢貞幹の『翁草』によると生まれが元旦でそのとき火事があり且つ実績も立派という共通点から聖徳太子の再来といわれ、歴史家としても知られた公家の柳原紀光も「延喜・天暦の治以来の聖代である」と評したという。 |
| 烏丸光栄に古今伝授を受けるなど歌道に優れ、御製は『桜町院御集』や『桜町院坊中御会和歌』としてまとめられている。 |
| また曽祖父・霊元天皇の御製を分類して『桃蕊類題(とうずいるいだい)』を残している。 |
在位中の元号
| 享保(1716年6月22日-1736年4月28日)。 |
| 元文(1736年4月28日-1741年2月27日)。 |
| 寛保(1741年2月27日-1744年2月21日)。 |
| 延享(1744年2月21日-1748年7月12日)。 |
諡号・追号・異名
| 仙洞御所の宮名である桜町殿により桜町院と追号された。 |
陵墓・霊廟
| 京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵(つきのわのみささぎ)に葬られた。 |
参考文献
| 宮内省図書寮編『桜町天皇実録』1~2巻(ゆまに書房、2006年)ISBN978-4-8433-2034-1。 |
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1728年
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立太子、同20年1735年に父帝の譲位により践祚 |
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1750年
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脚気衝心により31歳で崩御 |
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投票数
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桜町天皇さんについてのひとこと紹介
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