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つながりの強いひと
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伊藤久男
伊藤久男(いとうひさお、1910年(明治43年)7月7日-1983年(昭和58年)4月25日)は日本の歌手。本名:伊藤四三男。福島県本宮市出身。本名の四三男は生年の... |
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藤山一郎
日本の歌手・声楽家・作曲家・指揮者。本名は増永丈夫(ますながたけお)。本名ではクラシック音楽の声楽家。バリトン歌手として活躍。東京府東京市日本橋区... |
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古賀政男
作品提供
昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。栄典は従四位・勲三等・瑞宝章・紫綬褒章。明治大学卒。本名、古賀正夫。少年時代に弦楽器に目... |
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三原純子
結婚
昭和期の流行歌の歌手。本名は黒田粋子。参議院議員・元タレントの三原じゅん子とは別人。 |
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霧島昇
霧島昇(きりしまのぼる、1914年(大正3年)6月27日-1984年(昭和59年)4月24日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は坂本栄吾。福島県双葉郡大... |
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美ち奴
結婚
美ち奴(みちやっこ、本名:久保染子1917年(大正6年)6月8日-1996年(平成8年)5月29日)は昭和時代に活躍した芸者歌手。 |
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ディック・ミネ
ディック・ミネ(1908年10月5日-1991年6月10日)は徳島県徳島市出身の日本のジャズ・ブルースの歌手、俳優である。訳詞家・編曲家としては本名の三根徳一(み... |
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久保幸江
久保幸江 - Wikipedia 久保 幸江(くぼ ゆきえ 1924年1月24日 - )は女性歌手。 [編集] 経歴. 1924年(大正 13年)、日本統治下の台湾・屏東市に生まれる。 1... |
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東海林太郎
東海林太郎(しょうじたろう、1898年(明治31年)12月11日-1972年(昭和47年)10月4日)は歌手。ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う、戦前を代... |
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近江俊郎
東京都出身の歌手、作曲家、映画監督。正則中学校卒業。兄は新東宝社長を務めた大蔵貢。姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。 |
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上原敏
秋田県出身の歌手。「妻恋道中」「裏町人生」のヒットを持つ戦前に活躍した流行歌手。最終学歴は専修大学卒業。 |
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佐藤惣之助
日本の詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。 |
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松平晃
昭和期の流行歌歌手。本名は福田恒治(ふくだつねはる)。SPレコード歌謡の揺籃の時代から全盛期にかけて、「佐賀っぽ」という気質を前面に出し、青春のブリ... |
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波平暁男
波平暁男(なみひらあきお、1915年(大正4年)-1983年(昭和58年))は昭和期の歌手。 |
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江口夜詩
昭和期の日本の作曲家。岐阜県上石津町(現・大垣市)出身。16歳の時、海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。海軍軍楽隊専属の作... |
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真実一路
真実一路(しんじついちろ、1948年(昭和23年)12月16日-)は東京都生まれの日本の俳優。本名、清水信一(デビュー時、本名で活動)。 |
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片岡千恵蔵
