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プロフィール
- 橘花とは
- 開発
- 製作
- 初飛行
- 第七二四海軍航空隊
- エンジン
- 海軍機種記号について
- 他のジェット航空機計画
- 参考文献
- 関連項目
- 外部リンク
橘花(きっか)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発していた ジェット攻撃機である。エンジン開発は主に空技廠が担当し、機体を中島飛行機が開発製造した。ネ-12B装備型を「橘花」、ネ-20装備型を「橘花改」と正式には呼称する。試作機は「試製橘花」「試製橘花改」と呼ぶ。海軍機種記号は無い。
開発
| 本機は日本初の純国産ジェット機である。 |
| ドイツが開発した世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262に関する技術資料をもとに、海軍が開発した。 |
| 日本の小型ボート用のディーゼルエンジンを、哨戒艇に取り付けたかったドイツ側と、メッサーシュミットMe262のエンジンが欲しかった日本の合意のもと、ドイツの占領下のフランスのツーロン軍港から日本とドイツの潜水艦で設計図を運んだ(遣独潜水艦作戦)。 |
| 輸送に用いられた潜水艦はお互い1隻のみであり、ドイツの潜水艦は1944年頃、日本占領下のインドネシア(オランダ領東インド)のバリクパパンに到達し、上陸の後、日本海軍士官と情報交換した。 |
| その後、日本海軍潜水艦はバシー海峡でアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受け沈没。 |
| また、ドイツ潜水艦が無事にドイツに帰還したかに関しては不明である。 |
| ドイツから得たMe262に関する情報は潜水艦が撃沈されたため、シンガポールで零式輸送機に乗り換えて帰国した巌谷中佐が持ち出したごく一部の資料を除いて失ってしまい、肝心な機体部分やエンジンの心臓部分の設計図が存在せず、日本独自の開発になった。 |
| 開発にあたり、橘花は、固定武装の機銃を装備せず、胴体下に500kgまたは800kg爆弾を1つ搭載し、陸上から発進し、敵艦に対し水平爆撃、緩降下爆撃を行うものとして計画された。 |
| 一説には「三式25番8号爆弾または仮称四式50番8号爆弾」という反跳爆弾を用いた反跳爆撃も計画されていたという(試製橘花計画要求書案記載)。 |
| 昭和19年8月、日本は高性能レシプロエンジンの開発にも行き詰まり、燃料事情も悪化していく状況にあった。 |
| 海軍は低質燃料、低質潤滑油でも稼動し、レシプロエンジンに比較して構成部品が少なく簡易で高性能なジェットエンジン(噴進機関、タービンロケット)を装備した陸上攻撃機を「皇国二号兵器」と仮称して開発を企図した。 |
| 初期原案は3案あり、第1案は胴体の上下にエンジンを配置する胴体上下コンパウンド型(双ブーム支持)、第2案はエンジンを胴体側面に埋め込む胴体埋め込み型、第3案はMe262と同様に主翼下にエンジンを懸架する翼下懸架型であった。 |
| 第2案が最も進歩した方式であったが、ネ20の小さい出力と製作工程での簡易化が検討された結果、第3案が採用された。 |
| 技術面の問題もあった様だ。 |
製作
| 本機の外観はMe262に似るが、それよりサイズが一回り小さく(当初搭載予定のネ-12Bジェットエンジンの推力が小さいため、機体を小型軽量にする必要があった)、Me262の後退翼と異なり、無難な変形テーパー翼を採用するなど、実際にはほとんど新規設計である(ちなみにMe262の後退翼は重心バランスを取るための苦肉の策であり、遷音速から音速域の速度を見越しての翼形の採用ではない)。 |
| また、本機は掩体壕(えんたいごう)に隠せるよう、外翼部を人力で上方に折り畳む事ができた。 |
| 降着装置は前輪式であり、開発期間短縮と部品調達の合理化の為、前輪には爆撃機「銀河」の尾輪を、主輪には零戦の主輪を流用している。 |
| 試作機では改良する時間が無かったためブレーキは零戦用のままだった。 |
| これが試験時のオーバーランの原因となる。 |
| エンジンは低推力を補うために2基を主翼下に懸吊していた。 |
| エンジン推力が低い為、全備状態での離陸には、固体火薬式の離陸用補助ロケット2本を主翼下付け根に装備する必要があった。 |
| ファイル:PG19-B.JPG|thumb|right|同時期に登場したP-80ジェット戦闘機の試作機XP-80A。 |
| 機体形状は低翼ということ以外第二案に極めて近い。 |
