43366
43696
503785
%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%85%83%E5%90%89
%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%85%83%E5%90%89
%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%85%83%E5%90%89
%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%85%83%E5%90%89
%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%85%83%E5%90%89
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
タグはありません
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
増位山大志郎
兵庫県姫路市出身の大相撲力士。入門時は三保ヶ関部屋、のち出羽海部屋所属。最高位は大関。身長174cm、体重116kg。得意手は突っ張り、押し、左四つ、内掛け。 |
|
|
玉錦三右エ門
大相撲の第32代横綱。高知県高知市出身。昭和初期、双葉山の台頭以前に一時代を築いた。また二枚鑑札となってからはそれまで稽古場さえなく共同の稽古場を使... |
|
|
二十山
二十山(はたちやま)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・二十山(廿山)が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。 |
|
|
柏戸利助
柏戸 利助(かしわど りすけ)
本名 川浪 生年月日 天明 3年 出身地 青森県 五所川原市(旧 陸奥国津軽郡) 初土俵 文化 2年10月 二段目 所属 柏戸 [ 2]→ 伊勢... |
|
|
荒岩亀之助
鳥取県西伯郡大山町出身の大相撲力士。最高位は大関。本名は山崎徳三郎。現役時代の体格は170cm、108kg。 |
|
|
男女ノ川登三
大相撲の第34代横綱。茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市)出身。本名:坂田供次郎。読み方は「きょうじろう」と「ともじろう」の2説ある。現役時代の体格は... |
|
|
玉垣額之助
江戸時代の大相撲力士。肥前国高来郡(現在の長崎県雲仙市(旧・南高来郡小浜町))出身。最高位は大関。体格は176cm、105kgと伝わる。 |
|
|
出羽海
出羽海(でわのうみ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山... |
|
|
鏡岩善四郎
大相撲の力士である。青森県十和田市出身、粂川部屋所属。最高位は大関。本名は佐々木善四郎。現役時代の体格は身長173cm、体重113kg。得意手は右四つ、寄り。 |
|
|
旭富士正也
青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋所属の元大相撲力士、第63代横綱。本名は杉野森正也(すぎのもりせいや)。現役時代の体格は身長189cm... |
|
|
隆の里俊英
青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士、第59代横綱。本名は高谷俊英(たかやとしひで)、現役時代は身長183cm、体重159k... |
|
|
常ノ花寛市
岡山県岡山市出身で出羽ノ海部屋所属の元大相撲力士、第31代横綱。本名は山野辺寛一(やまのべかんいち)。現役時代の体格は身長178cm、体重112kg。 |
|
|
栃ノ海晃嘉
青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。本名は花田茂廣(はなだしげひろ)。花... |
|
|
鏡里喜代治
青森県三戸郡斗川村(現在の三戸郡三戸町)出身で時津風部屋(入門時は粂川部屋)所属の元大相撲力士、第42代横綱。本名は奥山喜世治(おくやまきよじ)。現... |
|
|
魁皇博之
福岡県直方市出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は古賀博之(こがひろゆき)、愛称はキンタ。身長185cm、体重173kg、血液型はA型。得意手は左四つ、寄り... |
|
|
双葉山定次
大相撲の第35代横綱。大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)出身。身長179cm、体重128kg。)血液型はA型。 |
|
|
常陸岩英太郎
東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区)出身の大相撲力士。最高位は大関。現役時代は出羽海部屋所属。本名は櫻井英太郎。身長173cm、体重115kg。 |
|
|
小錦八十吉
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身で高砂部屋所属の元大相撲力士、株式会社ケーピー所属のタレント。旧姓は塩田、米国籍時代の名はSaleva'aFuauliAtisano'e... |
|
|
若乃花幹士
大相撲の力士、第45代横綱。所属は入門当時は二所ノ関部屋、1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。身長179cm、体重107k... |
|
|
羽黒山政司
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(のちの中之口村、現新潟市西蒲区)出身の大相撲第36代横綱。身長179cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り、上手投げ。 |
|
|
プロフィール
- 清水川元吉とは
- 来歴
- 主な成績
- 改名歴
- 年寄変遷
- 関連項目
清水川元吉(しみずがわもときち、1900年1月13日-1967年7月5日)は、青森県北津軽郡三好村(現在の 五所川原市)出身で 二十山部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は長尾米作(ながおよねさく)。身長179cm、体重109kg。
来歴
| 元小結・2代小錦八十吉の二十山部屋に入門、1917年1月場所前相撲で初土俵を踏んだ。 |
| 1923年(大正12年)1月場所に入幕し、一度十両におちたもののすぐに再入幕し、1926年には小結まで昇進した。 |
| しかし、遊びが過ぎて師匠から破門され、1928年には一度番付からも削除されてしまった。 |
| その後満州滞在中に、関東軍司令官白川義則大将の知遇を得たことと、実家の父が死を賭しての嘆願によって、ようやく復帰がかない、1928年10月場所に、幕下格で復帰を果たした。 |
| 下の名前の「元吉」はその実父の名から取ったものであり、この点については後に尾崎士郎「相撲随筆」に紹介された。 |
| その後は、精進につとめ、右四つの型をもち、豪快な切れ味の上手投げを得意とする力士として人気を博した。 |
| 独特の仕切りスタイルでも話題・人気を集め、ラジオの実況中継では、「清水川、鎌首をもたげました」と放送された。 |
| 1932年2月、春秋園事件で多くの力士が脱退したあとの場所で、8日間興行ではあったが、新関脇として全勝で初優勝をとげる。 |
| 同年3月場所後大関に昇進して、同年10月場所に2度目の優勝、玉錦三右エ門と横綱昇進を争った。 |
| この頃は玉錦と互角にたたかっていた。 |
| 1934年5月には11戦全勝で三度目の優勝を飾り、横綱も間近と期待されたが、その後の巡業中に右の大腿骨を脱臼するという致命的な故障をし、その結果横綱昇進を逃した。 |
| 最終場所は10勝3敗と大きく勝ち越しながら引退、昭和の名大関とたたえられた。 |
| 1937年5月場所かぎりで引退し、二十山部屋から分家独立して追手風部屋を興し、小結清水川明於たちを育てた。 |
| 停年を直前にした1964年11月場所限りで部屋を閉じ立浪部屋(元横綱・羽黒山)に合流し、1965年1月12日をもって停年退職を迎えた。 |
主な成績
| 幕内在位:34場所(大関12場所、関脇2場所、小結3場所)。 |
| 幕内通算成績:193勝130敗1分2預44休 勝率.598。 |
| 大関通算成績:87勝47敗 勝率.649。 |
| 幕内最高優勝:3回(全勝2回)。 |
| 金星:1個(常ノ花)。 |
改名歴
| 清水川米作(しみずがわよねさく)1917年1月場所-1926年5月場所。 |
| 清水川清行(-きよゆき)1927年1月場所-1927年3月場所。 |
| 清水川米作(-よねさく)1927年5月場所-1931年3月場所。 |
| 清水川元吉(-もときち)1931年5月場所-1937年5月場所。 |
年寄変遷
| 追手風元吉(おいてかぜもときち)1937年5月-1965年1月。 |
|
1917年
|
元小結・2代小錦八十吉の二十山部屋に入門、... |
|
1926年
|
小結まで昇進した |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
清水川元吉さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|