| とにかく歩くのが好きで、終電に乗り遅れ品川から当時住んでいた墨田区まで徒歩で5時間掛けて帰ったり、水道橋-柴又、高尾山入り口から山頂を経由し反対側の相模湖までの往復、また箱根にある芦ノ湖から箱根山を経由して小涌谷駅まで散歩した事があるそうだ。 |
| 上京直後の一時期、住むところや金銭に不自由し、公園や雑居ビルのエレベーターで寝食を続けていた事がある。 |
| その時の経験から「その頃の事を思い出せば、例え今2-3日飯が喰えなくなっても、水があればしばらくは我慢出来る。 |
| その気になれば何処ででも寝られるし」と語っている。 |
| 子供の頃の夢は天文学者で、故郷では毎夜天体望遠鏡で星を眺めながら屋根の上で寝ていた。 |
| 今でも時々自身のブログで流星群情報を書き込んだりと、天体好きは現在も変わっていないようである。 |
| 高校時代に亡くなった母親の葬儀の際、地元の寺の僧侶の法話に感銘を受け、悲しみに暮れる人を癒せる職業と言うことで「お坊さんになりたい」と思っていた時期もあった。 |
| 子供の頃にファンだった漫画家松本零士宛てに年賀状を送った事がある。 |
| CHAGE&ASKA(特にASKA)の大ファンで、毎年のようにライブへと出掛けているが、その熱が高じて一度ASKAの唄真似でものまね番組のオーディションを受けた事がある。 |
| 自他共に認めるトレーニングマニアであり、スポーツクラブ勤務時代に培った知識や経験を活かし、様々なトレーニング方法を自身の身体で試していた。 |
| 現在は専ら加圧トレーニングの理論を取り入れたオリジナルメニューを自宅でこなしている。 |
| ただし加圧専用の器具が高価であるため、自転車のチューブや市販のフィットネスチューブを代用して使用しているが、当初はその締め加減がわからず、締め付けたまま両腕が動かなくなり、その時もしチューブを解く事が出来なかったとしたら、間違いなく肩から先の両腕は壊死したであろうと述懐している。 |
| 空手雑誌「JKFAN」の実験企画に参加した際、追い突きで構えから突き終わりまで僅か0.12秒(1秒間に8.5枚撮れる当時世界最速のカメラを使っての実験)と言う驚異的な結果を弾き出した。 |
| 現在は身長170cm、体重70kgで筋肉質な体躯をしているが、空手競技の選手をしていた頃、体重は90kgと現在よりも20kg程重かった。 |
| これは空手競技ルールのひとつであるフルコンタクトルールを意識したもので、ウェイトトレーニングとタンパク質中心の食事の賜物である。 |
| しかし選手引退後に撮った写真を見て「まるで熊だ」とショックを受け、そこから有酸素運動と、赤筋(遅筋)を中心としたトレーニングと、食生活の見直しにより減量に成功。 |
| 2006年に中型バイク免許を取得。 |
| 愛車はカワサキ・エリミネーター400SEだったが、当時従事していたバイク便で二度交通事故に遭い廃車となる。 |
| 二度目は左折車に接触しガードレールに激突、歩道に投げ出され手足の四ヶ所を骨折。 |
| バイクにはかなり愛着があったらしく、廃車手続きでバイクショップへ行った当日のブログで「最後のエリミ」と題して、事故でフロント部分が大破したバイクの写真を数点載せている。 |
| ほぼ毎週のように遠出していたようで、夏場には奥多摩まで蛍観賞へ二年連続で出掛けたり、流星群と夜景を見るために千葉県の海岸まで深夜出掛けたりと「ゴツイ癖にロマンチスト」とのコメントをもらったりしている。 |
| 子供の頃、母の実家のある集落嘉徳に遊びに行った際、地元小学校の池で飼われていた鯉を、ちょっとした悪戯だったのか、木の棒で叩いて死なせてしまった事がある。 |
| その事はすぐさま集落中に広まり(緊急放送用のスピーカーで名指し)、母親は平謝りだったと言う。 |
| 小学生高学年の頃、学校で飼っていたアヒルの飼育係だった。 |
| 夏休みのある日、世話をしていたアヒルが老衰で死んでいるのを見つけ、その死骸を傍らの植え込みに埋葬した。 |
| また大人になってから、目の前に突然飛び出してきた鼠に驚き、恐怖の余り拳で殴りつけたところ鼠は即死。 |
| 直接手に掛けてしまったと言う自責の念に駆られたのか、その死骸を自宅の庭に埋めた事があるなど、生き物の命に対する思いは繊細なようである。 |
| ただし所謂美容整形では無く、空手の稽古中に三度骨折し、陥没した鼻骨を修復するための形成外科的意味合いの手術との事。 |
| 他にも胸骨、肋骨、中足骨もそれぞれ数度骨折している。 |
| 交友関係は意外に広く、特殊な例としてはスポーツクラブ勤務時代(銀座)に知り合った警視庁現職刑事(当時の担当は刑事部の捜査第四課・暴力団対策課※現在の組織犯罪対策部)がいるが、歌舞伎町で偶々見掛けたので声を掛けたところ張り込み中だったため、後日苦笑混じりに「あのまま中止になったよ」と言われた。 |
| 上京当時ホームレス生活をしていたことは既出だが、2010年末から2011年に掛けての約1ヶ月間、所謂ネットカフェ難民と呼ばれる生活をしていた。 |
| その後地元の公園やカプセルホテル、ネットカフェを転々としながら、築40年、木造、風呂無しの安いアパートをどうにか見付けたが、その直後に中国でのドラマ出演が決まり訪中したため、新たに見付けたアパートでの生活はたった数週間でしかなかった。 |