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嵯峨天皇
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。 |
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橘清友
親
奈良時代後期の貴族。名は浄友とも書く。参議・橘奈良麻呂の子。嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子の父で、仁明天皇の外祖父。官位は正五位上・内舎人、贈正一位・太... |
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正子内親王
第52代嵯峨天皇の皇女。母は皇后橘嘉智子。淳和天皇皇后。同母兄弟に仁明天皇(同年の生まれのため、双子のきょうだいであったと考えられる)。弘仁14年(823... |
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藤原冬嗣
平安時代の公卿・歌人。右大臣藤原内麻呂の子。正二位・左大臣。贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。 |
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橘逸勢
平安時代の書家・官人。橘奈良麻呂の子で右中弁を務めた橘入居の末子。嵯峨天皇皇后・橘嘉智子、右大臣橘氏公はいとこにあたる。官位は従五位下・但馬権守、... |
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林寺小学校 講堂前の桜 くすのき
校長 松本 行弘 郵便番号 544-0023 住所 生野区林寺2-14-3 電話番号 教育目標 明るくたくまし... |
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橘諸兄
奈良時代の政治家・元皇族。敏達天皇の後裔で大宰帥美努王の子。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)。正一位・左大臣。井出左大臣または西院大... |
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仁明天皇
平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。 |
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橘奈良麻呂
親
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藤原良房
平安時代初期の公卿。藤原北家・藤原冬嗣の二男。母は藤原美都子。子に明子、養子に藤原基経。染殿、白河殿と称される。漢風諡号は忠仁公、国公は美濃公。皇... |
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橘氏公
平安時代前期の公卿。参議・橘奈良麻呂の孫。内舎人・橘清友の七男。仁明天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。井手右大臣と称される。 |
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大覚
南北朝時代の日蓮宗の僧。名は妙実。近衛家の出と言われ、初めは真言宗の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、宗派を改め弟子とな... |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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恒貞親王
平安時代前期の皇族。淳和天皇の第二皇子。仁明天皇の皇太子(のち廃される)。品位は三品。異称は亭子親王。法名は恒寂。 |
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淳和天皇
平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。諱は大伴(おおとも)。 |
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藤原不比等
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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小式部内侍
小式部内侍(こしきぶのないし、長保元年(999年)頃-万寿2年(1025年)11月)は平安時代の女流歌人。掌侍。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一... |
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三筆
日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人の並称であり、平安時代初期の空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人を嚆矢とする。その他、三筆と尊称される能書は以下... |
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後嵯峨天皇
鎌倉時代の第88代天皇(在位:仁治3年1月20日(1242年2月21日)-寛元4年1月29日(1246年2月16日))。諱は邦仁(くにひと)。 |
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プロフィール
- 橘嘉智子とは
- 経歴
- 逸話
- 橘嘉智子を題材とした小説
橘嘉智子(たちばなのかちこ、延暦5年(786年)-嘉祥3年5月4日(850年6月17日))は、第52代 嵯峨天皇皇后。 橘奈良麻呂の孫、贈太政大臣・ 橘清友の娘。母は田口家主の娘で、贈正一位・田口三千媛。兄弟に右大臣・ 橘氏公がいる。別名・檀林皇后(だんりんこうごう)。
経歴
| 世に類なき麗人であったといわれる。 |
| もとは嵯峨天皇の数多い夫人の一人に過ぎなかったが、桓武天皇皇女の高津内親王が妃を廃された後、姻戚である藤原冬嗣(嘉智子の姉安子は冬嗣夫人美都子の弟三守の妻だった)らの後押しで立后した。 |
| 橘氏出身としては最初で最後の皇后である。 |
| 嵯峨天皇との間に仁明天皇(正良親王)・正子内親王(淳和天皇皇后)他二男五女をもうけた。 |
| 仏教への信仰が篤く、嵯峨野に日本最初の禅院檀林寺「平安時代、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子によって、現在の京都天竜寺(京都市右京区嵯峨)の地に創建された寺で、現在は廃絶。 |
| 」(田村晃祐による解説、『日本大百科全書(小学館)』)を創建したことから檀林皇后と呼ばれるようになる。 |
| 嵯峨天皇譲位後は共に冷然院・嵯峨院に住んだ。 |
| 嵯峨上皇の崩後も太皇太后として隠然たる勢力を有し、橘氏の子弟のために大学別曹学館院を設立するなど勢威を誇り、仁明天皇の地位を安定させるために承和の変にも深く関わったといわれる。 |
| そのため、廃太子恒貞親王の実母である娘の正子内親王は嘉智子を深く恨んだと言われている。 |
逸話
| 鳥や獣の飢を救うため、または、この世は無常であり、あらゆるものは移り変わり永遠なるものは一つも無いという事を自ら示して人々の仏心を呼び起こすために、自分の死後に自らの死骸を埋葬することを禁じて道ばたに放置させた帷子辻参照。 |
| 「檀林皇后九相図会」、「小野小町九相図」など。 |
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