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つながりの強いひと
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芹沢鴨
幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長。前名は下村嗣司。諱は光幹。本姓は平氏。家系は常陸平氏の平成幹の流れを汲むという芹沢氏。父は芹沢... |
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近藤勇
江戸時代末期の新選組局長、幕臣。勇は通称、諱は昌宜(まさよし)。慶応4年(1868年)からは大久保剛、のちに大久保大和。家紋は丸に三つ引。 |
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山岡鉄舟
日本の武士(幕臣)、政治家、思想家。爵位は子爵。剣・禅・書の達人としても知られる。鉄舟は号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎)。諱は高歩(たかゆき... |
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千葉周作
日本の武士。江戸時代の剣術の流派北辰一刀流の創始者で、千葉道場の総師範。姓は平氏、名字は千葉、通称は周作、諱は成政。その道場である玄武館は幕末三大... |
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高野澄
高野澄(たかのきよし、1938年10月1日-)は歴史小説作家。埼玉県生まれ。同志社大学文学部新聞学科卒業。立命館大学大学院文学研究科近代史専攻修了。立命館... |
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八木源之丞
幕末の山城国葛野郡壬生村の苗字帯刀を許された富裕郷士。八木家10代目当主。源之丞は通称。諱は応迅(まさはや)であり八木応迅といい、本姓は日下部氏であ... |
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新徴組
江戸時代後期の文久2年(1862年)に結成された、江戸幕府による警備組織である。同年2月に江戸で浪士組結成募集が行われ、京都へ上洛した後に清河八郎に率いら... |
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大川周明
日本の思想家。1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1... |
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佐々木只三郎
幕末の武士・旗本、京都見廻組隊士。泰昌、唯三郎とも。兄に手代木勝任(直右衛門)がいる。 |
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安積艮斎
幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが学んだ他や吉田松陰にも影響を与えたとされる。 |
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藤本鉄石
友達
藤本鉄石(ふじもとてっせき、文化13年3月17日(1816年4月14日)-文久3年9月25日(1863年11月6日))は幕末の志士・書画家。諱は真金。通称を学治・津之助、... |
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藤沢周平
日本の小説家。山形県鶴岡市出身、本名小菅留治(こすげとめじ)。江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空... |
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北辰一刀流
幕末の剣豪、千葉周作成政が創始した日本の剣術を中心とした古武道の流派の1つ。 |
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原田左之助
新選組十番組組長。諱は忠一。谷万太郎から種田流槍術を教わり免許皆伝。 |
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島津久光
江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の政治家。幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。明治政府の内閣顧問、左大臣。... |
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佐久間象山
日本の武士(松代藩士)、兵学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい... |
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松平容保
江戸時代末期の大名・陸奥国会津藩9代目藩主であり、また最後の藩主でもある。血統的には水戸藩主徳川治保の子孫である。京都守護職。美濃国高須藩主・松平義... |
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丹波哲郎
日本の俳優、心霊研究家。本名は丹波正三郎(たんばせいざぶろう)。東京府豊多摩郡大久保町字百人町出身。身長175センチメートル。俳優活動は50年以上で、テ... |
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平野国臣
日本の武士・福岡藩士、志士。大蔵氏の流れをくむ。通称は次郎、巳之吉。諱は種言、種徳。贈正四位。攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や真木和泉、... |
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羽黒山
