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プロフィール
- 武蔵丸光洋とは
- 生い立ち
- 初土俵から幕内昇進まで
- 大関時代
- 横綱時代
- 現役引退
- 取り口など
- エピソード
- 各段優勝
- 関連サイト
武蔵丸光洋(むさしまるこうよう、1971年5月2日-)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身(生まれは東サモア)で武蔵川部屋所属の元大相撲力士、現 振分親方・タレント。第67代横綱。旧名はフィアマル・ペニタニ(FiamaluPenitani)。身長192cm、体重237kg。現在は年寄・振分。得意手は、突き、押し、右四つ、血液型はA型、趣味は音楽鑑賞、愛称は「マル」。2008年4月にフラダンス教室経営の女性と結婚、同年8月23日ハワイで挙式。
生い立ち
| アメリカ領サモアで生まれる。 |
| 小学校時代にアメリカンフットボールを始め、ハワイ州のワイアナエ高等学校でアメリカンフットボールのディフェンスとして活躍し、プロ選手としての活躍を目標としていた。 |
| 大学からも勧誘されたが、経済的理由で進学を断念した。 |
初土俵から幕内昇進まで
| 大相撲入りの勧誘を受けたことを機に、過去に相撲との関わりが全く無かったにも拘らず、「大きな体を生かして家計を助けよう」と決心し武蔵川部屋に入門する。 |
| 師匠の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は、その少し前に「武蔵坊」という力士をスカウトしながらあっという間に逃げられた後に武蔵川親方は、「素質はあいつの方が上だったはずだ」と語っている。 |
| ことから、半年のテスト期間を設け、徹底的に鍛えて様子を見てから初土俵を踏ませることにした。 |
| そして「これなら大丈夫だ」と見なされ、1989年9月場所に初土俵を踏んだ。 |
| 四股名は所属する武蔵川部屋と本名のフィヤマルの「マル」から付けた。 |
| 1991年(平成3年)11月場所に新入幕、東前頭12枚目の地位で11勝4敗を挙げて敢闘賞を受賞した。 |
| 大きな体を生かした突き押しと、右四つからの寄りを得意とした。 |
| 新入幕前の相撲雑誌には、「ハンマーで固めたようながっしりとした体の力士」で、「曙と一緒にハワイアンコンビとして若貴兄弟(若乃花・貴乃花)の終生のライバルとなるだろう。 |
| 」と記述されており、新入幕前から大変な期待があったことが伺える。 |
| そしてこの通り、後年に曙(第64代横綱)・貴乃花(第65代横綱)・若乃花(第66代横綱)らと4横綱時代を築くこととなった。 |
| 西郷隆盛に良く似た容貌で、日本人に親しまれたもっとも西郷本人の写真は、写真嫌いもあって一枚も残っておらず、武蔵丸に似ているとされるよく知られる肖像画や銅像は後世の画家や彫刻家が親族の顔や証言を参照して想像で作ったため、本当に似ているかどうかは現在においては定かではない。 |
| ただし体格については、大男ぞろいであった西郷家歴代の男たちと比しても劣るとは思えぬ立派なものであった。 |
| 「さつま武蔵丸の会」なる団体が結成されるなど、特に鹿児島県民から愛されたようである。 |
| 髪は黒の直毛、体型も腰高でなく、またあんこの度合いもハワイの先達力士ほどではなかった。 |
| こうした条件が重なって、日本人力士の中に入っても浮き上がることがなく、大関昇進に渋い顔をするファンはあまりいなかった。 |
大関時代
| 1994年(平成6年)1月場所後に貴ノ浪と同時に大関に昇進し、新入幕同時の貴ノ浪とは対照的な取り口ながら実力は伯仲、大関昇進後も良きライバルとして長く名勝負を繰り広げた。 |
