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プロフィール
- 浅野史郎とは
- 人物
- 経歴
- 宮城県知事
- 障害者政策
- 情報公開
- 入札改革
- 財政運営
- 捜査報償費の執行停止
- 三本木町大規模保健施設事業の凍結
- 首都機能の誘致活動
- 県立高校の一律共学化
- 北朝鮮関連団体への支援
- 宮城県立保育専門学院の廃止
- 浅野県政への批判
- その他
- 東京都知事選への立候補
- マニフェスト
- 石原慎太郎との関係
- その後の活動
- 関連サイト
浅野史郎(あさのしろう、1948年2月8日-)は、日本の元政治家、元厚生官僚、元宮城県知事。現在は慶應義塾大学総合政策学部教授などを務めるが、病気療養中である。
人物
| 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市出身。 |
| 神奈川県横浜市在住。 |
| 仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 |
| 東京大学卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。 |
| 1993年(平成5年)、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、同県知事に就任した。 |
| その後、1997年(平成9年)、2001年(平成13年)にそれぞれ再選、3期に渡って同県知事を務めた。 |
| 同職中には構造改革を標榜する「改革派知事」、表立っては特定政党の推薦を受けない「無党派知事」として知名度を高めた。 |
| 浅野は知事退任後の2005年(平成17年)に東北大学客員教授、2006年(平成18年)4月には慶應義塾大学教授に就任した。 |
| 厚生省時代の経験から福祉および介護の分野に詳しく、福祉施設関係者の交流・勉強会である「アメニティフォーラム」には発起人として参加、同フォーラムの代表を務めた。 |
| また、テレビ番組やラジオ番組にもコメンテーターなどとして多く出演した。 |
| 2007年(平成19年)、東京都知事選挙に立候補するも、現職知事・石原慎太郎に大差をつけられ落選した。 |
| 私生活ではジョギング愛好家であり、フルマラソンの完走歴もある。 |
| 自ら「ジョギング日記」と銘打ったブログを公開していたほか、宮城県出身のタレント・生島ヒロシが司会を務めるラジオ番組『生島ヒロシのおはよう一直線』(TBSラジオ)の生放送スタジオに、ジョギングの格好のまま飛び入り出演したこともあった。 |
| 2005年(平成17年)、献血をした際の血液検査で、特殊な白血病である成人T細胞白血病(ATL)を引き起こすウイルス(HTLV-1)に自身が感染していることを知る |
| 同じく血液疾患に罹患していた浅野の母親もATL感染者であり、感染経路は母子感染が考えられた。 |
| 東北大学医学部付属病院を受診したところ、「くすぶり型」ATLであると診断され、通院による経過観察を受けていたが、2009年(平成21年)5月には、病態が「急性期」に進行する。 |
| 治療のため、自身の病気を公表、同年6月に東京大学医科学研究所に入院し、多剤併用の化学療法を受けた。 |
| 通常の治療では治癒が望めなかったことから骨髄移植を受けることとなり、骨髄バンクを通してドナーを得た |
| 同年10月、国立がんセンターに転院し、担当医・田野崎隆二 |
| 体調が安定したため2010年(平成22年)2月3日に同院を退院、以後は自宅で療養する。 |
経歴
| 1966年(昭和41年)-宮城県仙台第二高等学校卒業。 |
| 1970年(昭和45年)-東京大学法学部卒業後、厚生省(当時)入省。 |
| 1972年(昭和47年)7月-同省の在外研究員としてアメリカ・イリノイ大学に留学 |
| 1974年(昭和49年)7月-環境庁自然保護局企画調整課。 |
| 1976年(昭和51年)10月-厚生省社会局老人福祉課課長補佐。 |
| 1978年(昭和53年)-外務省在アメリカ合衆国日本大使館一等書記官。 |
| 1981年(昭和56年)-厚生省年金局年金課課長補佐。 |
| 1983年(昭和58年)12月-厚生省年金局企画課課長補佐。 |
| 1985年(昭和60年)-北海道庁福祉課課長。 |
| 1987年(昭和62年)-厚生省児童家庭局障害福祉課課長。 |
