| 異母兄弟の下から二番目に生まれ、長兄とは20歳位離れている。 |
| 1950年千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張で育つ。 |
| 読書が好きで、SFやナチュラリズム系の本、海外旅行記などを好んで読んだ。 |
| また映画少年でもあり、小学生時代から高校時代に掛けてカメラ小僧であった。 |
| 小学校6年の時に父親が死に、中学に進学するとガラの悪い学校で、以降、高校まで喧嘩にあけくれる。 |
| 一方、中学3年で8ミリの自主ニュース映画を撮った。 |
| また、高校の時に校庭で後述の沢野ひとしらと焚火をした。 |
| 中学生のとき、1枚の写真に出会った。 |
| 兄が購読していた写真雑誌「アサヒカメラ」の1ページだった。 |
| 陽のあたる農家の縁側で竹のような籠「いづめ」に入れられてゆったり眠っている赤ちゃんの写真に心が奪われた。 |
| このいづめに赤ちゃんを入れてあげた親の心の温かさがその1枚の写真から伝わってきた。 |
| ふいに今いる、がさつに閉塞した空間にそうそういつまでも付き合っていなくていいのだと気付き、気持ちを切り換えて、じわじわとその狭い世界から脱出していくように努力した。 |
| 思いがけない「写真の力」を初めて感じ、写真との関係が密接になっていき、「いつしか将来は写真を仕事としたいと思うようになった」という椎名誠『五つの旅の物語』講談社 2010年 ISBN9784062160582。 |
| 1964年千葉市立千葉高等学校卒業。 |
| イラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生。 |
| 高校卒業後に、江戸川区小岩のアパート克美荘で、沢野ひとし・木村晋介ら4人で、6畳1間で共同生活をした。 |
| 東京写真大学は半年でやめ、シナリオライター養成学校に通いながら、銀座のニコラスで皿洗いのバイトなどをする。 |
| その時来店した三島由紀夫を木村晋介と共に見に行ったというエピソードが、椎名の著作の中で何回か語られている。 |
| この頃、木村の友達であり、後に妻となる渡辺一枝と出会っている。 |
| 1964年東京写真大学(現東京工芸大学)入学。 |
| 翌1965年、大学を中途退学。 |
| 1966年流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているデパートニューズ社(現・ストアーズ社)に入社。 |
| この時、入社させてくれたのが、後に爬虫類研究家として有名になる、高田榮一だったという。 |
| 編集者として才能を発揮し、ストアーズレポートは椎名が企画し創刊、編集長を勤めた。 |
| なお、1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを目黒と共同で行っていた。 |
| 椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4、5本は書いていたという南伸坊『さる業界の人々』(ちくま文庫)の関川夏央の解説より。 |
| なお、関川も同時期にエロ漫画雑誌の編集長及び、原作執筆を手がけていたという。 |
| 1968年頃沢野ひとし・木村晋介ら仲間と「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会を設立。 |
| 以降盛んに、島などに旅して、海岸でキャンプテントを張り、自炊をして宴会した。 |
| その活動は、1980年に『わしらは怪しい探険隊』と題して出版し、シリーズ化された。 |
| 1976年『本の雑誌』創刊号発行。 |
| デパートニューズ社勤務中、同僚の目黒考二、菊池仁らと発行(第2号から2011年まで編集長)した。 |
| 誌上での椎名の「面白文体」の文章が評判となる。 |
| 1979年『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局刊)でエッセイストとしてデビューする。 |
| その軽快で口語調の文体は嵐山光三郎らの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、一躍マスコミの寵児となる。 |
| 1980年ストアーズ社を退社して執筆業に専念する。 |
| ただし、椎名自体はこの現象を快く思っていなかったらしく、八十年代に発表された「さらば昭和軽薄体」というエッセイの中でこの文体からの脱却を宣言している。 |
| その後は小説に進出、私小説、SF小説、超常小説を多数発表。 |
| 文筆活動以外には、辺境の地への冒険をライフワークとし、ドキュメンタリー番組によく出演するほか、旅先での写真を多数発表。 |
| また本好きの習性として、旅先にも大量の本を持参して読了している。 |
| 自称“活字中毒”。 |
| デビュー前から8ミリ、16ミリでの自主制作映画を撮っていた、本人曰く「見るより撮るのが好きな映画好き」。 |
| デビュー後に映像プロダクション「ホネ・フィルム」を読売広告社の岩切靖治(木村晋介の高校の同級生)と設立。 |
| 国内外の辺境地域を舞台とした映画を監督した(現在、ホネ・フィルムは解散)。 |
| 写真好きでもあり、写真と文章とを収録した著書も多数。 |
| 写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。 |
| 山形で「やまがた林間学校」の、徳島で「川の学校」の講師もつとめた。 |
| 非常に酒好きで特にビールを好む。 |
| 自身のエッセーには酒に纏わる記述や二日酔いの記述がしばし登場する。 |
| 『週刊金曜日』の編集委員も務めたが、連載を担当していたほかは実質的な仕事をしていないとしており、表紙写真の担当を降りたことから2007年12月14日号を最後に退任。 |
| 新宿で居酒屋「池林房」などを経営し、椎名と交友が深い太田篤哉(椎名の著書には「太田トクヤ」として登場)が、2003年に新宿にビルを建てた際、仲間と資金を出し合ってその屋上にモンゴルのゲルを建設した(ゲルは、その後、台風により倒壊した)。 |