| 『フラッシュマン』の第10・11話(東條昭平組)が初の現場デビューになる。 |
| 当時のサード助監督が入院で2か月戦列を外れることになり、専門学校の紹介で当初はその2か月だけの予定だったが、件の助監督氏が戻ってこなかったためそのままシリーズに携わることになった。 |
| 初チーフ助監督を務めた『ジェットマン』では脚本を執筆し鈴木武幸プロデューサーにアピールするなど精力的に活躍していた。 |
| 渡辺は中学生のときの夢は脚本家になることであった。 |
| しかし結局その脚本は採用されなかったが、そういった動きは当時の雨宮慶太監督も認めていて鈴木に「若手を監督に抜擢してはどうですか」と進言したという。 |
| デビューは『ジュウレンジャー』だが、非公式デビューは『ジェットマン』第49話の後半部である。 |
| 担当の蓑輪雅夫監督がロケ現場の海岸で転倒し骨折、急遽入院することになったためまだ撮りきれていなかったカットを蓑輪が病院のベッドで書き上げた絵コンテを元に演出した。 |
| 広瀬匠がかつてインタビューで「自分が戦隊に出るたびナベ(渡辺)が偉くなっている」と指摘したことがある。 |
| 確かに渡辺は広瀬がレギュラーで出演した『フラッシュマン』のサード助監督を皮切りに、『ライブマン』でセカンド助監督、『ジェットマン』でチーフ助監督、『ダイレンジャー』では監督と順調に出世している。 |
| 30歳のときに参加した『激走戦隊カーレンジャー』では第2期、第3期のオープニング演出を担当、第5話以降での変身バンク演出、新ロボ・新戦士登場編、地方ロケ編、最終回演出など数々の重要エピソードを手掛け、最多エピソードとなる17作品を演出。 |
| パイロットは担当していないがメイン監督に近い役割を果たしている。 |
| 1998年の『テツワン探偵ロボタック』が初パイロットである。 |
| この1998年は戦隊は田﨑竜太がパイロットを担当しているが、前年パイロットは坂本太郎、長石多可男、前々年は小林義明、東條昭平、長石で二回りほど若返っている。 |
| 東映特撮演出陣の世代交代を強く象徴した人事として当時話題になった。 |
| 自他共に認める温厚な性格だが、初めて戦隊でパイロットを担当した『忍風戦隊ハリケンジャー』の撮影当初は、心を鬼にして出演者たちを怒鳴るなど厳しく指導したという。 |
| このときの行動については、「自分が責任を持って諸田敏監督や小中肇監督にバトンを回さなきゃならないと思い、敢えて厳しく指導した」と後に雑誌のインタビューで語っている。 |
| 『ハリケンジャー』の演出面ではマスクが開いて顔が見えるという設定があるが、これはメイン監督の渡辺の考案による。 |
| このアイデアは自身が強烈に印象を受けたという『フラッシュマン』のシャットゴーグルからヒントを得たものであることをインタビューにて公言している。 |
| 前項にも記したとおり戦隊シリーズで初パイロットを担当した『ハリケンジャー』への渡辺の思い入れは相当強く、プロデューサーから次回作『爆竜戦隊アバレンジャー』のメイン監督要請もあったが、『ハリケンジャー』の最終回を撮りたいとの理由でその依頼を固辞したという。 |
| 『ハリケンジャー』を除いてただし、『ハリケンジャー』も劇場版ではダンスエンディングを演出している。 |
| 彼がパイロットを務めたシリーズ作品では、エンディング映像で主人公にダンスを踊らせている。 |
| 頭の上によくキャップを被っている。 |
| 渡辺とは親密で共働することの多い東映の塚田英明の話によると渡辺の口癖は「大丈夫」であり、撮影や打ち合わせで「大丈夫ですよ、塚田さん」といったら安心して仕事を任されることができ、特に素敵な出来が保証されるのだと語っている。 |
| 塚田が渡辺に対する信頼の程が窺える。 |
| 誕生日は9月20日であるが、偶然にも先輩筋にあたる坂本太郎と同じ誕生日である。 |
| 師匠筋の長石多可男を相当慕っており、長石が『侍戦隊シンケンジャー』で10年ぶりに戦隊に復帰したときは、自ら志願して監督補として現場をサポートした。 |
| 長石が「立場を考えなさい」と説教したり、プロデューサーの宇都宮孝明が「あなたはローテーション監督ですから」と諭しても、全く聞く耳を持たず「お願いですからやらせてください」と強引に振り切ったという。 |
| 長石・渡辺コンビは『ファイブマン』第46話以来、約19年ぶりの復活だった。 |
| その後『天装戦隊ゴセイジャー』でも長石組のテレビシリーズ4本には全て監督補としてサポートに就いている。 |
| 年現在のスーパー戦隊演出本数は、東條昭平、長石多可男に次ぎ歴代単独3位の175作品である。 |