| 1989年(平成元年)6月 厚生省社会局生活課長。 |
| 1991年(平成3年)6月 厚生年金基金連合会年金運用部長。 |
| 1993年(平成5年)11月-厚生省生活衛生局企画課課長を最終役職に、同省退官。 |
| 宮城県知事選に当選し、同職に就任。 |
| 新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し、自民党・社会党・民社党が推薦した前副知事、及び共産党推薦候補ら3候補を破って初当選した。 |
| 1997年(平成9年)-宮城県知事再選(第2期)。 |
| “脱政党”(既成政党の推薦や支持を受けない)として再選を目指し、自民党・新進党・公明の3党が推薦し、県内の市町村長の多くも支持した市川一朗、及び共産党推薦候補に大差をつけて当選した。 |
| 2001年(平成13年)-宮城県知事再選(第3期)。 |
| 再び”脱政党”を主張、共産党推薦候補ら2人に大差をつけて当選した。 |
| この選挙では、自民党は候補者を擁立せず、不戦敗であった『 |
| 2005年(平成17年)。 |
| 社会福祉法人宮城県社会福祉協議会会長に就任。 |
| 11月20日-4選不出馬を表明した上で任期満了に伴い、宮城県知事退任。 |
| 12月1日-東北大学大学院法学研究科附属法政実務教育研究センター客員教授(2007年3月まで)。 |
| 2006年(平成18年)4月1日-慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科教授就任。 |
| 2007年(平成19年)。 |
| 3月5日-社会福祉法人宮城県社会福祉協議会会長を辞職。 |
| 4月8日-2007年東京都知事選挙に立候補するも落選(次点)。 |
| 2009年(平成21年)6月4日 成人T細胞白血病のため療養を開始。 |
宮城県知事
| 2期目と3期目の知事選では、”脱政党”とはしていたものの、実際には「勝手連」と称した民主党と社民党による支援を受けていた。 |
| また、自民党も県議会ではもっぱら浅野に協調し、共産党のみがオール与党批判をすることとなっていた。 |
| 県知事就任後、専門分野の福祉政策の振興で宮城県の構造改革を目指したが理想論が先行、目だった効果は上げられなかった。 |
| 自身がマスコミ等の面前で積極的に活動し、同県を宣伝。 |
| 同県産のコメをPRするテレビCMでは菅原文太と共演し、話題になった。 |
| また、自らが好んで使用する言葉であった「夢」を、県の政策・施設・イベントなどにも多様し、博覧会には「国際ゆめ交流博覧会」(1997年)、開発地には「みなと仙台ゆめタウン」、コンベンションセンターには「夢メッセみやぎ」、親善大使には「みやぎ夢大使」などいう命名がなされた。 |
障害者政策
| 浅野は官僚時代より、知的障害者を施設ではなく地域で受け入れていくという「施設解体」に取り組んでおり、宮城県知事としても施設収容中心の福祉行政からの方向転換を目指した。 |
| 1996年(平成8年)には、官僚時代からの知己であり、長崎県で福祉施設理事長をしていた田島良昭を県福祉事業団の副理事長として招請、政策を推進した。 |
| 2004年(平成16年)には「みやぎ知的障害者施設解体宣言{{Citeweb。 |
| 一方で、入所施設を解体した後の障害者の支援事業に対しては何ら具体策がなく、「体の良い施設閉鎖の詭弁だ」との批判が共産党系議員を中心になされた。 |
| 「施設解体」の実行策としては、心身障害者総合援護施設「宮城県船形コロニー」を2010年(平成22年)までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるなどとしたが、後任の村井嘉浩知事によって修正され{{Citeweb。 |
| 2001年(平成13年)、第56回国民体育大会「新世紀・みやぎ国体」と共に、第1回全国障害者スポーツ大会「翔く・新世紀みやぎ大会」を宮城県で開催した。 |
| 両大会開催月には、街角バリアフリー音楽祭の「とっておきの音楽祭」が初開催され、1280万円の補助金を出している |
| この音楽祭には思い入れがあるらしく、知事退官後の2006年(平成18年)にエグゼクティブプロデューサーとして同音楽祭の模様を収めた映画を制作した |
| 現在は、スペシャルオリンピックス日本理事となり、一方で同映画の全国上映を推める会の会長として活動している。 |
情報公開
