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つながりの強いひと
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蘇軾
蘇軾(そしょく、景祐3年12月19日(1036年1月8日)-建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東... |
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王安石
北宋の政治家・詩人・文章家。字は介甫、号は半山。撫州臨川(江西省撫州市)の人。新法党のリーダー。神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法... |
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筧文生
中国文学者。立命館大学名誉教授で、日本中国友好協会京都府連合会会長でもある。唐・宋文学を専門とし、また魯迅を中心とした近代文学も研究。夫人は同じく... |
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欧陽修
北宋仁宗から神宗期の政治家、詩人・文学者、歴史学者。字は永叔、醉翁・六一居士と号す。謚号は文忠。唐宋八大家の一人。 |
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陸游
南宋の政治家・詩人。字は務観。号は放翁。通常は「陸放翁」の名で呼ばれる。越州山陰(現在の浙江省紹興市)出身。南宋の代表的詩人で、范成大・尤袤・楊万... |
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蘇舜欽
蘇舜欽(そしゅんきん、1008年-1048年)は北宋時代の政治家・文学者。字は子美。 |
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黄庭堅
中国北宋時代の書家、詩人、文学者である。洪州分寧(現在の江西省修水県)の人。字は魯直(ろちょく)、号は山谷道人(さんこくどうじん)、涪翁(ふうおう... |
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李白
中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
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陶淵明
中国魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝... |
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白居易
中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。 |
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蘇轍
蘇轍(そてつ、1039年-1112年)は中国・北宋の文人で官僚。蘇洵の次子、蘇軾の弟にあたる。字は子由、穎濱または欒城と号す。唐宋八家の一人に数えられる。 |
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吉川幸次郎
日本の中国文学者、芸術院会員、文化功労者。 |
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杜牧
杜牧(とぼく、803年(貞元19年)-853年(大中6年))は中国、晩唐期の詩人。京兆府万年県(現陝西省西安市)の人。字(あざな)は牧之。号は樊川。晩唐の繊... |
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黄遵憲
清朝末期の詩人・外交官・政治改革者であり、また知日家としても知られる。 |
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曾鞏
曾鞏(そう・きょう、1019年-1083年)は中国・北宋の散文家。字は子固、諡は文定。建昌南豊の人。 |
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韓愈
中国・中唐を代表する文人・士大夫である。字は退之(たいし)、鄧州南陽(今の河南省孟州市)の人であるが、昌黎(河北省)の出身であると自称した。唐宋八... |
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陸羽
中国・唐代の文筆家。茶の知識をまとめた『茶経』3巻などを著述した。またの名を疾、字は鴻漸、季疵、号は桑苧翁と称した。(他からは竟陵子と呼ばれた)。他... |
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柳宗元
中国中唐の文学者・政治家。字は子厚(しこう)。本籍地の河東(山西省)から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」... |
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藤原良頼
平安時代中期の公卿。正三位権中納言。中納言藤原隆家の子、母は従四位下備前守藤原宣斉の娘。正室は源経房の娘。子に良基がいる。治安3年(1023年)に蔵人に... |
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プロフィール
