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枕草子
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕... |
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源順
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小野小町
平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。 |
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清原深養父
平安時代中期の歌人。父は豊前介・清原房則。孫に清原元輔、曾孫に清少納言がいる。官位は従五位下・内蔵大允。中古三十六歌仙の一人。 |
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一条天皇
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プロフィール
- 清原元輔とは
- 経歴
- 歌人としての評価
- 系譜
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清原元輔(きよはらのもとすけ、延喜8年(908年)-永祚2年(990年)6月)は平安時代の歌人・官人。内蔵允・ 清原深養父の孫で、下総守・清原春光の子。娘に 清少納言がいる。三十六歌仙の一人。官位は従五位上・肥後守。
経歴
| 天暦5年(951年)河内権少掾に任ぜられ、のちに少監物・中監物・大蔵少丞・民部少丞・同大丞などを歴任する。 |
| 安和2年(969年)従五位下・河内権守となった後、天延2年(974年)周防守に鋳銭長官を兼ねる。 |
| 天元3年(980年)従五位上、寛和2年(986年)肥後守と主に地方官を歴任。 |
| 永祚2年(990年)任地にて没。 |
| 熊本市の清原神社(北岡神社飛地境内)に、祭神として祀られている。 |
| 『今昔物語集』28巻や『宇治拾遺物語』13巻には、元輔が賀茂祭の奉幣使を務めた際に落馬し、禿頭であったため冠が滑り落ちた様を観衆から物笑いの種にされたことで憤慨した逸話が伝えられている。 |
歌人としての評価
| 梨壺の五人のひとりとして、『万葉集』の訓読や『後撰和歌集』の編纂に当たった。 |
| 『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に約100首が入集。 |
| 深養父・元輔・清少納言はともに小倉百人一首に和歌が採られている。 |
| 家集に『元輔集』がある。 |
| 元輔が歌人として高名だったことは『枕草子』に見え、女房勤めした折に清少納言が「父の名を辱めたくないので歌は詠まない」といって許されたという逸話がある。 |
| 小倉百人一首。 |
| 42番ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは。 |
系譜
| 父:清原春光。 |
| 母:高向利生の娘。 |
| 妻:不詳『檜垣嫗集』の詞書より「周防命婦」と呼ばれる夫人の存在が示唆されている。 |
| 元輔に周防守の経歴が在ることよりこの女房名が与えられたものとも推測されるが、経歴は未詳。 |
| 男子:清原為成(?-1025)。 |
| 男子:戒秀(?-1015)。 |
| 男子:清原致信(?-1017)。 |
| 女子:清少納言-橘則光室のち藤原棟世室。 |
| 女子:藤原理能室。 |
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