| 在職中の実績として特に評価されているのが情報公開で、全国市民オンブズマン連絡会議が作成した「全国情報公開度ランキング」において、宮城県は2004年度(平成16年度)は47都道府県中岩手県と同ポイントの全国1位タイ、2005年度(平成17年度)は鳥取県に次ぐ2位の高評価を受けた{{Citeweb。 |
入札改革
| 公共事業費の削減のため、業者の選定にあたっての一般競争入札の実施を大幅に導入するという入札改革を行った。 |
| 全国市民オンブズマン連絡会議の報告によると、2005年度(平成17年度)の宮城県が発注する公共事業の平均落札率(入札予定価格に対する落札額の比率)は74.9%で、長野県(74.8%)に次いで全国2位の低率となっている。 |
| また、同調査での談合疑惑度を示す落札率分布(2005年度)では、「落札率95%以上」が僅か0.9%で全国一位となっており、同県における「談合」の激減を示している{{Citeweb。 |
| 談合が行われなくなった一方、大手ゼネコンによる異常な低価格での受注が相次ぐようになり、地元建設業界では倒産や大手ゼネコンに子会社化されるなどの事例が多発した。 |
| 後任の村井知事時代には建設業界の利益を重視する入札制度の変更が行われ、2006年(平成18年)4〜11月の落札率は78.9%と、前年度比で3.6ポイント上昇するなど、状況は以前の状態に戻りつつある。 |
財政運営
| しかし、長引く景気の低迷を反映して県税収入などの一般財源が減少し、小泉内閣の三位一体の改革による地方交付税1兆円削減の影響を受け、県債の活用及び基金の取崩しにより収支の均衡を図るなど、在任期間は一貫して厳しい財政運営を強いられた。 |
| 小泉政権による地方税制改革については、『交付税の縮減だけをやって、肝心の税源移譲は何も話されていない』『単に財政上のつじつまが合わせから、つまり「金がないから」ということが前面に出るような「見直し」なら願い下げである』と、地方の首長として、ある種の悲鳴に近い批判をしていた『週刊東洋経済』2001年9月29日号。 |
捜査報償費の執行停止
| 浅野は2004年(平成16年)、宮城県警の捜査報償費を巡る疑惑に関して県警に会計文書の閲覧と捜査員の聴取を要求した。 |
| 2005年(平成17年)6月24日には、宮城県警の捜査報償費が適正に執行されていない疑いが強いと判断し、知事の権限で予算執行の停止を決定した。 |
| 警察の捜査報償費をめぐっては北海道警や福岡県警などで不正支出が明るみに出ており、これまでに浅野は「99%が裏金」と話した宮城県警元幹部と面会していたが、宮城県警は不正を否定していた。 |
| 2005年(平成17年)には仙台地裁が捜査報償費返還訴訟判決で「12年度の捜査報償費の相当部分は実体がなかったと推認する余地がある」と不正支出の疑いを指摘している。 |
三本木町大規模保健施設事業の凍結
| 浅野は前任の本間俊太郎知事時代に策定された「保健医療福祉中核施設整備事業計画」を1994年(平成6年)に見直し、新たに「保健医療福祉中核施設整備構想」を策定した。 |
| 大規模事業に待ったをかけた点を評価する声がある一方、建設予定だった三本木町(現大崎市)と事前協議をしないまま一方的に決めたことに対し、三本木町を含む大崎地方や県議会などを中心に批判の声が上がった。 |
首都機能の誘致活動
| 1999年(平成11年)6月2日に行われた衆議院国会等の移転に関する特別委員会において、浅野は宮城県知事として出席し、「首都機能移転を早急に推進すべきである」との主張を行った。 |
県立高校の一律共学化
| 「共学化の見直し」を訴えて当選した後任の知事・村井嘉浩も、教育委員会の意向であるとして結局は一律共学化に賛成http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kaiken/h17/k171121.htm#04、宮城県立高校の一律共学化は実施されたhttp://www.pref.miyagi.jp/kohou/kaiken/h18/k181024.htm#08。 |
北朝鮮関連団体への支援
| 浅野は、北朝鮮による日本人拉致問題が問題となった2002年(平成14年)以降も金剛山歌劇団http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kaiken/h16/k160913.htm#07。 |
宮城県立保育専門学院の廃止
