| 福井県立大野高等学校、京都産業大学法学部卒。 |
| 高校在学中に生徒会長を務める傍らコミックバンド「ザ・シェルターズ」をクラスの仲間と結成し予餞会などで活躍。 |
| 「シェルターズ」の由来は、バンドの練習を人目を避けトイレに隠れて行っていたことから、「隠れ場所」をバンド名にした。 |
| その後、1973年に、原田伸郎とのコンビで「あのねのね」として、「赤とんぼの唄」でデビュー。 |
| 大ヒットを記録した。 |
| 「あのねのね」結成当初は複数人の編成で、笑福亭鶴瓶とその妻もメンバーだった。 |
| 「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。 |
| あのねのね時代はラジオで下ネタを連発したり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っていたが、後述のように1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層から持ち上げられるようになってからは、ものまね王座決定戦で清水アキラが下ネタを連発した際にとがめる場面を見せるなど芸風が様変わりしていた(ただし、アキラを一時期自らの事務所に所属させ、3度目の結婚の際にはアキラが司会をするなど両者の親交は深い)。 |
| 1980年代になると担当していたラジオ番組でリスナーからの一枚のハガキから話が膨らみ、鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)に出場を宣言。 |
| 当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。 |
| 自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングチームを主宰しバイク業界で精力的に活動を始める。 |
| 1984年には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、なんとか完走を果たす。 |
| 翌1985年も4耐に出場。 |
| その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、1990年、元世界GPライダーの福田照男とペアを組み8耐に初参戦。 |
| 予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。 |
| そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。 |
| 90年代からはアウトドア志向の活動を多く行うようになった。 |
| 自らチェンソーを握り、木を伐採し、ログハウスを建築する様子がテレビ等を通じて流され、以降、アウトドア派、DIY派のイメージが定着した。 |
| 私生活では歌手・レポーターとして活動していた清水クーコと結婚、カカア天下&おしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。 |
| 國明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。 |
| クーコはしばらくあのねのね事務所に所属・芸能活動、そして國明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・國明の再婚(1984年に再婚し、タレントの清水明実ら3人の女児をもうけたが2003年に離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。 |
| クーコは1991年3月子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を國明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。 |
| 2002年、滋賀県が「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」を施行したのを受け、「オオクチバス再放流禁止義務不存在確認等請求事件」の原告となる。 |
| リリース擁護派として「リリ禁ネット」を立ち上げるが、第一審結審(棄却)後、この問題からは手を引いた。 |
| このとき、ミュージカル劇団「と劇団」を結成。 |
| 三人の子供達も劇団員として舞台に立った。 |
| 劇団員をオーディションで募集した際、現在の妻となる永田ケイが応募し、入団している。 |
| 2005年、ライフワークとしての「森と湖の楽園」をオープン。 |
| NPO活動として子どもキャンプなどを開催する傍ら、河口湖を拠点として、ツリーハウス作りや農業体験など、団塊世代を主にターゲットとした自然のチカラを人の暮らしに生かすビジネスを創出。 |
| 2007年1月、劇団員から自身の会社の役員となっていた永田と3度目の結婚(23歳差)。 |
| 同年11月4日には初めての男子をもうけた。 |
| 姉の橋本真由美は、ブックオフコーポレーションの取締役会長である。 |
| 2002年頃、姉から「暇なんだからCMに出る?」という電話が掛かって来る。 |
| 最初は躊躇したが、実際暇だった為「背に腹は変えられない」と出演を決意、「ブックオフのヘビーユーザー」としてCMに出演していた。 |
| 2010年、長崎県佐世保市のハウステンボスエンターテイメント部門特別顧問に就任。 |
| 同施設に移住した |
| 清水は小学校時代から大学2年生まで剣道をやっており、剣道二段の腕前である。 |
| 東北地方太平洋沖地震の際には、被災者救援活動を自らが主宰するNPO法人「河口湖自然楽校」で行うにあたって剣道経験者として其の活動を紹介した『剣道日本』6月号(スキージャーナル社)のインタビューに登場した |