17083
17259
193443
%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84
%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84
%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84
%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84
%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 河合隼雄の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
河合俊雄
息子
HOME > 著者紹介
河合 俊雄 (かわい としお)
1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。Ph.D.(チューリッヒ大学、19... |
|
|
中沢新一
日本の思想家、宗教学者、人類学者である。明治大学野生の科学研究所所長、多摩美術大学芸術学部客員教授。 |
|
|
谷川俊太郎
日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京府出身。現在の東京都立豊多摩高等学校を卒業。 |
|
|
養老孟司
解剖学者。東京大学名誉教授。専門は解剖学。神奈川県鎌倉市出身。 |
|
|
明恵
鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。 |
|
|
茂木健一郎
株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。学位は博士(理学)(東京... |
|
|
梅原猛
日本の哲学者。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。... |
|
|
河合雅雄
兵庫県多紀郡篠山町(現篠山市)出身の霊長類学者、児童文学作家で理学博士。兵庫県立人と自然の博物館長、兵庫県立丹波の森公苑長、京都大学名誉教授、日本... |
|
|
鷲田清一
哲学者。専攻は臨床哲学・倫理学。大谷大学教授。京都府京都市出身。大佛次郎賞、サントリー学芸賞(思想・歴史部門)選考委員。 |
|
|
白洲正子
白洲正子(しらすまさこ、1910年(明治43年)1月7日-1998年(平成10年)12月26日)は随筆家。姉に近藤泰子、夫は白洲次郎。長男は白洲春正、次男は白洲兼正、... |
|
|
山折哲雄
山折哲雄(やまおりてつお、1931年5月11日-)は日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・日本思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史... |
|
|
松岡和子
日本の翻訳家、演劇評論家。旧満州新京生まれ。東京女子大学英文科卒業、東京大学大学院修士課程修了。元東京医科歯科大学教授。国際演劇評論家協会会員。テ... |
|
|
大塚信一
大塚信一(おおつかのぶかず、1939年-)は岩波書店元社長。 |
|
|
河合幹雄
息子
日本の法学者。桐蔭横浜大学法学部法律学科教授、一橋大学法学部・法科大学院非常勤講師。専門は法社会学。日本法社会学会理事。 |
|
|
中西進
日本の古典文学研究者、比較文学研究者、万葉学者、奈良県立万葉文化館館長、池坊短期大学学長、国際日本文化研究センター・京都市立芸術大学・大阪女子大学... |
|
|
南伸坊
日本の編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家である。本の装幀も多数手掛ける。 |
|
|
プロフィール
- 河合隼雄とは
- 学歴
- 職歴
- 学外における役職
- 資格
- 大学卒業から米国留学まで
- ユング心理学との出会い
- 日本文化に根ざした心理療法の模索
- 心理療法への貢献(箱庭療法)
- 文化庁長官就任
- 逸話
- 家族
- 受賞歴
- 単著
- 共著
- 関連サイト
河合隼雄(かわいはやお、1928年6月23日-2007年7月19日)は、日本の心理学者・心理療法家・元 文化庁長官。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。専門は分析心理学、臨床心理学、日本文化論。教育学博士(京都大学、1967年)。兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)出身。分析心理学(ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られて以来、日本におけるユング心理学の第一人者とされる。1988年日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも大きな貢献を果たした。また、箱庭療法を日本へ初めて導入し、日本で普及させた。同時に箱庭の実践と研究を数多く行った事でも知ら ...