| ちなみに武蔵丸対貴ノ浪の幕内対戦回数58回は、大相撲史上第1位の記録であり、対戦成績は武蔵丸の37勝21敗となっている(2位は魁皇対千代大海の54回、3位は北の富士対清國の52回)。 |
| 同年5月場所では12勝の準優勝、続く7月場所では、千秋楽に貴ノ花(当時)を倒して15戦全勝で幕内初優勝。 |
| 武蔵丸と同じハワイ出身の先輩である高見山、小錦、曙もなし得なかった史上初の外国出身力士による全勝優勝を果たした。 |
| 12勝の準優勝に続く全勝優勝と、以前なら横綱昇進に値する実績だったが、基準が厳しくなったこともあり、当時話題にもならなかったのは不運だった。 |
| 横綱昇進も間近と思われたが、左肩関節の負傷の影響により、成績が10勝前後に落ち着いてしまい低迷した。 |
| その低迷を挽回すべく右差しで腕を返して寄る相撲に変えたのが功を奏し、これまで分の悪かった貴乃花戦は1997年(平成9年)以降12勝7敗と勝ち越し、晩年は5連勝して終わっている(優勝決定戦を除く)。 |
| なお武蔵丸は、1996年(平成8年)まで対貴乃花戦では7勝22敗と大きく負け越しており、特に貴乃花の横綱昇進以降は1勝10敗で全く歯が立たなかった。 |
| なお、その1勝は1995年(平成7年)11月場所千秋楽に立合い変化で勝ち、若貴兄弟による優勝決定戦を実現させた相撲だった。 |
| また、貴乃花との優勝決定戦では4戦全敗である(1995年1月場所、1997年9月場所、2001年1月場所、2001年5月場所)。 |
| 1996年1月に日本国籍を取得し、本名を「武蔵丸光洋」としている。 |
| 1999年(平成11年)1月場所は、序盤から中盤にかけて黒星が先行、幕内昇進後初の負け越しも懸念されたが終盤持ち直し、7勝7敗で迎えた千秋楽の武蔵丸は貴乃花を土俵際で突き落とし、辛うじて8勝7敗と勝ち越した。 |
| その次の3月場所は、場所終盤の11日目から当時の3横綱(貴乃花・若乃花・曙)が全員休場し、横綱不在となってしまう(ほか新大関の千代大海、関脇の武双山らも途中休場)。 |
| この異常事態に当時の時津風理事長(元大関・豊山)が異例の謝罪会見を行っている。 |
| それでも武蔵丸と貴ノ浪の当時2大関が奮起し、千秋楽は両者大関同士の相星決戦となって場所を盛り上げた。 |
| その千秋楽結びの一番は武蔵丸が貴ノ浪を寄り切って完勝、4度目の幕内優勝を果たした。 |
| また、武蔵丸は同場所で、幕下時代から続く通算連続勝ち越しが51場所となり、北の湖の持つ50場所を更新する新記録を達成した。 |
| 翌5月場所、武蔵丸は通算3回目の綱獲りとなった。 |
| 場所前半で平幕力士に2敗を喫して心配されたが、その後連勝を続けて優勝争いの先頭に立ち、千秋楽は横綱曙との対戦となる。 |
| その千秋楽結びの一番は、武蔵丸が曙を寄り倒して5度目の幕内優勝を決める。 |
| また大関として2場所連続優勝を果たし、ついに5月場所後に横綱昇進となった。 |
| 大関32場所目での横綱昇進は、琴櫻と並ぶ史上1位タイのスロー昇進だった。 |
| 因みに大関在位中、負け越し・角番は一度も経験しなかった。 |
横綱時代
| 横綱土俵入りは、師匠の武蔵川親方同様に雲竜型を選択、土俵入りの指導も武蔵川親方が行った。 |
| しかし武蔵丸の横綱土俵入りは、せり上がりがかなり不安定で四股の足があまり高く上がらない事もあり、200kgを超える力士としては今一つ重量感に欠け、決して上手いとは言い切れなかった。 |
| 新横綱の1999年7月場所は優勝を逃すも、千秋楽に曙を破って弟弟子の関脇(当時)・出島の援護射撃を果たすなどの活躍で12勝3敗の成績をおさめ、次の9月場所も12勝3敗で横綱として初の優勝を遂げた。 |
