| 1995年にカートデビュー。 |
| 1997年にカート関東選手権の東シリーズチャンピオンを獲得。 |
| 1998年中学校卒業の翌日にイギリスに留学1999年にレースデビュー。 |
| 2000年にはイギリス・フォーミュラ・フォード(FF)に参戦しシリーズ9位。 |
| 2001年もイギリス・FFでシリーズ9位となったほか、FF・ヨーロッパシリーズにも参戦しシリーズ3位。 |
| 2002年には帰国し、フォーミュラ・ドリーム(FD)に参戦してシリーズ2位。 |
| 翌2003年にはFDのシリーズチャンピオンに輝く。 |
| 2004年より全日本F3選手権に参戦しシリーズ9位。 |
| 2005年はシリーズ3位となり、翌2006年よりSUPERGTとフォーミュラ・ニッポンに中嶋企画から参戦。 |
| SUPRTGT最終戦富士でポールトゥーウィンで初優勝。 |
| またフォーミュラ・ニッポン第7戦菅生でファステストラップを記録した。 |
| 2007年はアメリカン・オープンホイールのトップカテゴリーを志して、ステップダウン覚悟でインディカー・シリーズ(IRL)の下位カテゴリーであるインディー・プロ・シリーズ(IPS、現インディ・ライツ)にパンサーレーシングから参戦し、第6戦においてポールトゥーウィンで初優勝を飾り、参戦1年目ながら優勝2回、シリーズ2位となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得し好成績を残した。 |
| この活躍が評価され、シカゴランドで行われたインディカー・シリーズの最終戦にスーパーアグリ・パンサーレーシングよりスポット参戦することとなり、8位完走。 |
| 初出場にも拘らずファステストラップを記録した。 |
| 2008年はアンドレッティ・グリーン・レーシングのレギュラーシートを獲得し、インディカー・シリーズにフル参戦(カーナンバー27)。 |
| 初戦こそ24位に沈んだが、第2戦セント・ピーターズバーグで6位完走、以降は安定したレースぶりでトップ10の常連となっていく。 |
| シリーズのハイライトとなる第5戦インディ500ではルーキー最高位の予選9番手を獲得、決勝では終盤のペースカー導入を生かし、このレースのルーキー・オブ・ザ・イヤーこそライアン・ハンターレイに譲ったものの7位でフィニッシュ。 |
| さらに6月22日の第8戦アイオワ・スピードウェイ決勝で日本人史上最高となる2位に入賞し、自身としても初めて表彰台に上った。 |
| シーズン後半こそやや調子を落としたものの、最終的に完走13回、予選最高位3位、決勝最高位2位、トップ5フィニッシュ1回、トップ10フィニッシュ7回を記録して346ポイントを獲得、ランキング10位とチームメイトのダニカ・パトリックやマルコ・アンドレッティにひけをとらない戦いぶりを見せた。 |
| また、この年はチャンプカー・ワールド・シリーズとの統合に伴いインディカーに多くのドライバーが移籍してきたため、多くのルーキーがひしめいたシーズンでもあったが、そのなかにあって移籍組で元F1ドライバーのジャスティン・ウィルソンを6ポイント抑えて、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。 |
| 2009年も2008年に引き続きアンドレッティ・グリーン・レーシングからインディカー・シリーズに参戦した。 |
| シーズン序盤はマシントラブルなどの不運が続き、あまり成績を残せなかった。 |
| 2度目の挑戦となった第4戦インディ500では予選は16番手であったが、決勝では上位のドライバーと遜色ない走りを見せ順位を上げた。 |
| しかし、ピットストップの度に出遅れて順位を下げてしまったこともあり、結局完走20台中10位でフィニッシュした。 |
| その後、第7戦アイオワ・スピードウェイ決勝で3位に入賞し、自身2度目の表彰台を獲得した。 |
| アイオワ・スピードウェイでは2年連続の表彰台獲得となった。 |
| 第8戦リッチモンド決勝では自身初のラップリーダーを記録、300周のレースのうち74周の間トップを走行し4位に入賞した。 |
| その後、ロードコースで行われた第13戦のミッド・オハイオと第14戦のインフィニオンでは共に5位に入賞した。 |
| 最終的には353ポイントを獲得し、年間ランキングでは9位と1ポイント差の11位であった。 |
| 2010年はニューマン・ハース・レーシングに移籍してインディカー・シリーズに参戦。 |
| 新天地での活躍が期待されたが、時折速さを見せるも結果が出ないレースが続いた。 |
| 第5戦カンザスでは予選でこの年のベストグリッドとなる4位につけると、決勝では序盤ポジションを下げるもその後ポジションを上げ表彰台も狙える位置でレース終盤を迎えた。 |
| しかし、5位を走行していた200周レースの186周目のレースリスタートで武藤は6位を走行していた佐藤琢磨と接触し、両者はそろってリタイアに終わった。 |
| このアクシデントは、武藤の前を走っていた周回遅れのシモーナ・デ・シルベストロが、武藤の側へとラインを寄せてきたことで、武藤としては接触しないよう同じくアウトへラインを膨らませるしかなく、さらにアウト側にいた佐藤とぶつかってしまったことで起きたものであった。 |
| 続く第6戦のインディ500では予選で2008年に並ぶ9位につけるも決勝はハンドリングトラブルでリタイアに終わった。 |
| その後も苦戦が続き、結局この年は決勝では12位が最高で1度もトップ10フィニッシュを果たせず、ランキング18位でシーズンを終えた。 |