- 梅尭臣とは
- 略伝
- 詩風
- 著作
- 訳注・研究
- 関連項目
梅堯臣(ばいぎょうしん、1002年(咸平5年)-1060年(嘉祐5年)4月25日)は中国・北宋中期の詩人で官僚政治家。字は聖兪。宣州宛陵(現在の安徽省宣城市)の人。その出身地から梅宛陵・宛陵先生、最終の官名から梅都官と呼ばれる。その詩風は宋詩の基礎をつくった。
略伝
| 母の名は束氏と張氏の2つが伝わっている。 |
| 梅家は代々官僚とは無縁の家柄だったが、叔父(梅譲の弟)の梅詢が例外的に翰林侍読学士という高官に就いていた。 |
| 13歳になるとその梅詢のもとで詩文を学んだと思われる。 |
| 26歳、太子賓客謝濤の娘と結婚する。 |
| 唐代のような世襲貴族が存在しない宋代にあって、官僚政治家を輩出する各家は、婚姻による結びつきにより新たに名族を作り出しつつあった。 |
| 謝家は欧陽脩・王安石・黄庭堅などとつながる名家であり、謝氏と結婚した梅堯臣の前途は洋々かと思われた。 |
| しかし梅堯臣は科挙に及第することなく、29歳のとき、梅詢の功績にあやかる任子という制度によって官途に就いた。 |
| 宋代の官僚任用制度の基本は科挙であり、イレギュラーな任子を官僚のスタートとして選んだ梅堯臣の官僚人生は、その出世のスピードが妻に「鮎魚(なまず)が竹竿を上るように」まどろっこしいと嘆かせるほど不遇で、生涯貧困を余儀なくされる。 |
| 役職としてまず太廟斎郎(皇帝の廟堂の係官)に就き、ほどなく桐城県(安徽省)の主簿(県知事の補佐官)を経て、30歳のとき河南(洛陽)の主簿に転じた。 |
| そこで洛陽留守(市長)で当時の文壇の重鎮であった銭惟演に詩才を激賞され、その紹介で多くの文人・詩人と知り合う。 |
| 生涯の親友であり文学の同志であり、パトロンともなった欧陽脩ともこのとき出会う。 |
| さらに河陽(河南省)主簿、徳興県(江西省)の県令(県知事)、建徳県(安徽省)・襄城県(河南省)の知県(県知事)、呉興(浙江省)の監税官など地方官を転々としたが、1044年7月7日、43歳のとき、呉興監税官を全うして都汴京に帰る途中、高郵(江蘇省)の船の中で妻謝氏を亡くし、同月のうちに符離(安徽省)で次男十十をも喪う。 |
| この一大事がその詩作に新たな作風を与えることとなる。 |
| 2年後に都官員外郎刁渭の娘と再婚した。 |
| その後も忠武軍節度判官(河南省許州の総督の属官)・鎮安軍節度判官(河南省陳州の総督の属官)など地方官を勤め、1049年には父梅譲の死による服喪などがあり、低い官位のままで生活は苦しかったが、1048年、国士博士(国立大学教授)、1051年、同進士出身を賜り、太常博士になった。 |
| 進士は科挙の中でも最も尊ばれたコースであり、これにより50歳にしてようやく梅堯臣の未来も大きく拓けたかに見えた。 |
| いったん永斉倉(汴京の北の永斉渠という運河のほとりにあった穀物倉庫)の監督に転じ、母束氏の喪に服した後、1057年、欧陽脩らの推薦によって中央での官である国子監直講(国立大学教授)になり、翌年、科挙の知貢挙(試験委員長)となった欧陽脩のもとで小試官(試験官)となった。 |
| このとき及第した者のなかには蘇軾・蘇轍兄弟、曾鞏がいる。 |
| 1060年、尚書屯田司員外郎・刑部都官員外郎に至ったが、4月17日、当時都に流行した疫病に倒れ、同月25日、59歳で亡くなった。 |
| このとき在住していた汴京城東の汴陽坊は庶民が住む下町で、大官が車馬を連ねて弔問に訪れるのを見て、近所の人々が驚いたと欧陽脩による墓誌銘が伝えている。 |
| 長男に梅増、夭折した次男十十、ほか女子2名がいた。 |
詩風
| 詩を作るにあたって梅堯臣は平淡を旨とした。 |
| これは晩唐から流行していた西崑体の、華麗な表現に主眼を置き過ぎ難解になりがちな詩風に反対するものである。 |
| また身近なことを題材に詩を詠んだのも特徴のひとつである。 |
| 例えば、犬猫から蝿やミミズなどの小動物、農具など生活に身近な物を詠んだりと、今まで誰も用いなかったようなものを題材とする詩が多く、何でもかんでも詩にしてしまったという具合である。 |
| さらにそれらの題材に仮託して、詩の中である事物に対する議論が行われている。 |
| また地方官勤めが長かったため、世の矛盾に対して辛辣な批判を述べる社会派の詩も多い。 |
| このような梅堯臣の詩風は、「かめばかむほど味が出る」と評されたが、その平淡さゆえに派手さがなくわかりにくいなどの批判がある。 |
| そのためか漢詩にある種の優美さを求める日本の読者にはあまり人気がない。 |
| 宋代詩の系列では蘇舜欽とともに「蘇梅」と並称されている。 |
著作
| 宛陵集60巻。 |
| 新唐書編纂に関与。 |
| 孫子の注13篇。 |
| 続金針詩格1巻。 |
訳注・研究
| 筧文生『中国詩人選集第二集3巻.梅堯臣』(岩波書店、新版1990年ほか)。 |
| 横山伊勢雄「梅堯臣の詩論」、『宋代文人の詩と詩論』より 創文社〈東洋学叢書〉、2009年。 |
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1002年
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梅譲の、おそらく庶子として生まれる |
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1044年
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43歳のとき、呉興監税官を全うして都汴京に帰... |
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