| また大戦末期のジュラルミンなどの資材不足に対応した設計の為、なるべく軽合金の使用を節約し、ブリキやマンガン鋼などの鋼板・鋼材といった代替素材を多用しているのも特徴である。 |
| この資源節約は陸軍の火龍の設計にも応用されることになる。 |
| また大量生産に適するよう、簡素化と生産工数削減を考慮し設計され、零戦の2分の1の生産工数で製作する事が出来た。 |
| 機体の製作は群馬県にある中島飛行機の小泉製作所3階にある設計部で、松山健一主任の製作指揮の元に行われたが、ボーイングB-29による大規模な空襲で工場は壊滅状態となった。 |
| 橘花も、格納庫が被害を受けるが何とか無事であった。 |
| その後機体は空襲を避けるため工場から疎開し、現在の東武伊勢崎線木崎駅付近にあった農家の養蚕小屋に分散して組み立てが行われた。 |
| 試作機は1945年(昭和20年)6月に完成し、エンジンの耐久試験もパスしたあと、飛行試験を行うため木更津基地に運ばれ、エンジンと機体が組み合わされた。 |
| ちょうどこのころアメリカでは、同国初のジェット戦闘機であるロッキード社のP80Aジェット戦闘機の軍への引き渡しが始まっており、ようやく月産30機に達しようとしていたが、まだ実戦配備は進んでいない状況であった。 |
| なおアメリカと同じ連合国のイギリスは、1944年7月にグロスターミーティアの実戦配備をすでに行っていた。 |
初飛行
| 8月7日に松根油を含有する低質油を16分間分だけ積んだ軽荷重状態で飛行を行い、12分間の飛行に成功する。 |
| これが日本で初めてジェット機が空を飛んだ瞬間であった。 |
| この時橘花には離陸用補助ロケット、アンテナ、前脚のカバーが装備されていなかった。 |
| また、脚を出したままの飛行であった。 |
| 10日に陸海軍幹部が視察に来る中、燃料を満載しての第二回の飛行が予定されたが空襲で中止され、翌11日は悪天候で順延となり、実飛行は12日に行われた。 |
| しかし離陸中に滑走路をオーバーランして擱坐。 |
| 機体を修理中に終戦を迎えた。 |
| 離陸失敗の原因は、離陸補助ロケットの燃焼終了による加速感の減少を、パイロットの高岡廸(たかおかすすむ、当時横空審査部少佐・海兵60期卒)がエンジン不調と勘違いしたもので、離陸を中止しようと試みたが停止し切れず、滑走路端の砂浜に飛び出して脚を破損したものである。 |
| 本機はそのまま3日後に終戦を迎えた。 |
| なお、高岡は戦後に航空自衛隊へ入隊し、初の国産ジェット練習機T-1Aの初飛行も担当した(当時、航空自衛隊実験航空隊一佐)。 |
| 終戦前には10機程度が量産状態に入っており、その内の数機は完成間近であったが、終戦時に完成していた機体は試作の2機のみであった。 |
| なお完成していた2機は終戦直後に終戦に悲観した工場作業員によって操縦席付近が破壊されたものの、研究用に接収しようとしたアメリカ軍により修理が命ぜられた。 |
| 修理完了後その内の1機はアメリカ軍が接収し、メリーランド州のパタクセント・リバー海軍基地に置かれていたが、現在スミソニアン航空宇宙博物館付属のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設に保管されている。 |
| だが、エンジンナセルの形状が微妙に異なっているという。 |
| 本機は爆撃による対艦攻撃を目的とした特殊攻撃機であり、桜花のように初めから特攻専用として設計された特別攻撃機ではなかったが、特別攻撃機を表す「花」の名称が付いている事や、当時の戦況を考えれば、特攻機として使う以外に用兵はなかったとおもわれるという意見もある(これと似た思想の航空機に剣がある)。 |
| また軍部では、高価かつ高い生産技術を要すレシプロエンジンを特攻機に使用して使い捨てるより、極力温存を図って防空用迎撃機にこそ使用したいと考えており、技術面を克服して量産にさえ至れば、レシプロエンジンよりも安価かつ量産が容易なジェットエンジンこそ特攻機に搭載するエンジンに最適であると考えていた。 |
第七二四海軍航空隊
| 橘花による航空作戦の実施に向けて編成されたのが第七二四海軍航空隊である。 |
| 昭和20年7月1日、伊東祐満大佐が司令に任じられ、原隊は神ノ池飛行場と定められ、横須賀飛行場で開隊した。 |
| 定数は橘花16機・九九式艦上爆撃機24機・練習機12機である。 |
| 7月15日に練成を行う三沢飛行場に移り、艦爆による飛行訓練が始まったのは8月1日からである。 |
| 隊員に選抜されたのは、6月末日をもって解隊したばかりの三沢海軍航空隊で飛行訓練を受けていなかった予科練甲飛14期生100名と16期生200名であった。 |
| 飛行訓練が凍結されたのちに入隊した生徒ばかりのため、艦爆すら満足に飛ばせない状況下にあった。 |