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(のちの中之口村、現新潟市 西蒲区)出身の大相撲第36代横綱。身... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E9%BB%92%E5%B1%... |
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プロフィール
- 清河八郎とは
- 誕生
- 諸国漫遊
- 虎尾の会
- 急務三策と浪士組結成
- 関連作品
- 小説
- 映像
- 漫画
- 関連項目
- 関連サイト
清河八郎(きよかわはちろう、天保元年10月10日(1830年11月24日)-文久3年4月13日(1863年5月30日))は、幕末(江戸時代)庄内藩の志士で、浪士組(新選組・ 新徴組の前身)を結成し、虎尾の会を率いて維新の火付け役となった人物である。幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は 斉藤正明で、清川八郎と改名したのち、 清河八郎を名乗った。山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。贈正四位。
誕生
| 出羽国庄内藩領清川村(現・山形県東田川郡庄内町)の郷士の斉藤豪寿の子。 |
| 天保14年(1843年)、清川関所役人の畑田安右衛門に師事し勉学に勤しむ。 |
| 弘化3年(1846年)には後の天誅組総裁藤本鉄石と会い親交を深めた。 |
| 弘化4年(1847年)、江戸に出て古学派の東条一堂に師事。 |
| 才を認められ東条塾塾頭を命ぜられたが、固辞。 |
| 安積艮斎に転塾。 |
| その傍ら、北辰一刀流の開祖千葉周作の玄武館で剣を磨き免許皆伝を得え、江戸幕府の学問所昌平黌に学んだ。 |
| その後、清河塾を開設。 |
| 当時、江戸市中で学問と剣術を一人で教える塾は清河塾だけであった。 |
諸国漫遊
| 安政2年(1855年)3月から9月にかけて、母親を連れて、清川村を出発。 |
| 善光寺、名古屋、伊勢、奈良、京都、近江、大坂、宮島、岩国、天橋立、鎌倉、江戸、日光などをめぐる大旅行をする。 |
| その記録『西遊草』は、幕末の旅行事情を知るうえでは貴重な資料である。 |
| 内容は各国の名士との出会いなどを中心に書かれているが、清河の性格からか辛辣で手厳しい批評が多い。 |
虎尾の会
| 万延元年(1860年)に起こった桜田門外の変に強い衝撃を受け、倒幕・尊王攘夷の思想を強める。 |
| この事件を契機に、清河塾に憂国の士が集まりだす。 |
| その中には幕臣の山岡鉄太郎(鉄舟)・笠井伊蔵・松岡万、薩摩藩の伊牟田尚平・樋渡八兵衛・神田橋直助・益満休之助、同門であった安積五郎らがいる。 |
| また池田徳太郎・中村貞太郎・西川練造・村上俊五郎・石坂宗順などとも交わる。 |
| 同年、清河を盟主として虎尾の会を結成。 |
| 発起人は山岡鉄太郎ら15名。 |
| 横浜外国人居留地を焼き討ちし、尊王攘夷の精神を鼓舞し、倒幕の計画を立てたが、この密計が幕府の知るところとなる。 |
| しかも文久元年(1861年)には罵詈雑言を浴びせてきた者を斬り捨てたため、幕府に追われる立場となった。 |
| このとき、笠井・中村・西川らは捕縛され、後に獄死している。 |
急務三策と浪士組結成
| 清河は京に潜伏したり、諸国を回って倒幕運動を続けた。 |
| 田中河内介に続いて九州遊説に入った清河は筑後国の水田天満宮に蟄居中の真木和泉の下にも滞在し、福岡藩士の平野国臣、小郡、肥後の尊皇攘夷派とも接触。 |
| 清河の戦略は薩摩藩の率兵上京に期待を寄せるものであり薩摩は立つと諸国を遊説したが、小松清廉は清河に一切の言質を与えていない。 |
| 京都に参集した尊皇攘夷派は清河の空想的政局論により集められた一面があると『近世日本国民史』は綴っている。 |
| その後、山岡鉄舟らを通して松平春嶽(幕府政事総裁)に急務三策(1.攘夷の断行、2.大赦の発令、3.天下の英材の教育)を上書する。 |
| 尊攘志士に手を焼いていた幕府はこれを採用し、松平上総介(松平忠敏)のもとに浪士組が結成される(234名)。 |
| 清河は上手く幕府を出し抜いて今度は佐幕派を京都に集め出した。 |
| 文久3年(1863年)2月23日、将軍・徳川家茂上洛の際、その前衛として清河は盟主として浪士組を率いて京都へ出発。 |
| 京都に到着した夜、清河は浪士を壬生の新徳寺に集め本当の目的は将軍警護でなく尊王攘夷の先鋒にあると述べる。 |
| 鵜殿鳩翁が浪士組隊士の殿内義雄・家里次郎の両名に、京に残留することを希望する者の取りまとめを依頼し、攘夷に反対した根岸友山・芹沢鴨・近藤勇・土方歳三らが残留し清河と袂を分かつたものの彼らは壬生浪士(壬生浪)となり、後に新選組へと発展してゆく。 |
| 、200名の手勢を得た清河は翌日、朝廷に建白書の受納を願い出て幸運にも受理された。 |
| このような浪士組の動静に不安を抱いた幕府は浪士組を江戸へ呼び戻す。 |
| 清河は江戸に戻ったあと浪士組を動かそうとするが、京都で完全に幕府と対立していたため狙われていた。 |
| 文久3年(1863年)4月13日、幕府の刺客、佐々木只三郎・窪田泉太郎など6名によって麻布一ノ橋(現麻布十番商店街そば)で討たれ首を切られた。 |
| 『女士道』(山岡英子 1903年)の記述 |
| 墓所は東京文京区の伝通院にある。 |
| 清河の死後、幕府は浪士組を新徴組と改名し、庄内藩預かりとした。 |
関連作品
| 『西遊草』(若き日の旅日記、小山松勝一郎校注、岩波文庫)。 |
| 『西遊草清河八郎旅中記』(小山松勝一郎編訳、平凡社東洋文庫)抄訳版。 |
漫画
| 手塚治虫『陽だまりの樹』(1981年-1986年)。 |
関連項目
| 齋藤磯雄-八郎の弟の孫。 |
| 仏文学者、明治大学教授。 |
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1843年
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清川関所役人の畑田安右衛門に師事し勉学に勤... |
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1860年
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起こった桜田門外の変に強い衝撃を受け、倒幕... |
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