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同年12月、芸映プロが主催した「ヒデキ(
西城秀樹)の弟・妹募集オーディション」に応募、翌1980年3月15日に中野サンプラザで開催された決勝大会に於いて応募総数25,160名の中から優勝する。
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オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った。
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同月末に上京して歌の猛特訓を受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」でデビュー。
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デビュー時のキャッチフレーズは、「ほほえみさわやかカナリー・ガール」。
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2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」が19万枚のヒットとなり各音楽祭の新人賞を受賞する。
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デビュー2年目の1981年10月5日、NHKホールに於いて「レッツゴーヤング」のリハーサル中に誤って4m下のセリ穴に転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。
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約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。
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同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場し
トップバッターを務め、翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に嵌めて芸能活動を行う(療養の経緯は自筆エッセイ「
わたぼうし翔んだ ―奈保子の闘病スケッチ―」に詳しい)。
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ライブコンサートは1980年代の後半まで、ほぼ全国を対象に年50~60回前後のペースで行われた。
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主なものとしては、春の全国ツアー、秋に東京名古屋大阪で開催されたリサイタル、そして1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブがあり、このうちEASTライブは6回全てが映像ソフト化され、現在でもその一端を垣間見ることが可能である。
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1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」に於いて音録りから製作に参加、それを契機に音楽の製作面にも深く関与してゆく。
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1985年、ベストアルバム「NAOKO 22」のボーナストラックという形で自作曲を発表、コンサートでも次第に自作曲の割合が増え、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表、当時最年少で日本作曲家協会の協会員としての認定を受ける。
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以降のアルバムに於いてはボーカリスト・作曲家・サウンドプロデューサーとして自らの音楽を追究してゆくことになった。
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1980年代後半~1990年代初期にはアジア圏への進出を目指して香港の俳優
ジャッキー・チェンとのデュエット盤を発売した他、香港でライブコンサートを定期的に開催した。
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またこの時期はテレビドラマやミュージカルにも積極的に出演し、活躍の場を広げた。
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1985年のアニメ映画『
ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優としても出演。
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1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME ~恋人が幽霊』に出演、作曲も担当し、第27回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞および最優秀新人賞を受賞した。
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テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。
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以来、数々のサスペンスや単発ドラマで女優として高い評価を得る。
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1989~1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、
ミッキー吉野らと共演したこともあった。
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1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。
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同年2月6日に入籍(入籍のみ)。
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翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。
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2005年6月に芸映プロ公式HPの所属タレント一覧から項目が削除されたのだが、これは休業の長期化(復帰時期未定)に伴う措置であり、退社を意味するものではないとされている。
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2006年4月26日にiTunes Music Store限定で自作ピアノ作品集「nahoko 音「nahoko 音 / blue」「nahoko 音 / orange」2作品同時リリース。
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」を発表した。
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12年ぶりの作品発表はファンやAppleユーザを中心に大きな反響を呼び、好評を得たことから同年11月28日にCD化された。