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つながりの強いひと
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日本の社会学者。東京大学名誉教授、文化功労者、日本学士院会員。専攻は社会学全般、社会学理論、社会変動・近代化、社会階層、経済社会学、組織理論、等々... |
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プロフィール
- 池辺三山とは
- 人物・生涯
- 思想・主義
- 年譜
- 主著
- 関連書籍
池辺三山(いけべさんざん、1864年3月12日(文久4年2月5日)–1912年2月28日)は、明治期の日本のジャーナリスト。肥後国熊本(現熊本県熊本市)生れ。本名は吉太郎、字は任道、諱は重遠、別号に鉄崑崙、無字庵主人、木生など。
人物・生涯
| 父吉十郎は熊本藩士として秀でた武人であり、西南戦争の時、熊本隊を率いて西郷隆盛軍に参加するが、敗戦時に処刑されるという非運に見舞われた。 |
| 大阪朝日新聞、東京朝日新聞の主筆を歴任。 |
| 朝日新聞隆盛の礎を築いたひとり。 |
| 公明正大で高い識見の言論は、政治や思想、文芸など多方面に影響を与えた。 |
| 陸羯南、徳富蘇峰とともに明治の三大記者とも称された。 |
| 二葉亭四迷や夏目漱石の入社させ、今日文豪言われる作家の長編小説を新聞連載に尽力した。 |
思想・主義
| 三山は温かい人柄で知られ、漱石をはじめ多くの人に慕われた。 |
| また、明治政府首脳とたびたび面会し、ロシアとの開戦を唱える主戦論派でもあった。 |
| 日露戦争開戦後は挙国一致を紙面で訴えて政府に惜しみなく協力した。 |
| しかし、ポーツマス条約の講和内容に憤慨し、一転して明治政府を非難する記事を掲載したために、政府によって新聞の長期発刊停止処分を受ける。 |
| 「新聞は商品であり、記者はその商品を作る職人」。 |
| 「文章は平明で達意であるべし」。 |
| このような彼の持論は朝日新聞の編集方針となり、同社の近代化に大きな貢献を果たした。 |
年譜
| 1864年(文久4年) 熊本に生まれる。 |
| 1877年(明治10年)父吉十郎、西南戦争敗戦後処刑される。 |
| 1881年(明治14年) 父の友人鎌田景弼(かまたかげすけ)の援助で上京。 |
| 中村敬宇(正直)の私塾同人社に入る。 |
| 同人社では、のちの刑事検察の大御所である小林芳郎と出会う。 |
| 小林の方が7歳ほど年上であった『小林芳郎翁伝』(望月茂、壷誠社、1940年)。 |
| 後に慶應義塾に転校。 |
| 1884年(明治16年) 学費不足と病気のため佐賀県令(知事)となった鎌田景弼の招きを受けて佐賀県学務課に勤務。 |
| 1889年(明治21年)条約改正反対を唱え、大坂の「経世評論」に入り、東海散士らとともに主筆を務める。 |
| 1891年(明治23年)再び上京を果たし、日本新聞社の客員記者となる。 |
| 1893年(明治26年) 細川護茂に伴われてフランスへ留学。 |
| ヨーロッパ5カ国を訪問。 |
| 鉄崑崙の筆名で新聞「日本」に書き送った「巴里通信」が評判を呼んだ。 |
| 1896年(明治29年) 帰国。 |
| 大阪朝日新聞社に主筆として入社。 |
| 1897年(明治30年) 東京朝日新聞社の主筆となる。 |
| 1904年(明治37年) 日露戦争開戦(2月6日)。 |
| 1905年(明治38年) 日露講和条約調印(ポーツマス条約)(9月5日) 。 |
| 1906年(明治39年) 10月二葉亭四迷が小説『其面影』を連載開始。 |
| 1907年(明治40年)2月夏目漱石が東京朝日に入社。 |
| 同6月、小説『虞美人草』を連載開始。 |
| 1911年(明治44年) 東京朝日を退職。 |
| 1912年(明治45年)母・世喜、死去。 |
| 三山も同年2月28日に後を追うように心臓発作で死去。 |
| 母の喪に服すために肉食を断ったことで、持病の脚気を悪化させたことが原因と言われる。 |
主著
| 『明治維新三大政治家大久保・岩倉・伊藤論』中公文庫中央公論新社、ISBN4122045096。 |
| 『巴里通信他』 朝日新聞社、1951年。 |
| 『文学者の日記』日本近代文学館資料叢書、ISBN4891779713(博文館新社版)。 |
関連書籍
| 池辺一郎・富永健一共著 『池辺三山──ジャーナリストの誕生』みすず書房、1989年、ISBN4622033321。 |
| 改訂増補版、中公文庫、1994年、ISBN4122020891、池辺一郎は長男で画家。 |
| 富永健一は社会学者で孫にあたる。 |
| 司馬遼太郎 『坂の上の雲』 文藝春秋のち文春文庫。 |
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池辺三山さんについてのひとこと紹介
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