学歴
| 180px|thumb|right|現在の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校。 |
| 兵庫県立鳳鳴高等学校(現在の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)卒業。 |
| 旧制神戸工業専門学校(新制神戸大学工学部の前身)卒業。 |
| 1952年-京都大学理学部数学科卒業。 |
| 1959年9月-カリフォルニア大学大学院留学(フルブライト留学生、1961年1月まで)。 |
| 1962年4月-ユング研究所(スイス)留学(1965年1月まで)。 |
職歴
| 1952年-奈良育英高等学校教諭(数学担当)。 |
| 1955年4月-天理大学講師。 |
| 1962年4月-天理大学助教授。 |
| 1969年4月-天理大学教授。 |
| 1972年4月-京都大学教育学部助教授(教育心理学科 臨床心理学講座)。 |
| 1975年-京都大学教育学部教授(教育心理学科 臨床心理学講座)。 |
| 1980年4月-京都大学教育学部長(1983年3月まで)。 |
| 1987年5月-国際日本文化研究センター教授併任(1990年3月まで)。 |
| 1988年-京都大学教育学部教授(大学院 臨床教育学講座)。 |
| 1990年6月-国際日本文化研究センター教授(専任 京都大学教育学部教授併任)。 |
| 1992年3月-京都大学名誉教授(定年退官)。 |
| 退官後、米国プリンストン大学 客員研究員。 |
| 1994年4月-国際日本文化研究センター名誉教授。 |
| 1995年5月-国際日本文化研究センター所長(2001年5月まで)。 |
| 2002年1月-文化庁長官(第16代 2007年1月まで)。 |
学外における役職
| 日本心理臨床学会理事長(1985年11月-1991年10月、1994年11月-1997年11月、2000年11月-2003年11月)。 |
| 日本箱庭療法学会理事長(1987年7月-1996年3月)。 |
| 日本臨床心理士会会長。 |
| 国際箱庭療法学会会長(1990年8月-1994年8月)。 |
| 平城遷都1300年記念事業特別顧問。 |
大学卒業から米国留学まで
| 旧制神戸工業専門学校を経て、1952年京都大学理学部数学科を卒業。 |
| 京都大学大学院に籍を置き、心理学を学びつつ数学の高校教諭として3年間働く。 |
| 河合はロールシャッハテストから徐々に心理学に入っていき、ロールシャッハが彼の心理学の土台を築く上で大きな役割を果たしている。 |
| 河合が約1000人にロールシャッハを施行したことは有名である。 |
| 河合は、当時UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の教授であり投影法に精通していたブルーノ・クロッパーのロールシャッハに関する本を読んだ際、間違いと思われる個所を見つけ、手紙で質問した。 |
| すると丁寧な返事が来て、河合の指摘が正しく、河合が初めてそれを指摘したと記されていた。 |
| この手紙を契機に二人の関係が始まり、後の河合の留学先にも影響する結果となった。 |
| 河合は英語で相当な努力を積み重ねた後、1959年にフルブライト奨学生としてUCLAへ留学し、クロッパーやJ・M・シュピーゲルマンの指導を受けた。 |
| 米国ではロールシャッハに関しては教授から大きな信頼を寄せられ、留学期間が切れた後も助手として採用され滞在期間を延ばし、ネイティブアメリカンについての共同研究を行った。 |
| 河合は第二次世界大戦での敗北を経験しており、西欧流の合理主義に傾倒していた。 |
| しかし、河合は米国の合理的な社会制度・思想に触れ、自分の日本人としてのアイデンティティについて深く考えさせられたという。 |
| クロッパーはかつてドイツに在住していたが、ナチスの迫害を逃れて米国へ亡命したユダヤ系であった。 |
| ヨーロッパの精神医学・心理学に精通し、ユング研究所に1年間の滞在した経験のあった彼は、河合が米国で学位を取るよりも本場のスイスのチューリッヒでユング心理学を修める方がよいと判断し、河合にスイスへの留学を勧めた。 |
| この際、河合の為に推薦書を書き、河合はユング研究所から奨学金を支給される事となった。 |
ユング心理学との出会い
| 1962年に天理大学で助教授になった後、大学の許可を得て1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所(JungInstitutZuerich)で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。 |
| その際、C・A・マイヤー(MeierCA)に師事した。 |
| 帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部で教鞭を執る。 |
| 退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長、文化庁長官を歴任する。 |
日本文化に根ざした心理療法の模索
| 河合は、欧米で修めた心理学を日本では同様に適用できないことに気づき、日本的環境や日本的心性にあった心理療法を工夫して創ることに苦心したという。 |
| その影響から岩波書店の編集者大塚信一(後に社長に就任)に勧められ岩波新書「コンプレックス」を出版。 |
| その頃、文化人類学者の山口昌男と出会い、親交深める。 |
| また、彼の著作には「母性社会日本の病理」、「中空構造日本の深層」、「日本人の心のゆくえ」、「日本人という病」、「日本文化のゆくえ」などとあるように、批判的かつ創造的な問題意識をもった日本文化論がある。 |