| そして翌11月場所も千秋楽の相星決戦で貴乃花を下して12勝3敗で連覇を果たす。 |
| また横綱に昇進した1999年は、武蔵丸にとって初めての年間最多勝を受賞した。 |
| しかし当時は他の横綱が不調または休場していた時期であり、しかも12勝から13勝の低レベルの優勝であったため、あまり評価されなかった。 |
| 2000年(平成12年)1月場所には左尺骨手根伸筋附着部炎のため、4日目から初土俵以来初めての途中休場となる。 |
| 先場所まで継続中だった連続勝ち越し記録がストップとなった。 |
| この頃から故障が目立つようになり、以降左手首の故障に悩まされることになる。 |
| また同年5月場所は、場所直前の稽古中に左膝を捻挫したため、初めて初日から全休となった。 |
| 2001年(平成13年)は1月場所と5月場所とに、貴乃花との優勝決定戦に進出するも、2回とも敗れて優勝を逃している。 |
| 特に同年5月場所の優勝決定戦では、右膝の大怪我を負っていた貴乃花にまさかの敗北で優勝を逃し、その夜師匠の武蔵川親方に叱責されたという。 |
| その後7月場所からは、貴乃花の長期休場で7場所も一人横綱の時代が続いた。 |
| 同年9月場所は平幕力士に5つも金星を献上(歴代の横綱で1場所5個の金星配給はワースト記録)してしまい9勝6敗と不調だったが、翌11月場所は13勝2敗、7場所ぶり9回目の優勝となった。 |
| またこの2001年、2年ぶり2度目の年間最多勝を受賞している。 |
| 2002年(平成14年)1月場所は、左手首の故障再発で途中休場するものの、同年3月場所・5月場所と2連覇を達成。 |
| 7月場所は終盤崩れて10勝5敗に終わるも、翌9月場所の千秋楽横綱相星決戦では、長期休場明けの貴乃花を倒して、13勝2敗で12回目の幕内優勝を果たした。 |
| その優勝のインタビューで武蔵丸は「今までの優勝の中で一番嬉しい。 |
| 貴乃花に敗れたままだったので、これまでは優勝しても心が痛かった。 |
| 」と笑顔でコメントする。 |
| しかし皮肉にもこの一番が、貴乃花と武蔵丸にとって現役最後の対戦となり、又二人共に15日間皆勤した最後の場所となってしまった。 |
| 同年11月場所中、武蔵丸は持病の左手首の故障が悪化したため6日目から途中休場した(前日の取組では貴ノ浪と対戦し下手投げで敗れていた)。 |
| 場所後手術を決意し、その後全休と途中休場が続いたが、手術した左手首は結局全快する事は無かった。 |
現役引退
| 2003年(平成15年)1月場所限りで引退した平成の大横綱・貴乃花の後を追うように、武蔵丸も同年11月場所限りでついに現役を引退した。 |
| 現役最後の相撲となった11月場所7日目の土佐ノ海戦では、引っ掛けにあっけなく土俵を割り、思わず天を仰いだ。 |
| その日の夜、武蔵川部屋で武蔵丸自ら引退を伝えると、部屋の弟弟子である武双山、雅山、武雄山らは揃って号泣し、また当時平幕に落ちていた好敵手の貴ノ浪も、翌8日目の支度部屋で大粒の涙を流したという。 |
| 引退会見では、高校時代にアメフトで首を痛めており、入門当初から左肩には力が入らなかったということを明らかにした。 |
| 武蔵川親方にすら引退会見のその時まで語ったことのなかった痛みを抱えながら、14年間で通算連続勝ち越し55場所(歴代1位)、外国出身力士最多優勝回数12回(引退当時。 |
| 現在は朝青龍が保持などを記録した。 |
| 2004年(平成16年)10月2日に引退相撲が行なわれ、露払い雅山、太刀持ち武双山を従えて最後の土俵入りを披露した。 |
| 引退後は、年寄・武蔵丸として武蔵川部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていた。 |
