| 父親は明治座の支配人で、そのため、幼稚園から中学2年まで、月に1回は歌舞伎を見にいったという。 |
| 裕福であったため、少年漫画雑誌はすべて講読。 |
| なかでも杉浦茂の大ファンで、単行本をコンプリートしていという。 |
| また、一人っ子で甘やかされ、病弱な少年だったという。 |
| 中学3年の時に、父親が倒れ、それからは新聞配達のアルバイトなどをし、家計を助けた。 |
| だが、高校時代は不良となり、「銀流し(馬鹿だんなのこと)の輝さん」と新宿の人々から呼ばれたという。 |
| その後も感情の起伏が激しい時代が続くが、現在の妻のタラ湯村が32歳の時に出会い、1977年の35歳の時に結婚。 |
| なお、湯村は20代の時に1度結婚し、別れていると出会ってから、穏やかな性格になったという。 |
| 青山学院中等部から、同高等部に進み1961年卒業。 |
| 多摩美術大学を受験するが失敗し、YMCA英語学校にて浪人生活をする。 |
| 翌年、多摩美術大学平面図案科(現在のグラフィック・デザイン科)入学。 |
| 山名文夫に師事する。 |
| 1966年春、卒業制作課題違反連続のため、卒業が秋まで延期される。 |
| だが、この卒業制作のひとつが「アイデア」誌の優秀作品に選ばれる。 |
| 在学中から、同大学の先輩、和田誠を尊敬していた。 |
| また、中学、高校、大学を通じての先輩にあたるのが原田治だった。 |
| 卒業後、デザイン事務所につとめるが、3か月で通勤が嫌になり、会社に願い出て嘱託勤務となり、自宅で仕事をするようになる。 |
| 最初のイラストレーションの仕事は『週刊女性自身』のコラムのカットであった。 |
| やがて、三菱石油のためのイラストレーションがメインの仕事となる。 |
| この仕事で、1968年度東京イラストレーターズ・クラブ新人賞を受賞。 |
| 嘱託だった会社からも完全に独立し、専業のイラストレーターとなる。 |
| 受賞記念パーティで矢吹申彦を知り、意気投合してY2というチームを作る。 |
| その後、河村要助も参加し、「100パーセント・スタジオ」と改名する。 |
| このころ、グラフィック・デザイナーの舟橋全二と知り合う。 |
| 当時は「ブッシュ・ビン・スタジオ」の全盛期であり、大きな刺激を受ける。 |
| また、アート・ディレクター江島任を知り、またも刺激を受ける。 |
| 不二家ペコちゃんポコちゃんの「ビビ・ビビ」というチョコレートの仕事をする。 |
| また、「男の雑誌NOW」(文化出版局)で、イラストレーションや漫画を描く等する。 |
| 1972年に、「100パーセント・スタジオ」を解散。 |
| 1974年、河村要助、原田治、佐藤憲吉、大西重成と「ホームラン」というイラストレーター・チームを結成。 |
| ニュース・ペーパー「ホームラン」を創刊する。 |
| しかし数ケ月でこのチームは分解する。 |
| 1975年、自身のスタジオで現在まで続く、ORIGINALFLAMINGOSTUDIOを創設。 |
| メンバーは、イラストレーターのペンギンジョーこと永井博、アート・ディレクターの秋山政美、カメラマンの吉岡英隆、コピーライターの糸井重里等であった。 |
| 1976年、糸井とともに制作した、ウェルジンの広告でADC賞を受賞する。 |
| このころは、マイナーな仕事を多数こなしていた。 |
| また糸井と共作の絵本『さよならペンギン』(すばる書房)を刊行する。 |
| 同年、「NOW」での湯村の漫画作品を読んでいた漫画雑誌『ガロ』の編集者である南伸坊から、漫画執筆を依頼される。 |
| 湯村は、糸井重里の原作で「ペンギンごはん」という作品を発表。 |
| かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容というパンクな作品であった。 |
| 以降も『ガロ』に「ペンギンごはん」シリーズ作品を発表し(1977年は『ガロ』の表紙も1年間担当した)、1980年に『情熱のペンギンごはん』として刊行。 |
| ヘタウマ漫画の金字塔となり、1980年代におきるヘタウマブームの先駆となる。 |
| 1977年資生堂より、"KENZOSHOWINTOKYO"の仕事が入る。 |
| 以後メジャーな仕事がふえる。 |
| 以降、広告のイラスト、雑誌や書籍やレコードやCDのカバー絵、雑誌のイラスト、絵本などを手がけ、その個性的な、エロで生々しい匂いを放つ絵柄で、現在も精力的に活動を続けている。 |
| イラスト界の大御所でありながら、現在も大企業等のメジャーな仕事から、小部数の雑誌等のマイナーな仕事まで、非常に幅広くてがけている。 |
| 近年では、クレイジーケンバンドのCDのジャケット・ワークを手がけていることで知られる。 |
| また、現在は「フラミンゴ・スタジオ」は主にデザインをやっており、「デザイン事務所の社長」でもある。 |
| また、R&Bやラップのマニアであることから、『湯村輝彦ヒットパレード』『甘茶ソウル百科事典』『ギャングスタ・ラヴ』という音楽本も刊行している。 |
| 27歳から痔をわずらっており、痔についての本も刊行。 |
| またハゲについての絵本も刊行している。 |
| また、猫好きでもあり、愛猫5匹との日常を綴ったほのぼのエッセー「テリーのネコメロ」を「アックス」誌に連載中(2008年初め現在)。 |