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つながりの強いひと
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澤木啓祐
陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学スポーツ健康科学部学部長、日本陸上競技連盟専務理事。大阪府出身。 |
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小掛照二
広島県甲奴郡上下町出身の元陸上選手。陸上競技指導者。元三段跳世界記録保持者。日本陸上競技連盟(日本陸連)副会長、名誉副会長。日本オリンピック委員会(JO... |
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河野洋平
日本の政治家。衆議院議員(14期)、衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第122・127・128・129・130代)、内閣官房長官... |
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渡辺泰造
東京都出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。 |
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佐々木秀幸
陸連のコーチ、指導者としてオリンピック大会に参戦したほか、専務理事として陸連組織の強化に奔走する。現在は日本陸上競技連盟名誉副会長、日本アンチドー... |
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帖佐寛章
陸上競技の元選手で中長距離選手の指導者。香川県小豆郡土庄町豊島出身。 |
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木南道孝
998 木南道孝 大阪国際女子マラソンの創設などにも尽力した日本陸上競技連盟名誉副会長の木南道孝、敗血症性ショックのため大阪府枚方市の病院で8日死去、87... |
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中曽根弘文
日本の政治家。参議院議員(5期)、自由民主党参議院議員総会長(第27代)、自由民主党群馬県連会長。父は中曽根康弘元首相。外務大臣(第141代)、文部大臣... |
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安田誠
安田誠 株式会社エス・ディー・エス バイオテック 農薬、工業用防黴剤、防疫薬剤及び特殊化学品の製造、輸入、販売 お気に入りに追加する 社長タイプ 安田誠... |
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平田竹男
広島県生まれ、大阪府育ちの元通産官僚、元日本サッカー協会専務理事(ジェネラルセクレタリー)、名誉副会長。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授。日... |
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瀬古利彦
瀬古利彦(せことしひこ、1956年7月15日-)は三重県桑名市出身の元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂、宗猛、中... |
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青木半治
日本のスポーツ指導者。日本陸上競技連盟名誉会長。 |
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小野清子
日本の元体操選手、政治家。元参議院議員。元国務大臣。旧名は大泉清子。 |
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真下昇
真下 昇(ましも のぼる) 1938年12月6日生まれ(満68歳) 財団法人日本ラグビーフットボール協会 副会長/専務理事群馬県立高崎高等学校、東京教育大学でスタ... |
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三木谷浩史
日本の実業家。楽天株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長。 |
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豊岡示朗
大阪体育大 監督 豊岡 示朗 役員 大橋 昌弘 氏名 出身校 自己最高記録 1 鈴木 亜弥子 成蹊高・大阪 5000m 15分38秒 2 山下 沙織 一条高・奈良 5... |
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山本昌邦
静岡県沼津市出身の元サッカー選手、指導者。アテネオリンピック日本代表監督、及び、Jリーグ所属のジュビロ磐田元監督。 |
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増田明美
元女子マラソン・陸上競技長距離走選手で、現在はスポーツジャーナリスト・レース解説者・タレントなどで活動中である。1984年ロサンゼルスオリンピック女子... |
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岡野俊一郎
日本の元サッカー選手・サッカー指導者。日本サッカー協会の元会長であり、現在は最高顧問である。実家は和菓子の老舗「岡埜栄泉」。 |
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プロフィール
/ オリンピック / 東京オリンピック 1964 / トップアスリートインタビュー / 櫻井孝次選手 オリンピック 競技情報 選手インタビュー オリンピズムとは 選手強化 国際総合競技大会 JOC サイトマップ リンク メール 陸上競技
三段跳び
東京大会は、1956年のメルボルン大会、1960年のローマ大会に続く3回目のオリンピック出場でした。
ローマ大会の時にはすでに日立製作所に就職していましたし、怪我で失敗していたので、もう選手はやめようと思っていましたが、東京大会は全員で、総力を挙げて参加しようということになり、当時の選手としてはかなり長いキャリアを持つことになりました。 我々の時代は、スポーツ選手でも就職すれば、仕事をすることが前提です。メルボルン ... もっと見る
/ オリンピック / 東京オリンピック 1964 / トップアスリートインタビュー / 櫻井孝次選手 オリンピック 競技情報 選手インタビュー オリンピズムとは 選手強化 国際総合競技大会 JOC サイトマップ リンク メール 陸上競技
三段跳び
東京大会は、1956年のメルボルン大会、1960年のローマ大会に続く3回目のオリンピック出場でした。
ローマ大会の時にはすでに日立製作所に就職していましたし、怪我で失敗していたので、もう選手はやめようと思っていましたが、東京大会は全員で、総力を挙げて参加しようということになり、当時の選手としてはかなり長いキャリアを持つことになりました。 我々の時代は、スポーツ選手でも就職すれば、仕事をすることが前提です。メルボルンの経験があり、ローマに続く大会が東京で行われるということで、会社の理解が得られ、引き続き社会人選手としてオリンピックに臨むことになりました。ただし、仕事は一般の社員の人と同じです。朝8時から午後5時まで勤務をして、その後練習をするという毎日でした。 1962年にジャカルタで行われたアジア大会では日本選手団のキャプテンを務め、三段跳びで優勝しました。
1963年のプレオリンピックでは、優勝はできませんでしたが日本人トップの2位に入りましたので、東京大会の出場は間違いないと確信しました。 当時陸上競技は世界的な成績を上げることが難しく、特にローマ大会は苦戦し、入賞者ゼロという結果でした。東京大会に関しては地元開催ということで、強化合宿が頻繁に行われました。短距離では飯島選手、女子ハードルでは依田選手、そしてマラソンの円谷選手がかなりレベルを上げて期待されました。 練習の参考にしたのは外国からのいろいろな情報、コーチの経験、我々も時々海外に行くことがありましたから、自分の目で確認した世界の動きなどを総合してトレーニングをしていました。 今と大きく違うのは医科学のサポートがないことです。当時はまだ織田幹雄さん(1928年第9回アムステルダム大会金メダリスト)や南部忠平さん(1932年第10回ロサンゼルス大会金メダリスト)、田島直人さん(1936年第11回ベルリン大会金メダリスト)がまだお元気で、合宿にも時々来られました。戦前に素晴らしい成績を納めた大先輩たちがアドバイスをしてくれましたので、精神的にも心強かったと思います。 東京大会を目標に、自分としてはこれまでにない体調をつくり、これなら大丈夫だと思っていたのですが、本番1週間前に肉離れを起こし、開会式にはでることができませんでした。歩くことも難しい状況ですから、開会式は欠席し選手村で選手を見送りました。選手としては競技が第一ですから、開会式に出られなかったことについては、特に意識していませんでしたが、後で振り返ると東京大会のシンボルになっているので、ちょっと残念だったなという思いがあります。 競技は痛み止めの注射を打って出場しました。競技の時は痛みはなかったのですが、違和感があり、思うような跳躍ができませんでした。 私が日本代表として参加した国際大会は、オリンピック3回、アジア大会2回、ユニバーシアード大会2回です。東京大会は私にとって最後の国際大会です。それぞれの大会のユニフォームを今でも持っています。この10数年は日本陸上競技連盟と関わるようになり、役員として大会に参加することも多いですから、合わせると大変な数になります。記念として大事にしたいと思っています。 東京大会は地元開催ということもあり、大きな声援を頂きました。
今回のアテネ大会には、日本からたくさんの応援団が来てくれました。皆さんの声援が選手団への励みとなり、好成績に結びついたと思います。 < 目次へ > 戻る
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