| 1979年、大塚の紹介で研究会「都市の会」に参加し、哲学者の中村雄二郎らと出会う。 |
| 特に親交のある中村雄二郎との対談は「トポスの知」(TBSブリタニカ)に収められている。 |
| 日本心理臨床学会を設立し、同理事長に就任。 |
| 臨床心理士制度や、スクールカウンセラー制度の確立に尽力し、日本臨床心理士会会長も務めた。 |
心理療法への貢献(箱庭療法)
| 1965年に河合は、スイスの心理学者ドラ・カルフが子どもやの成人のクライエントへのセラピーとして用いた箱庭療法(SandplayTherapy)を日本へ紹介した。 |
| 最初は天理市と京都市に導入され、そこから徐々に日本に広がり、臨床場面で幅広く使用されるに至った。 |
| 河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。 |
| その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。 |
| また、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその創設メンバーであった。 |
| 精神科医で風景構成法を考案した中井久夫(神戸大学名誉教授)は、東京で河合の箱庭に関する発表を聞き、箱庭に枠が使用されている点に注目した。 |
| そして、患者が箱庭の「枠」があるために、箱庭による自己表現が可能であり、治療効果があることに気づき、自身の風景構成法の「枠付け法」に応用した中井久夫や山中康裕などの精神科医が、箱庭療法を病院に導入したため、箱庭が教育現場だけでなく、病院臨床でも使用される契機となる。 |
文化庁長官就任
| 2002年1月18日より第16代文化庁長官に就任。 |
| 民間人(非官僚)の起用は今日出海、三浦朱門に続き17年ぶり3人目となった。 |
| 2年の任期が終了した後も、お得意の駄洒落で盛り上げる講演会をするなど、文化庁の知名度向上に貢献した手腕を買われ、2度に亙って長官留任を要請され、2006年10月31日まで3期4年余在任した。 |
| 在任期間中の2002年4月、文部科学省が全国の小・中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わった。 |
| この『こころのノート』は事実上の国定教科書的性格を帯び、教育勅語や修身教科の色彩が濃いとして批判されることも多い。 |
| そのことと合わせて、河合隼雄の心理主義を批判する心理学者・教育関係者も多い。 |
| -->また、2004年には高松塚古墳の壁画がカビによって劣化していた事実を文化庁が隠蔽していたことが明らかになり、大問題となった。 |
| 2006年7月から高松塚古墳壁画問題の件で国内各地で関係者に謝罪し、同年8月に公式謝罪を行った。 |
| 2006年8月17日午前、奈良県奈良市内の私邸で脳梗塞の発作を起こして倒れ、奈良県天理市内の病院(天理よろづ相談所病院)に搬送され緊急手術を受けたものの、容態が回復せず、2006年11月1日に文化庁長官職を休職、2007年1月17日付で任期切れにて退任していた。 |
| 2007年7月19日14時27分、脳梗塞のため、奈良県天理市内の病院で死去。 |
逸話
| 冗談好きで、日本ウソツキクラブ会長を自称し、架空人物・大牟田雄三との共著もある。 |
| 趣味はフルートを吹くことで、大学時代にオーケストラに所属、卒業後中断。 |
| ビジネスとは一線を画した演奏会運営のノーハウをもつ文化ヴォランティアによる演奏会を開こうと、特定非営利活動法人文化創造を設立。 |
| 設立作業を整えた1ヵ月後に脳梗塞で倒れ、本人は一度もこの組織による演奏会を聴くことなく帰らぬ人となった。 |
家族
| 長男・仁は外科医、次男・公は内科医、三男・雅雄は霊長類学者(京都大学霊長類研究所元所長)、四男・迪雄は歯科医、六男・逸雄は脳神経学者(京都大学医学部元助教授)。 |
| 臨床心理学者の河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授)、法社会学者の河合幹雄(桐蔭横浜大学法学部教授)は息子。 |
| 工学者の河合一穂(京都大学国際融合創造センター元非常勤研究員)、歯科医の河合峰雄(日本歯科麻酔学会理事)は甥。 |
受賞歴
| 1982年-『昔話と日本人の心』で大佛次郎賞。 |
| 1988年-『明恵夢を生きる』で新潮学芸賞。 |
| 2007年-正四位瑞宝重光章。 |
単著
| 『ユング心理学入門』(培風館、1967)のち岩波現代文庫。 |
| 『箱庭療法入門』(誠信書房、1969)。 |
| 『臨床場面におけるロールシヤツハ法』(岩崎学術出版社、1969)。 |
| 『カウンセリングの実際問題』(誠信書房、1970)『カウンセリングの実際』へ改題、岩波現代文庫。 |
| 『コンプレックス』(岩波書店、1971)。 |
| 『影の現象学』(思索社、1976)のち講談社学術文庫。 |
| 『母性社会日本の病理』(中公叢書、1976)のち講談社+α文庫 。 |
| 『日本人とアイデンティティ-心理療法家の眼』(創元社、1984)『日本人とアイデンティティ-心理療法家の着想』へ改題、講談社+α文庫。 |
|
1959年
|
フルブライト奨学生としてUCLAへ留学し、クロ... |
|
1962年
|
天理大学で助教授になった後、大学の許可を得... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
河合隼雄さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|