大正・昭和期の俳優。本名は植木正義(うえきまさよし)。戦前・戦後の長期にわたり、時代劇人気を支えた剣戟スターである。 |
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村田英雄
演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名、梶山勇。血液型はAB型。新栄プロダクシ... |
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鶴田浩二
日本の俳優、歌手。本名・小野榮一。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、... |
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松原操
1939年の歌手・霧島昇(本名:坂本栄吾)との結婚後に坂本操になっている。 |
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プロフィール
楠木繁夫(くすのきしげお、1905年1月20日-1956年12月14日)は、昭和期の流行歌の歌手。本名は黒田進。
経歴
| 1905年(明治37年)、高知県佐川に、父は医師である名門の四男として生まれた。 |
| 音楽好きの母親の影響で、県立中学時代に音楽家を志し、後継を希望した父の反対を押し切って上京。 |
| 1924年(大正13年)、東京音楽学校(現:東京芸術大学)師範科に入学。 |
| 本科の声楽部に進み、「城ヶ島の雨」の作曲家・梁田貞に師事した。 |
| 学生時代は、同級の高木東六(作曲家、代表作:「空の神兵」「水色のワルツ」)らと行動を共にしていたが、1928年(昭和3年)、学生運動で校則などに抗議したメンバーに入っていたため、高木らとともに除籍処分となった。 |
| 退学となった楠木は、1929年(昭和4年)、本名の黒田進で、名古屋にあったツルレコードに「五月音頭」を吹き込みレコード歌手としての活動を始める。 |
| 専属歌手とならず、コロムビアでの「紅蝙蝠」「カフェー小唄」など、30以上のレーベルで、秋田登、藤村一郎など、50を超える相当数の変名を使いこなして各社でレコーディングしていたが、1934年(昭和9年)に、作曲家・古賀政男を重役として迎えて間もないテイチクの専属になる。 |
| この時に、自らの名前が似ていることから、楠木正成(戦前は大楠公と呼ばれた)に傾倒していた当時のテイチク社長・南口重太郎によって、楠木繁夫という芸名が付けられるのであった。 |
| 1935年(昭和10年)には、古賀政男とのコンビで、「白い椿の唄」「ハイキングの唄」「男のまごころ」「緑の地平線」と大ヒットが続き、一躍大ヒット歌手となる。 |
| その後も、「女の階級」「のばせばのびる」「啄木の歌」「人生劇場」とヒットを続けるが、昭和13年、古賀政男がテイチク上層部との対立から退社すると、楠木もビクターに移籍。 |
| 「馬と兵隊」「東京ラグタイム」など、曲には恵まれたが、ヒットに結びつく作品は少なかった。 |
| 1939年(昭和14年)頃からは、スクリーンにも活躍の場を広げ、特に日活作品に数多く出演。 |
| マキノ正博の監督による「弥次喜多道中記」ではディック・ミネとコンビで弥次喜多を演じ、大映映画「歌う狸御殿」では、狸の国の総理大臣を演じた。 |
| テイチク時代に、同じ会社のヒット歌手・美ち奴との浮名を流し、周囲からは二人は結婚するものと噂が高かったが、1942年(昭和17年)に、再び古賀政男の誘いでコロムビアに移籍した後に撮影した「歌う狸御殿」で共演した歌手・三原純子と、翌年の年末に結婚。 |
| 戦時中ながら、おしどり夫婦の歌手として、工場慰問などに活躍した。 |
| 第二次世界大戦後、自らの作曲作品「思い出の喫茶店」などをレコーディングする一方で、夫婦揃って出演した大映映画「春爛漫狸御殿」をはじめ、「蛇姫道中」「江の島エレジー」などスクリーンにも活躍するが、折から流行していたヒロポンと呼ばれる覚せい剤の影響で、往年の光彩を失っていった。 |
| 1949年(昭和24年)、古巣のテイチクに移籍し、「紅燃ゆる地平線」「ハルピン恋し」などのヒットを出し、NHK紅白歌合戦にも出演している。 |
| 三原純子との夫婦揃ってのステージや巡業に活躍していたが、かねてからのヒロポン中毒のため、1953年(昭和28年)の「湯の香恋しや」を最後にレコーディングから遠ざかった。 |
| さらに、脳溢血のため、音程が狂うという歌手にとっての致命的なダメージと、愛妻・三原純子の肺結核の悪化が重なり、1956年(昭和31年)の春に夫婦揃ってのステージを名古屋で務めた後、二人は二度と生きて会うことはなかった。 |
| 将来に悲観した楠木は、宝くじの当選で新築したばかりという東京・新大久保の自宅で、1956年(昭和31年)12月14日、女中を映画見物に出かけさせた後、ひとり物置小屋で、首を吊って自殺。 |
| 52歳という早すぎる死に、高木東六、松平晃ら生前に親しかった友人たちは「緑の地平線」を合唱して、楠木の棺を見送った。 |
| 故郷・飛騨高山で転地療養していた妻の三原純子も、彼の後を追うように1959年(昭和34年)に38歳の若さで世を去っている。 |
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楠木繁夫さんについてのひとこと紹介
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