| 1959年(昭和34年)9月7日-東京浅草に生まれる。 |
| 1965年(昭和40年)-竹ノ塚に引っ越す。 |
| 1966年(昭和41年)4月-保木間小学校入学。 |
| 1967年(昭和42年)-浅草へ。 |
| 1968年(昭和43年)-父が他界。 |
| 生活が急変する中、家族を支え、学校では合奏団でマリンバを担当。 |
| ラジオ番組の小学生コンクールに出場し、賞を獲得。 |
| 当時の生活のエピソードとして、近くのお米屋でお米を借りていた。 |
| 後年、番組企画で由貴子がお米屋に訪れ再会を果たしている。 |
| 1972年(昭和47年)4月-蔵前中学校入学。 |
| バレー部、二年から卓球部、三年で副部長に。 |
| 区大会個人戦三回戦まで勝ち進む。 |
| 得意は一発で決まるウルトラ・バック・サーブ。 |
| アルバイトをして、念願の中古ギターを購入。 |
| 1975年(昭和50年)4月-東京都立京橋商業高等学校入学。 |
| 母から新品のギターをプレゼントされる。 |
| 「スター誕生!」に応募。 |
| 決戦大会に進出する。 |
| 1976年(昭和51年)2月18日-「スター誕生!」の決戦大会で14社から指名を受け、第十六回グランドチャンピオンとなる。 |
| 1976年(昭和51年)12月-東京都立京橋商業高等学校を在籍1年9か月で転校する。 |
| 1977年(昭和52年)1月-明大中野高校定時制に転入。 |
| 1977年(昭和52年)3月1日-「お元気ですか」CBSソニーからデビュー。 |
| 8.2万を売上げスマッシュヒットとなる。 |
| 1977年(昭和52年)7月1日-「明日草」セカンドシングル発売。 |
| 1977年(昭和52年)10月10日-「ほたる坂」サードシングル発売。 |
| 曲名の「ほたる坂」(蛍坂)は東京谷中の宗林寺にある実在の坂(蛍坂)。 |
| 1977年(昭和52年)12月21日-「ほたる坂から」初のファーストアルバム発売。 |
| 「ほたる坂」同様、収録曲の「三年坂」もまた、京都、清水、三年坂、「正式には産寧坂(さんねいざか)」として実在する。 |
| 1977年(昭和52年)-第3回日本テレビ音楽祭新人賞、第4回横浜音楽祭新人賞、第6回東京音楽祭国内大会優秀新人賞、第10回新宿音楽祭銅賞、第4回FNS歌謡祭優秀新人賞、第8回日本歌謡大賞新人賞の各賞を受賞する。 |
| 高田みづえ、榊原郁恵、清水由貴子の三人で「フレッシュ三人娘」としてアイドル人気を得る。 |
| 1978年(昭和53年)2月25日-「天使ぼろぼろ」4thシングル発売。 |
| 3月18日「変身ウィークエンド踊れ!ヒットだ!電話リクエスト最終回公開生放送!」に出演。 |
| 5月5日まごころコンサート、5月6日市ヶ谷CBSソニーにて「ファンの集い」開催。 |
| 前年10月11日から放映の「飛べ!孫悟空」にもゲスト出演している。 |
| 当時のスケジュール表によれば、(5月11日 TBS・飛べ!孫悟空)と記載されている。 |
| 1978年(昭和53年)5月-「ジャンピング歌謡曲」RF、「ダイナミックレーダー」QR、「ヤンヤン歌うスタジオ」12ch、「それゆけ歌謡曲」TBS、「スター誕生!」NTV、「うわさのチャンネル」NTV、「きままなジャンボ」QR、「ぎんざNOW」TBS、「スターに挑戦」NTV、「ハローサタデー」QR、「レッツゴーヤング」NHK、「霊感ヤマカン第六感」ABC、など、5月〜6月期における、わずかひと月のスケジュール表から、人気と多忙の出演の様子がうかがい知れる。 |
| 1978年(昭和53年)6月1日-「多感日記」5thシングル発売。 |
| 6月4日池袋東武、松戸ヤンレイサイン会、6月25日池袋東武にてサイン会。 |
| 同日ダイエー赤羽店にてサイン会が開催。 |
| 8月26日市ヶ谷CBSソニーにて「ファンの集い」開催。 |
| 1978年(昭和53年)9月1日-「歌を重ねて」6thシングル発売。 |
| 10月10日体育の日「ファンクラブユッコ★ファンの集い甲府ぶどう狩り」バスツアー開催。 |
| 由貴子の手作りおにぎりがクイズの景品として登場。 |
| 「スター誕生!」で由貴子がおにぎり2個を持参して大会に挑んだエピソードに由来する。 |
| 1978年(昭和53年)12月5日-「神様・なぜ愛にも国境があるの!」7thシングル発売。 |
| 1979年(昭和54年)4月6日-「OH!階段家族!!」NTV系、初のコメディドラマに出演。 |
| エピソードとして「清水由貴子タイムス」TVガイドの記事、「OH!階段家族!!」撮影で半年間の歌手休養宣言をする。 |
| 「撮影本番で夜中の3時半を越えNGを5〜6回出し20回も階段を昇降し、ふくらはぎがすごく痛い」とある。 |
| 1979年(昭和54年)9月4日-「森田公一の青春ベストテン」(TBSラジオ)公開録音にゲスト出演。 |
| 9月30日日本橋三越にてサイン会。 |
| 1979年(昭和54年)9月-フォークシンガーを目指しギターの特訓に励む。 |
| いまではスリーフィンガーだってへっちゃらです」と当時の記事にある。 |
| 「私小説」というタイトル通り由貴子自身の作詞、「子供のままでいられたら」「夕暮の風景」「失くしたハーモニカ」が情緒豊かに歌われている(どこかであなたと出会ったら、あなたは何を言ってくれますか…LPインナーより)。 |
| 1979年(昭和54年)11月4日-池袋東武においてサイン会が催される。 |
| 特にファンを大切に思う由貴子のサイン会は、後年、ファンにとって様々な感動と記憶に残ることになった。 |
| 1980年(昭和55年)-歌手活動から少しずつバラエティーやドラマ出演へ活動の場所が広がる。 |
| 1980年(昭和55年)3月-「ミステリーショック」司会、6月「飛び出しマガジン12」司会、8月「それは秘密です」司会、10月「ケンちゃんチャコちゃん」、10月「スクランブルジョッキー」(ラジオ)など出演。 |
| 5月3日池袋東武にてサイン会開催。 |
| 1981年(昭和56年)10月8日-「同心暁蘭之介」初の時代劇に女中おりき役でレギュラー出演。 |
| 1982年(昭和57年)10月-「欽ちゃんの週刊欽曜日」は、10月8日から1985年9月27日まで放送されたバラエティー番組。 |
| 1985年(昭和60年)2月11日-「幕末青春グラフィティ 福沢諭吉」豆奴役で出演。 |
| 1985年(昭和60年)4月13日-「パンツの穴花柄畑でインプット」東映撮影所製作シリーズ第2弾、南先生役で初の映画出演。 |
| 1986年(昭和61年)4月-「なうNOWスタジオ」テレビ朝日、6月「ファミコン日本一大会スターソルジャー」新水曜スペシャル、当時ブームを博したファミコンゲーム大会の司会を担当。 |