| したがって、11月に三浦半島へ展開させることを目標に、わずか3ヶ月の訓練が実施されることになった。 |
| さらに橘花は極端に航続距離が短いことから、敵基地へ強行着陸後、白兵戦を展開することも考えられており、陸戦の訓練も要求された。 |
| しかし、訓練開始からわずか半月で終戦を迎えたため、無謀な訓練は終了することになった。 |
エンジン
| 橘花には当初ネ-12B(推力320kg)が搭載される予定であった。 |
| しかし昭和20年4月、より高推力のネ-20に変更された経緯がある。 |
| ネ-12Bを搭載した場合、初風エンジンを搭載する予定であった。 |
| ネ-20は日本初の実用に耐えるターボジェットエンジンである。 |
| 諸元は、全長1800mm、直径620mm、全重量474kg、推力475kg、軸流式コンプレッサー8段、タービン1段、回転数11000rpmである。 |
| これは空技廠、荏原製作所(川崎市中原区)その他メーカーの協力にて設計・製造された。 |
| これは推力軸受座金の焼付きがあったためで、小柴定雄博士(当時;日立製作所安来工場、現;日立金属冶金研究所)が開発した当時、最高性能の特殊鋼Cr-W鋼(イ513)によってなんとか実用化の目処を得た。 |
| ドイツへ派遣された伊号第二九潜水艦にはジェットエンジンの実物を含む多くの技術資料が搭載されていたが、この潜水艦は途中で入港したシンガポールからの出港後に撃沈された。 |
| したがって橘花製作に役立つ資料は、シンガポールで降ろされ先に飛行機で運ばれたBMW003Aの縮尺断面図(フィルムから引き伸ばしされたキャビネ判の写真一枚のみであったとされる)と、ユンカースJumo004Bの実物見学記録のみであり、これらがかろうじて日本に届いた、という有様であった。 |
| 当時ジェットエンジンのタービンブレードを製作するのに必要なニッケル、モリブデンなどの耐熱合金用材料も枯渇していた最中に、これらのわずかな資料を参考に、たったの1年でエンジンを造り、低出力ながらも実用運転状態までこぎつけたことは、ネ-10・ネ-10改(推力230kg)、ネ-12(推力300kg)・ネ-12Bなど、それまでの独自開発経験の蓄積があったとはいえ、まさに国力を超えた技術者達の執念というほかに無かった。 |
| 種子島時休中佐率いる設計チームはそれまで設計を進めていた軸流式+遠心式のネ-12Bを放棄し、新たに軸流式のネ-20を開発した形になるが、開発の方向性が間違っていなかったことを確認して自信を深めたという。 |
| ネ-20は戦後アメリカ軍に接収され、一部がノースロップ工科大学の教材となっていたが、展示のために日本に貸与された際に、当時の設計者が「''ネ-20は俺の息子みたいなものだ。 |
| とんでもない横紙破りであったが、ノースロップ工科大学はこれに対し「永久無償貸与」で応え、生まれの地であるIHI(石川島播磨重工業)に現在も展示されている。 |
海軍機種記号について
| 橘花は現在インターネット上などで非公式にJ9Yと呼ばれることがある(秋水がJ8Mなのでその後ということか)が、橘花には海軍機種記号は無い、もしくは不明なので、これは間違いである。 |
| またJは地上戦闘機(局地戦闘機)の記号であり橘花は特殊攻撃機なのでこの点でも間違いである。 |
他のジェット航空機計画
| 橘花改として、五式30mm機銃2門を備えた戦闘機型の他に、複座偵察機型・複座訓練型等の派生型も検討された。 |
| 攻撃機としては、試作偵察機「景雲」をジェット化した「景雲改」、また陸軍が計画した特殊戦闘機「火龍」があるが、双方とも設計段階で終戦を迎えた。 |
| 他に特攻機として、ネ-20を搭載する「桜花」33型、43型甲、43型乙の計画があった。 |
| ターボジェットではないジェット推進機としては、ツ11モータージェットを搭載した桜花22型、パルスジェットを搭載する梅花の計画があった。 |
参考文献
| 東條重道:『橘花と七二四空』、自費出版、1988年。 |
| 前間孝則:『ジェットエンジンに取り憑かれた男』、講談社、1992年、ISBN4061852043。 |
| 屋口正一:『橘花は飛んだ:国産初のジェット機生産』、元就出版社、2005年。 |
関連項目
| 栃木県立佐野中学校-昭和20年3月に中島飛行機小泉工場から橘花設計試作部隊が疎開した。 |
外部リンク
| http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20081003/159133/国産初のジェット・エンジン「ネ20」をIHIが展示、日経BPnet,2008年10月3日。 |
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