| 「官から民へ」の動きの中で、仙台保健福祉専門学校があることを理由に保育士養成の専門学校である宮城県立保育専門学院の廃止を、議会の全会一致による反対を押し切って実現した。 |
浅野県政への批判
| おれが悪いのか、とは言いたいが」との回答を行い、県債の増加は国の地方交付税削減に由来するとして自らの責任を否定している日本経済新聞3月3日付。 |
| 2009年(平成21年)3月14日、宮城県は2011年度(平成23年度)中の財政破綻が確実との試算を発表し、自治体財政健全化法に基づく財政再生団体への転落が避けられない見通しとなった。 |
その他
| 知事在職中の1999年(平成11年)、NHKのテレビ番組『週刊こどもニュース』に出演した浅野は、同番組の子役出演者から「カラ出張」について質問されて返答したが、子供たちが理解できていない様子を見て、「(要は)嘘ついちゃったんだよ」と話して納得させた。 |
東京都知事選への立候補
| 浅野は2007年(平成19年)4月8日に予定された東京都知事選への民主党から出馬を要請され、当初は「そのような意思はない」として固辞していた。 |
| しかし、法政大学教授・五十嵐敬喜らによる支援団体、「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(浅野の決意後は「都民のハートに火をつける会」に改称)の設立などの動きを受け、同年2月28日には、「真剣に考えていきたい」の意向を表明するに到った。 |
| 同3月2日には、テレビ番組『みのもんたの朝ズバッ!』(TBSテレビ)で、「覚悟を決めなくちゃいけないだろうなという気はもうかなり強くしている」と発言、同6日に東京都庁舎で記者会見し、立候補することを表明した。 |
| 同会見では、「石原都政の継承」とし、石原都政の内容については賛同しつつも、その手法について批判するという姿勢をとった(なお、他の道府県知事経験者の都知事選挙立候補の例としては1963年東京都知事選挙の阪本勝前兵庫県知事の例がある)。 |
| 浅野はかつて宮城県知事選で奏功した、政党の推薦を受けつけない「勝手連」方式での選挙戦を予定したが、最終的には独自候補の擁立を断念した民主党と社民党の支援、東京・生活者ネットワーク、市民の党、新社会党などの支持を受けることとなった。 |
| 3月18日の台東区長選挙では、浅野が民主党推薦候補の応援に出向いたり(候補は落選)、菅直人や渡部恒三、福島瑞穂、山口文江などが浅野の応援を行うなどした。 |
| 実際の選挙戦では、なおも「勝手連」を装った運動を展開したものの、他候補との論戦においては黒川紀章、吉田万三らに宮城県の財政を悪化させたうえに福祉・教育関係の予算も削減したことなどを批判されたり、東京の都市問題への関心・知見の少なさを露呈するなど、当初から苦戦することとなった。 |
| 落選後の5月12日、特定非営利活動法人キューオーエルが主催した講演会で都知事選を振り返った浅野は、「都民はマニフェストを読まないことが分かった」「都民にとって都政は関係ない」「格好良いか良くないかという個人の人気がほぼすべてとおもっている都民が多い」と、有権者を批判する敗因を述べた。 |
マニフェスト
| 福祉の充実、非正規社員から正規社員への促進、子育て支援に積極的な企業の支援制度を作る。 |
石原慎太郎との関係
| これに対して浅野は、「詳しくは言わないし、言いたくもない」「批判の的にされた梶原拓全国知事会長にとっては、『それはないでしょ』と言いたくなるような言動であったことだけは言っておきたい」と石原を批判した |
その後の活動
| 厚生省時代の上司であった山口剛彦が2008年(平成20年)11月18日に殺害された(元厚生事務次官宅連続襲撃事件)ことを受け、『みのもんたの朝ズバッ!』で「テロの可能性を考えると、ひどい。 |
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1948年
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浅野 史郎(あさの しろう)は、日本の元政治... |
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1989年
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『豊かな福祉社会への助走 Part 1』(ぶどう... |
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