| 青木実(1970年〜1972年在籍→日産自動車硬式野球部→ヤクルトスワローズ)。 |
| 高校では全国大会への進出を果たせなかったが社会人野球で走攻守三拍子揃った俊足の外野手として活躍。 |
| プロ入り後は「代走屋」の異名を取り、1981年には同校出身選手として初のタイトルとなる盗塁王を獲得。 |
| 永川英植(1972年〜1974年在籍→ヤクルトスワローズ)。 |
| 中学校時代からその将来を嘱望された剛腕投手。 |
| 高校2年次に第45回選抜高等学校野球大会で全試合を完投。 |
| 同校をセンバツ初出場初優勝に導いた。 |
| 翌年の第46回選抜高等学校野球大会にも出場。 |
| 土屋正勝、定岡正二、工藤一彦と共に「高校野球界の四天王」と称されプロ入り。 |
| しかし、球団の事情でコーチが交代する度に投球フォームを矯正されたため本来の実力を発揮できず実働5年間でわずか1試合の登板に終わった。 |
| このことを受け渡辺はその指導方針を、選手を改造するのではなく自主性を重視したものに改めた。 |
| 引退後は川崎市で焼肉店を営むも、1991年7月15日に肝臓癌で死去。 |
| 佐野元国(1975年〜1977年在籍→近鉄バファローズ→読売ジャイアンツ)。 |
| ギリシャ人の父と日本人の母とのハーフ。 |
| 1982年までは「佐野クリスト」名義で活動。 |
| 中田良弘(1975年〜1977年在籍→日産自動車硬式野球部→阪神タイガース)。 |
| 1985年には主力投手として阪神タイガースの日本一に貢献。 |
| 吉田博之(1976年〜1978年在籍→南海ホークス→阪神タイガース)。 |
| 3年次に強肩と強打を生かし捕手へ転向。 |
| 1年生投手の愛甲猛とバッテリーを組み第60回全国高等学校野球選手権大会とやまびこ国体に出場。 |
| 愛甲猛(1978年〜1980年在籍→ロッテオリオンズ→中日ドラゴンズ)。 |
| 入学直後からベンチ入りを果たし、第60回全国高等学校野球選手権大会では1年生エースとしてベスト16入りに貢献。 |
| 3年生の時には第62回全国高等学校野球選手権大会と栃の葉国体の両全国大会を制覇。 |
| 1970年代後期における横浜高校野球部を象徴する存在。 |
| 神山一義(1982年〜1984年在籍→中日ドラゴンズ)。 |
| 相川英明(1983年〜1985年在籍→大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ)。 |
| 第57回選抜高等学校野球大会に出場。 |
| 高井一(1985年〜1987年在籍→阪神タイガース)。 |
| 相川と同じく、4番兼エースとしてチームを牽引したスイッチヒッター。 |
| 高橋建(1985年〜1987年在籍→拓殖大学→トヨタ自動車硬式野球部→広島東洋カープ→ニューヨーク・メッツ→広島東洋カープ)。 |
| 在学時は高井の代役として主に外野手を担当した。 |
| 鈴木尚典(1988年〜1990年在籍→大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ)。 |
| 第71回全国高等学校野球選手権大会に出場。 |
| 在学中、渡辺は先述のように部長職に退いていた(監督はセンバツV1時の主将で、1998年夏に平塚学園監督として横浜と共に甲子園出場を果たした上野貴士)。 |
| 紀田彰一(1992年〜1994年在籍→横浜ベイスターズ→西武ライオンズ)。 |
| 入学直後から4番に抜擢されると、第65回・第66回の選抜高等学校野球大会と第76回全国高等学校野球選手権大会に出場。 |
| 多村仁志(1992年〜1994年在籍→横浜ベイスターズ→福岡ソフトバンクホークス)。 |
| 当時から潜在能力は高かったが全国の舞台で真価は発揮できず、プロ入り後も辛酸を舐め続ける時期が永く続いたがプロ10年目にして初めて規定打席に到達。 |
| 松坂大輔(1996年〜1998年在籍→西武→ボストン・レッドソックス)。 |
| 1998年春夏連覇当時のエース。 |
| 1999年パ・リーグ新人王、2006年、2009年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表。 |
| 成瀬善久(2001年~2003年在籍→ロッテ)。 |
| 第75回選抜高等学校野球大会準優勝投手。 |
| 涌井秀章 (2002年~2004年在籍→西武)。 |
| 第86回全国高等学校野球選手権大会ではチームをベスト8に導いた。 |
| 2007年最多勝利投手に輝き、2008年は北京オリンピック日本代表、2009年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表。 |