| 当時武蔵丸は年寄名跡を取得していなかったため、本来は年寄として活動することはできないが、横綱は引退後5年間は現役時の四股名で一代年寄として活動できる制度があり、武蔵丸はこれを利用していた。 |
| 任期が切れる直前の2008年10月22日、武蔵丸は停年退職していた朝嵐大三郎が所有していた「振分」株を借り(2010年4月7日からは高見盛精彦が所有)、日本相撲協会理事会は、武蔵丸の年寄振分襲名を承認した |
| 接続不能です-->これにより、武蔵丸は引き続き武蔵川部屋付き親方として協会に残ることが決まった。 |
| 一代年寄の年限間際になっても年寄株取得を巡る動きは表ざたにならず、帰国して実業家の道を歩むなどと報道されてもいたため、このニュースはいささか意外の感を持って受け止められた。 |
| 翌日付の東京中日スポーツによると、問題が山積している角界で、何か力になれることはないかと考えるようになったからだという。 |
| なお借り株での襲名のため、引退から5年経過した同年11月場所中に委員待遇を解かれ、全年寄の序列最下位となった年寄武蔵丸時代は委員待遇の平年寄だったので、給料は委員と同じであり、序列は平年寄の最上位だった。 |
取り口など
| アメフトの技術を応用したことによるもので、幕内時代の鬼雷砲との対戦ではアメフトばりのタックルで鬼雷砲を土俵際まで吹っ飛ばしている。 |
| しかし、1996年頃から太り過ぎもあって次第に突き押しの回転が鈍り、突き押しでは曙ほどの破壊力を示すことができず、また、四つ相撲では腰が軽く簡単に転んでしまい、物足りなさの残る内容で苦闘を強いられることになった。 |
| その後、1997年頃から突き押し主体の相撲では、覇権を握る貴乃花には通じないことを悟り、取り口をモデルチェンジした。 |
エピソード
| めちゃイケの数取団のコーナーにゲスト(兄貴)出演した際は、ゲームそのものは4敗と振るわなかったものの、罰ゲームの関取団との相撲では真っ向勝負で打ち負かした。 |
| 2007年6月に武蔵川部屋創立25周年パーティーが開催され、その席で師匠の武蔵川が還暦土俵入りを行なったが、元横綱が露払い・太刀持ちに起用されることが多いにもかかわらず、元横綱の武蔵丸は起用されず、実際に起用されたのは露払いが雅山、太刀持ちが出島だったこれは左右のバランスを考慮したもので、共に最高位大関で現役の出島と雅山を起用した方がバランスがよいと判断したため、と思われる。 |
| 太刀持ちが武蔵丸では、露払いを務める他の力士は最高位が大関であるため、綱を張れない(例として、元武双山の藤島親方)。 |
| 2007年7月7日に行われた第3回アメリカンフットボール・ワールドカップ開幕・日本対フランス戦(川崎市・等々力陸上競技場)でコイントスを行った。 |
| ハワイ出身力士の先輩である元大関で現在はタレントの小錦と共演すると、薄くなった頭髪をイジられることが多い。 |
| 2010年2月4日、第68代横綱・朝青龍が度重なるトラブルに責任を取り、突然現役引退を表明。 |
| その朝青龍が引退記者会見で思い出の一番に、「両親の目の前で横綱武蔵丸を倒した相撲(2001年5月場所初日)」を述べた事に触れ、当の武蔵丸(現・振分親方)本人は「そうだったの、それは嬉しいね。 |
各段優勝
| 幕内最高優勝:12回(1994年7月場所、1996年11月場所、1998年1月場所、1999年3月場所、1999年5月場所、1999年9月場所、1999年11月場所、2000年9月場所、2001年12月場所、2002年3月場所、2002年5月場所、2002年9月場所)。 |
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